あさが来たオープニングタイトルバック作者は二人 イラストの . 必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。, twitterアカウントが登録されていません。アカウントを紐づけて、ブックマークをtwitterにも投稿しよう! 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/28 16:57 UTC 版), 1901年(明治34年)、白岡あさは「日の出女子大学」の入学式での壇上にて、学問を推奨する祝辞を入学者に述べていた。, 遡ること1861年(文久元年)、京都の豪商・今井家の次女・あさは、お転婆で好奇心旺盛な11歳の少女だった。ある日、女ゆえに学問を許されないことや勝手に結婚を決められたことに不満を持ち、父・忠興に猛反発して押入れに閉じこもる。そこへ訪れた許婚の白岡新次郎は、ゆっくり考えた上で将来を決めるよう諭し、梅の木で誂えたそろばんを贈る。やがて父からそろばんの手習いを許されてその才能を発揮、いつしか店の番頭たちが目を見張るまでに上達していく。(第1週), 時は流れ1865年(慶応元年)、15歳に成長したあさは相変わらずお転婆で、両親や付き人たちを悩ませていたが、同年春に姉・はつと、それぞれ祝言を挙げることが決まる。しかし久々に面会に現れたはつの許婚・眉山惣兵衛は冷淡で、義母となる菊からは威圧され、はつは気丈に振る舞うが結婚への不安が増していく。一方、あさを定期的に訪ねていた新次郎は、恋文を送ったのを最後に連絡を断つ。音沙汰無くあさが不安を募らせていた頃、新次郎は重篤の兄に心を痛めていた。祝言を挙げる直前になって新次郎と彼の父・正吉が今井家を訪れ、兄の急逝により祝言の延期を申し出る。こうしてはつの祝言から半年後に、あさも白岡家に嫁入りするが、新次郎は道楽に興じて家に寄り付かず、さらに家業に関われないなど制約が多いなか、店の人々とは次第に仲良くなって経営について内緒で教えてもらうようになる。また店に貸付を強要した新選組に立ちはだかり返済の約束を交わしたあさは、その日より新次郎に大人の女性と認められ床を共にするようになる。, 新次郎の協力を得て加野屋の現状を知り、以前出会った武士・五代才助から聞いた「世の中が変わる」との言葉を気にして正吉に大名への貸付の回収を提案するが、長年の信用を理由に却下され経営を委ねるようにたしなめられる。しかし1件のみ取り立てを許され、一部金ながらも回収に成功し功績を認められて以後取り立てに出回るようになる。そんな時、新政府は倒幕の軍資金十万両の貸付を加野屋に要請し、さらに銀目停止の通達により困惑した人々が店に押しかける。それらの対処を終えた時には店の資金は底をつき、あさは借金を申し込みに奈良の豪商・玉利友信を訪ねる。当初は貸付を渋っていた玉利だが、新たに事業を始めて返済すると約束したあさに将来性を見込み、無利子で資金を貸す。, 一方はつは、外部との接触を菊に禁じられ、逆らうと蔵に閉じ込められる仕打ちを受けていた。やがて山王寺屋も窮地に陥って、惣兵衛とともに実家に借金を申し込みに行くが、返済の目処が無いことから断られる。(第2週 - 第4週), 1868年(明治元年)、時代の変化をなんとか乗り切った加野屋も落ち着き始め、あさははつを心配して山王寺屋を訪ねるが、店は廃業し夜逃げ後であった。粗末な長屋で眉山一家を見つけるが、はつから冷たく追い返される。後日再び失踪して、あさはひどく落ち込むが、五代に勧められるまま大阪商人の寄り合いに出席したことを機に商売への興味がさらに増し勉強に打ち込む。一方、新次郎は百姓の納屋を間借りする眉山一家を探し出し、当初はあさに内緒で通い支援をするが、その内に知られることとなる。こうして再会したあさとはつは、互いに近況を話し合う。, 新次郎の話であさが新たな商売として石炭に着目した頃、はつの妊娠が判明するが、惣兵衛が突如姿をくらます。あさは加野屋を支えるために炭坑経営を切願するが、資金不足や現場が遠距離であることから反対される。それでも鉱山買収方法を思案するあさを、義母・よのは快く思わず、さらに子宝に恵まれないことから、新次郎に妾を持たせようと考える。よのの考えを知り気落ちしたあさは、1871年(明治4年)、正吉から炭坑経営の心得として夫と仕事との選択を迫られ、不本意ながら新次郎に妾を取るよう願い出るが、新次郎はあさを愛するゆえに拒否する。その頃、炭坑主の未亡人・櫛田そえが加野屋を訪ねてくる。あさの思いを知り協力的な義父を見た櫛田は、加野屋に「蔵野炭坑[注 6]」を譲ることを決める。こうしてあさは、新次郎にも背中を押され、1872年(明治5年)、炭坑がある九州・筑前へと旅立つ。(第5週 - 第6週), 九州の炭坑に到着はしたが、坑夫たちは「女の下で働く」ことを拒絶し働こうとしない。彼らと話し合ううちにもみ合いとなって転倒した時に、五代から「お守り代わり」にと持たされた拳銃が懐から落ち暴発する。坑夫の妻たちは、あさが拳銃で脅迫していると誤解し、坑夫たちも仕方なく働くことを決める。心配して炭坑を訪れた新次郎から、あさには武器は似合わないと優しく諭され、翌日、坑夫たちに拳銃を盾にした言動を謝罪して国の未来を支える石炭を採る彼らを讃えるが、彼らの代表として支配人・宮部と相撲を取ることになり、結果、あさが勝利する。以来、坑夫たちはあさに信頼を置き働くようになる。その頃、長男・藍之助が誕生し1年経ったはつは、五代からの情報を受けて賭博場で惣兵衛を発見する。はつを不幸にしたと自責する惣兵衛であったが、彼女に説得されて帰宅する。(第7週), 九州の炭坑から大阪へ戻ろうとした矢先、祖父・忠政の危篤の知らせを受けて京都の実家へ直行する。親族で祖父の最期を看取った後、今井家は政府の勧めで銀行開設に向けて、東京移転の準備を進める。はつの境遇に心を痛める母・梨江は、今井家の和歌山の土地の権利書を頑なに拒むはつに渡そうとする。あさから、はつ夫婦を信じて応援する貸付だと説得されてようやく権利書を受け取る。今井家が東京へ旅立った後、あさは正吉に銀行開設の相談を持ちかけるが、今はその時ではないとたしなめられる。坑夫やその家族が夢を持てるようにと労働の改革を進めようとするが、納屋頭たちの反対を受けて難航する。新次郎と会えない日々が続く寂しさを押し殺し、寝る間を惜しんで炭坑を手伝いながら納屋頭たちの説得を続けるうちに、やがて多くの納屋頭の賛同を得て改革を実行し、炭坑の人々から感謝されるが夫を差し置いて働く姿勢を叱責される。, 11月になり、加野屋で襲名披露が行われた。正吉は引退し、榮三郎は八代目を襲名し、新次郎はその後見人となり、あさは加野炭坑を担うとお披露目される。一方惣兵衛は、はつから土地の譲渡を聞き、現地・和歌山を視察してみかん農業を始めることを決意する。当初反対していた菊も、家族の説得に折れる。そして白岡家の計らいであさとの時間を過ごしたはつは、翌早朝、一家で和歌山へと旅立って行く。(第8週 - 第10週・59回), その後も大阪と九州を行き来するうちに妊娠が判明するが、反抗的な態度をとる納屋頭・サトシの動向が気になり炭坑に留まり続ける。しかし、つわりで体調を崩し、迎えに来た新次郎とうめに連れられ大阪に帰る。そして長女・千代が誕生する。親子でひとときの穏やかな日々を送る中、炭坑で落盤事故が起きたと知らせが届き、あさは千代を新次郎に託して五代とともに急ぎ現場に駆けつける。事故ではなく何者かが故意に起こした事件だと五代は推理するが、結果は事故として処理される。正吉は、事故後の現場復興に大番頭・雁助を炭坑に差し向ける。実は、サトシは加野屋から独立した元大番頭の息子・松造で、雁助と対面後に突如炭坑から姿を消す。大阪のあさと新次郎の前に現れた松造は、加野屋を恨み落盤事故を首謀したことなどを自白するが、あさからは叱責され、さらに病床の正吉から謝罪され、父の思い出話を聞いて、加野屋とのわだかまりも解けて警察へ出頭する。, その後、正吉は他界し、あさは再び大阪と九州を往復する日々を送る。1878年(明治11年)、五代の誘いを受けて初めて東京へ行き、友人で内務卿の大久保利通を紹介される。銀行を開業した父とアメリカ留学から帰国した弟とも再会し、また、「学問のすゝめ」の著者・福沢諭吉と偶然出会う。帰阪間際に大久保が暗殺されたことを知って急遽五代の元を訪ね、大久保に代わり五代の心の友となることを誓う。(第10週・60回 - 第13週), 1879年(明治12年)、女中・ふゆは、新次郎への恋心を胸に秘めたまま、父親が決めた縁談を受け入れようとする一方で、新次郎の妾候補だったことを知り複雑な思いを抱く。新次郎と出かけた帰り道に思いを告白するが失恋。傷心で涙するふゆの元に駆けつけた亀助は優しく寄り添い慰める。結局この出来事が原因で縁談は破談となるが、亀助に求婚され彼との結婚を決める。祝言を終えた亀助とふゆは、九州の加野炭坑で新たな生活を始める。(第14週), 1880年(明治13年)、榮三郎はさちと結婚し、よのは大奥様、さちは若奥さん、あさは奥さんと呼ばれるようになる。1881年(明治14年)、加野炭坑の借金もようやく返し終わりあさは銀行設立を願望したが、雁助の反対と五代の助言もありひとまず銀行設立は保留して新しい炭坑を買う。, あさと美和、新次郎と五代はそれぞれ友情を育てていくが、仕事をしない新次郎と仕事に忙しいあさは、娘の千代の「なんでだす(どうして普通の家と違うのか)」に戸惑う。その頃、五代が計画していた「北海道の官有物払い下げ」は官民癒着であるという新聞記事が載り、五代は世間から「悪徳商人」と呼ばれ大阪商人たちから非難を浴びる事態になる。しかし、新次郎と榮三郎の機転で五代の疑いは晴れ、大阪の繁栄のために生涯尽くすと誓った五代だったが、病に冒され始めていた。(第15週), 新しく買った炭坑が当たって、あさは次々と九州の炭坑を買い進め、加野炭坑は大きくなっていった。榮三郎と雁助の話し合いの結果、ついに加野銀行を3年後に設立することを決定する。いよいよ両替屋の加野屋がなくなることが決まって、雁助は店を去ることを考え、雁助と心を通わせるうめも思い悩み、2人の仲を知るあさも鬱々とする。, 五代の助言もあり、銀行の頭取に榮三郎、その他の会社の社長は新次郎が務めることになる。その五代は、病を押して精力的に働いていたが病が悪化し、東京で療養生活に入って1か月後の、1885年(明治18年)9月に他界する。, 3年後の加野銀行創立を目指して、大蔵省会計監査院で働いていた山崎平十郎を雇い入れる。その翌年、はつが藍之助と菊とともに、10年ぶりに加野屋を訪れる。あさとはつは子育てのことなどを話し合い、藍之助は店の商売に興味津々で、千代ははつの優しさに触れて戸惑う。, 銀行のことに詳しい山崎のおかげで銀行開設の準備も順調に進む中、あさと新次郎は銀行の神様と呼ばれる渋沢栄一にも会い、1888年(明治21年)、あさはこの日のために後藤屋で誂えた洋装で加野銀行開業の日を迎える。一方、雁助は「お母様の働く姿をよく見ておくように」と千代に言い残して独りで加野屋を去って行く。, 創業から3年後の1891年(明治24年)、加野銀行は大阪で10本の指に入るほど大きく成長し、商事部門の加野商店も順調で、榮三郎とさちにも女の子が誕生し近くに新居を構え、新次郎は尼崎の阪神紡績の初代社長に就任する。精力的に働くあさだったが、千代との関係だけはうまくいかなかった。(第16週 - 第17週), 実力有る女性に対して、進路がまだまだ開かれていない現状を知ったあさは、日本初の女性銀行員の募集をかけ、4人の女性を雇うことになる。あさと新次郎が千代の進路について考えていたある日、和歌山から藍之助が働かせてほしいと家出をして来る。数日、加野銀行で丁稚奉公をして喜びを感じていた藍之助だったが、あさの知らせで迎えに来たはつとよのの説得によって、心を残しながら和歌山に帰って行く。, 千代が京都の女学校へ進学し寄宿舎生活に入った後のある日、新次郎の提案で、あさと新次郎は初めて2人だけの旅で、はつのいる和歌山へ行く。はつや惣兵衛たちのもてなしを受けて寛いだ時間を過ごすあさと新次郎だったが、村の世話役・倉掛の話で、みかん農業の厳しさも知る。その後の眉山一家の話し合いで、3年の期限付きで藍之助は再び加野銀行で働くことになる。, 女性行員たちや加野銀行の評判が上がる中、要注意客の一人・成澤泉があさに面談を求める。日本初の女子大学校設立に向けての協力を求められて、あさは即座に断るが、彼から渡された女子教育についての論文を読んで感涙し、支援に乗り出す。女子大学設立資金30万円[注 7]と見積もり加野銀行から融資しようとするが、山崎の反対と成澤の希望により、有志者の寄付で賄うこととなる。東京の教育者・大隈重信を訪ねたりと寄付金を集めに奔走するが、銀行の顧客の金を女子大学設立資金に回していると噂が立ち、取引をやめる客が大勢いると、榮三郎と山崎から苦言される。, その頃千代は、加野炭坑の落盤事故は子育てのために帰阪したことが原因と、あさが公言していたと知り、複雑な思いを抱く。帰省した千代は、あさとの会話を試みるが後回しにされ、複雑な思いから苛立ちをぶつけて大喧嘩になる。直後、あさは恨みを持つ客・萬谷に包丁で刺されて生死を彷徨うが、奇跡的に命を取り留める。(第18週 - 第20週), 病床のあさは、新婚当時や千代が産まれて間も無い時のことを千代に話す。子育てをした時間が今でも宝というあさの言葉で千代の誤解は解け、母娘は心を通わせる。後日、萬屋の逮捕を知ったあさは、彼の心情を推し量らなかった自身の対応を反省し、情状酌量を懇願する。, はつ夫妻や亀助など、入院中のあさを見舞いに様々な人々が訪れる。大隈の妻・綾子は女子大学設立賛同者の署名を集めて見舞いに訪れ、有志の妻たちもあさの活動に心動かされたことを伝えて励まし、最後まであさを支えることを誓う。数か月後にあさは退院し、通院しながら治療に努める。, 一方、眉山家では、菊が山王寺屋復活は不可能と知らされ動揺する。転倒して骨折し病床に就いた菊は、はつの看病を受けるもしだいに衰弱し、家族に看取られながら息を引き取る。眉山家に弔問に訪れたあさは、はつや養之助やうめと共に、体調がすぐれないと聞いた東京の両親のもとを訪れる。重体の母・梨江は、ほどなくして家族に見守られながら息を引き取る。あさは忠興から、幼少時に学問を禁じたことを詫びられ、女子大学設立に役立ててほしいと目白の今井家別荘地の寄付を申し出される。, 1896年(明治29年)春、千代は京都白川高等女学校を卒業し花嫁修業を始める。同じく卒業した千代の親友・田村宜は、あさの秘書見習いとなる。そんな折雁助の妻・ツネから、雁助が仕事中に負傷したとの知らせが届く。(第21週 - 第22週), 雁助が倒れたことが原因で工場経営が傾きかけ、ツネは榮三郎に借金を申し込む。雁助が意識を取り戻して借金話は取り消されるが、この事に因り、榮三郎は加野屋の第三事業として生命保険業への進出を決める。同じ頃、みかん農業を継ぐことを宣言したはつ・惣兵衛夫妻の次男・養之助は20歳を迎え、幼馴染・節と祝言を挙げるが、直後に新兵証書が届く。そして、養之助不在による家業の人手不足を心配して連れ戻しに来た祖父・栄達に応じ、藍之助は加野銀行を辞め和歌山へ帰って行く。, 千代は、あさの入院先の病院で出会った青年・東柳啓介を忘れられない日々を送っていたが、二度と会うことはないと思っていたそんなある日、啓介が旅行ついでに加野銀行を訪ねて来て千代と再会を果たす。2人の様子を見たよのは、千代と啓介の縁談を膳立てしようと考える。よのから話を聞いたあさは、綾子を通じて東柳家に縁談を申し込むが、見合いの日取りが具体化する中、突如啓介から辞退の返事が来る。よのは、悲しむ千代に心を痛めて体調を崩しながらも、謝罪にやって来た啓介に考え直すようすがり頼む。また、あさと新次郎は、官吏として国を動かすことが夢と語る啓介に対し、政府を辞め事業で国を動かした五代についての思い出話をする。それから半年後、啓介は千代との結婚を胸に白岡家を訪れる。千代とともに喜んだよのは、2週間後に静かに息を引き取る。, あさは近々不況が来ると危惧して、優良企業に成長した加野炭坑を売却する。女子大学設立は、創設地を忠興から譲渡された東京・目白の土地に決定し、成澤は発起人大会を開催する。あさは、反対者からの抗議や嫌がらせにも動じず支援に奮闘し続け、1901年(明治34年)、当初の目標入学者数100名を上回る180名の入学者を受け入れ、いよいよ日本初の女子大学校・日の出女子大学が創立する。そしてあさの予感が当たり、「大阪恐慌」が始まった。(第23週 - 第24週), 預金の支払いを停止したり倒産する銀行が出てくる中、加野銀行は預金者への支払いを敢行する。さらに生命保険の重要性に着目したあさはこれを機に生命保険事業の合併・拡大を提案し、加野生命は2社の生命保険会社と合併して淀川生命となる。日本政府の救済融資により大阪恐慌は収束し、加野銀行の預金は増え続け、また淀川生命も飛躍的に契約数を伸ばす。, 千代が無事祝言を終えた頃、体調の急変により病の床に就いた惣兵衛は、家族を集めて自身の人生について言い遺した後に静かに息を引き取る。一方、白岡家では千代夫婦に長女が誕生する。そして、新次郎の身体の異変に気付いたあさは、病院へ行くよう懇願する。(第25週), あさは、余命幾許もないと診断された新次郎との時間を過ごすため、実業家を引退する。夫婦で穏やかな日々を送る中、平塚明ら日の出女子大学の学生3人があさを訪ねて来る。あさに文句を並べ立てるも逆に褒められて唖然とする明だったが、あさを超える女性になると心に誓う。, 最初の卒業生を送り出した日の出女子大学は、財団法人になることが決まる。卒業生の一人の宜は教授就任を見通して欧米への留学を予定し、加野銀行を結婚退職した元女性行員のサカエは、夫から女子大学進学を認められる。こうして、あさの思いが実になってきたことを知った新次郎は、突然倒れ危篤に陥る。そして榮三郎、千代、亀助に思いの全てを伝えた後、あさに「いつもそばにいる」と言い遺してこの世を去る。, 新次郎の四十九日の法要の日、あさとはつは、互いに家を守ってきたことを称え合い、はつは孫の面倒を見ながら家を守り続けること、あさは女性たちの教育支援を続けたいと語り合う。, 6年後、熱心に勉強を続けるあさは、別荘で年1回女性のための勉強会を開くことを決める。その第1回目の勉強会で、家族の女性たちや宜や成澤を集めての講義を終えたあさは、遠方に新次郎の姿を見かける。新次郎の元に駆けつけるうちに若い姿になったあさは、満開の菜の花畑で彼と再会して抱き合い、微笑み交わすのであった。(第26週・完), Weblioでは、統合型辞書検索のほかに、「類語辞典」や「英和・和英辞典」、「手話辞典」を利用することができます。辞書、類語辞典、英和・和英辞典、手話辞典は連動しており、それぞれの検索結果へのリンクが表示されます。また、解説記事の本文中では、Weblioに登録されている他のキーワードへのリンクが自動的に貼られます。解説文で登場した分からないキーワードや気になるキーワードは、1クリックで検索結果を表示することができます。, 月曜 - 金曜16時20分 - 16時35分・16時35分 - 16時50分。原則毎放送日に2放送回分の予定だが、当該時間帯に, ただし、福沢諭吉、大隈重信、渋沢栄一、平塚らいてうなど実在した人物がそのまま劇中に登場する設定もある。, 役名は2015年10月27日第26話のオープニングクレジットには無かったので、『あさが来た メモリアルブック』の登場人物名鑑より, All text is available under the terms of the, http://web.archive.org/web/20160405092638/http://www.asahi.com/articles/ASJ443DB0J44UCVL002.html, “朝ドラ旧作夕方再放送「カーネーション」いきなり国会中継で休止もNHK織り込み済み”, https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/04/10/kiji/20180410s00041000081000c.html, http://web.archive.org/web/20150115131259/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/01/15/kiji/K20150115009630170.html, http://web.archive.org/web/20160305080837/http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2016/03/05/0008863789.shtml, “【あさが来たの舞台裏(7)】“金八節”で難しいせりふもこなす武田鉄矢…物語は東京へ”, http://www.sankei.com/west/print/151218/wst1512180011-c.html, NHK連続テレビ小説「あさが来た」の撮影が、本学の登録文化財『樟徳館』で行われました。, “「かなり体力勝負だな…」ヒロイン演じる波瑠さん 朝ドラ『あさが来た』ロケ現場公開”, http://www.sankei.com/west/news/150519/wst1505190066-n1.html, 「あさが来た」の脚本家・大森美香が舞台裏をすべて明かす!