アラブの春とは、イスラム教徒の中でも多数を占めるスンニ派が少数のシーア派を虐げ、経済の利権などを独占し、, また、スンニ派の独裁政権が長年支配していた体制を変えようと、チュニジア、エジプトなどで反政府運動がおこったことを言います。, ただし、アサド政権はシーア派であり、上記とは逆に人口の多数を占めるスンニ派が反体制派になっています。, 現在の国家元首であるバッシャール・アル=アサド大統領は、お父さんの地位を受け継ぐ形でシリア大統領になった人物です(国民投票を経て)。, そして「アラブの春」によって反体制派が生まれると、武力による鎮圧を行い、多数の犠牲者を出しています。, 米紙ワシントンポストの週刊誌「パレード」の「世界最悪の独裁者」ランキングにて第12位に選ばれたり、, アサド政権は対イスラエル闘争を続けるパレスチナのハマスやレバノンのヒズボラを支援しているとの嫌疑をかけられており、欧米から「テロ支援国家」と名指しされています。, アメリカとの関係が悪化したのは、シリアがイラク戦争後に武装勢力をかくまった(とされている)からであり、日本も彼に対して資金凍結措置をとっています。, 表面的には、自由シリア軍(反体制派とアメリカ諸国)vsアサド政権(ロシアやイラン、中国)です。, 反体制派(アメリカ等含む)の狙いは、シーア派による政権打倒(シリア国民の80%がスンニ派)、民主化を行うこと。武装勢力のあぶり出しです。, こちらは中東利権と地域の管轄を西欧にとられたくないという思惑(ロシアは古来よりこの地域を狙っていますよね)と、, これは2013年の情勢ですが、ここにイスラム国が割り込む形で右上部をとっています。, ただし、首都ダマスカスでは、毒ガス兵器の使用もされ、多数の犠牲者が出ました・・・。, 絶対後悔しないおすすめPS4ソフト(RPG、アクション、ゾンビ)もご紹介しています♪, ご意見や考察・間違いなどございましたら、↓のコメントより教えてくださるとうれしいです。, 日本の出国入国でスタンプが押されなかったので、その対処法です。証印が必要な場面もまとめています。顔認証自動ゲート通過後の出入国印のもらい方と廃止・使い方について解説【出入国審査】. 複雑なシリア内戦の原因と理由、アサド政権問題をすごく分かりやすく解説します。ロシア、アメリカ、イスラム国の関係と思惑とは?アサド政権の何が問題なのか。これからどうなっていくのかも考察し … 8月18日、サリンなどの神経ガスの使用の有無を調査するための国連調査団がダマスカスに入った[301]。, 28日、イギリスが化学兵器の使用を根拠としたシリアへの武力行使を容認する決議案を国連安全保障理事会に提出。しかし中国・ロシアの反対により合意に至らなかった[302]。オバマ大統領はテレビ局のインタビューに応じた中で、アサド政権が化学兵器を使用した事を結論付けたと発言し、軍事介入を示唆した[303]。29日、英国下院が同国によるシリアへの軍事介入を容認する動議を否決した[304]。, 9月4日、アメリカ上院外交委員会は、シリアへの軍事攻撃を条件付きで承認した。地上軍投入は禁止し、軍事行動の期間を最大90日間に限定するなどの内容となっていた[305]。, 9月5日、ロシアのサンクトペテルブルクでG20首脳会議が開催された。経済問題を話し合う場だが、今回はシリア情勢について意見がかわされた。攻撃を主張するアメリカ、フランスに対してロシア、中国は攻撃反対を主張し、その溝は埋まらないまま閉幕した。また、教皇フランシスコは、プーチンに書簡を送り、軍事介入は「無益な努力」だと訴えた[306][307]。, 9月9日、ロシア外相ラブロフは緊急記者会見で、シリアの化学兵器を国際管理下に置き、シリアが化学兵器禁止条約に参加することを要請した[308]。9月12日、シリアのアサド大統領は、ロシアの国営通信RIAノーボスチのインタビューで、この要請に応じる準備があると回答した。また化学兵器禁止条約への署名後、1ヶ月後に化学兵器の情報を提供すると発表した[309]。9月14日、シリアの化学兵器廃棄に向けて、アメリカとロシアは同意し、アメリカやフランスによるシリア攻撃は当面回避される事となった[310]。, 9月27日、安保理はシリアの化学兵器を国際管理下で廃棄させる決議案を全会一致で採択した。9月30日には、化学兵器禁止機関による査察が開始された[311]。, 10月14日、シリアは化学兵器禁止条約の190番目の正式な加盟国となった[312]。, 10月23日、シリアの友人たちのアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、エジプト、ヨルダン、カタール、サウジ、トルコ、アラブ首長国連邦の11カ国が、シリア反体制派の代表とロンドンで会合を開く。将来のシリア政権にアサドを参加させないことでは一致したが、11月に予定されている和平会議に反体制派が出席するかどうかについては決まらなかった[313]。, 10月31日、化学兵器禁止機関は、シリア国内の化学兵器生産施設の破壊が完了したと発表した[314]。化学兵器禁止機関は、予定されていた23箇所すべての施設を破壊した[315]。化学兵器禁止機関の広報官は、シリア政府は、今後、化学兵器を製造する能力は無くなったとしている[316]。しかし、この発表はシリア政府自身の説明に依存する所が大きく、反政府勢力は「これほど迅速に全ての設備が破壊できるものだろうか」と発表を疑問視している。アメリカの政府高官の話として、シリアが化学兵器や設備をどこか他の場所に隠した可能性がある事も指摘されている。化学兵器禁止機関による完全な化学兵器の無力化作業は、2014年6月30日まで続く予定とした[317]。, 11月15日、化学兵器禁止機関はオランダ、ハーグの本部で会合を開き、シリアの化学兵器については、廃棄の優先度の高い兵器をシリア国外に持ちだして、2014年3月末までに処理することなどで合意した。毒性の弱い兵器も、2014年6月末までに廃棄する予定とし、シリアに残った生産設備などは、シリア側が破壊する計画とされた[318]。しかし、処理場所として有力視されていたアルバニアは受け入れを拒否しており、計画通りに廃棄が進まない可能性が示唆された[319][320]。当初、アルバニアのリエディ・ラマ(英語版)首相は、化学兵器の受け入れに積極的だったが、国内の環境団体や学生の反対デモを受け、受け入れ反対に転じたという[321]。他の有力候補とされていたノルウェー、ベルギーも、受け入れを拒否した[322]。廃棄は2014年7月9日より公海上で開始され、同年の8月18日に終了した。これにより発生する分解物質はイギリス・アメリカ・ドイツ・フィンランドで処理されることとなった[323]。, 1月1日、シリアの化学兵器の一部を廃棄処理のため国外に持ち出す作業は、期限内であった2013年12月31日をすぎることが確実になった[325]。, 1月4日、シリアの反体制活動家は、連合してイスラム武装組織ISILを攻撃し、新たな「革命」に乗り出したと語った[16]。, 1月18日、シリア国民連合は、暫定政府を樹立するための和平会議への参加を決定した[326]。, 1月23日、スイスのジュネーブでシリア和平会議が開かれたが、1月31日、具体的な成果を挙げることなく終了した[327]。, 2月6日、シリア政権と国連は、政府軍による包囲が続いている地域への人道支援を認めることで合意した[328]。, 6月3日、大統領選挙実施。投票率73%、得票率88.7%で現職アサドが当選(3期目続投)。反体制派の多くは大統領選挙をボイコットし、正当性は皆無と主張。, 6月30日、ISILの指導者アブー・バクル・アル=バグダーディーがカリフを指導者とするイスラム国家の樹立と自らのカリフ即位を宣言し、組織の名称をISIL(イラクとレバントのイスラム国)からIS(イスラム国)へ改称[329]。, 8月24日、ISはシリア北東部のラッカ県にあるシリア政府軍の空軍基地を制圧、ラッカ県のほぼ全てを手中に収めた[330]。, 8月25日、オバマは、アメリカ軍によるシリア上空での偵察飛行を承認した[331]。, アサド政権は、ISの勢力拡大に対して国際社会と協力する用意があると表明した。これまでアサド政権打倒を目指してきた反政府派を支援してきたイギリスやアメリカの協力も歓迎するとした[332]。, 8月28日、国連ゴラン高原の兵力引き離し監視軍要員43名が武装勢力に拉致されたと発表、この武装勢力は、シリアの反体制派ヌスラ戦線の可能性が指摘された[333]。また、同日28日、ISは先日、シリア空軍基地を制圧した時に捕らえていたシリア国軍兵士500人のうち、160名の処刑を発表、処刑映像を公開した[334]。, 9月16日、ISの軍勢がトルコ国境沿いのクルド勢力の拠点都市コバニ(アイン・アル=アラブ)市街地に侵入、コバニを巡る戦闘が激化。, 2015年1月1日、イギリスのNGO、シリア人権監視団は2014年を通じたシリア国内の戦闘による死者数を7万6,021人と発表。この数字は、2011年3月の戦闘開始以降で最多。死者のうち約18,000人が一般市民[335]。, 2015年1月26日、コバニを防衛していたクルド人民兵組織のYPG(人民防衛部隊)がISの撃退に成功(コバニ包囲戦)。, 3月24日、ヌスラ戦線を中心とするアルカイダ系反政府勢力がファトフ軍を結成。28日、ヌスラ戦線がイドリブ県の県都イドリブを制圧。, 5月23日、ファトフ軍がイドリブ県最後の政府軍拠点ジスル・シュグール国立病院を制圧。, 9月30日、ロシア航空宇宙軍がシリア政府を支援するためISに対しSu-24、Su-25、Su-34による空爆を開始。さらに10月にはカスピ小艦隊の艦艇がイラン、イラク領空を通過する巡航ミサイルによる攻撃を加えた。アメリカ政府は「ロシアが空爆した場所にISILはいない」としてロシアを非難。, 10月12日、シリアのクルド人民兵部隊クルド人民防衛隊(YPG)と、複数のアラブ系反政府勢力などが正式な同盟関係を結び、シリア民主軍(Syrian Democratic Forces、SDF)を結成。, 11月11日、シリア政府軍がISにより包囲されていたアレッポ近郊のクワイリス軍事空港を解放。約2年ぶりに同基地に対する陸路の補給路を確保。, 12月9日、中部ホムスにおいて反体制派が支配してきた最後の拠点ワエル地区で停戦が成立。反体制派が撤退を開始し、アサド政権がホムス全土を掌握。, 12月25日、ダマスカス南部のヤルムーク難民キャンプおよび周辺地区での停戦が成立。ISILおよびヌスラ戦線などの武装勢力が占領地域から撤退。, 同日、シリア軍がダマスカス郊外県東グータ地方にあるイスラーム軍の拠点複数カ所に対して空爆を行い、同組織の最高司令官ザフラーン・アッルーシュを殺害。, 12月26日、シリア民主軍がISとの戦闘の末、アレッポ県東部ティシュリーン・ダム一帯を制圧。, 1月16日、ISがデリゾールで大規模攻撃を実施。一時はISの市内への侵入を許し、住民の虐殺や137旅団基地内の弾薬庫を抑えられる等、人的・軍事的な被害も発生したが、政府軍はハサカ・カーミシュリーからの兵力の引き抜きとロシア軍の空爆支援で対処し防衛に成功。, 現地時間2月27日0時、米国とロシアが呼びかけた全国的な停戦がアサド政権と反体制派の間で成立(ISやヌスラ戦線などのアルカイダ系武装勢力は対象外)。, アサド政権の強固な支持基盤である地中海沿岸部タルゥースでは初めてのISによる大規模テロ攻撃が発生。, 7月25日、シリア軍がヌスラ戦線、アレッポ・ファトフ軍作戦司令室からなる反体制武装集団との戦闘の末、アレッポ市北部のライラムーン地区を完全制圧し、アレッポ市東部地区への封鎖をさらに強化した。これにより、アレッポ市北部とアレッポ市北東部のシリア軍支配地域は面でつながったという。, 7月31日、反体制諸派が政府軍によるアレッポ東部の包囲網を打ち破るべく猛攻撃を開始。, 8月6日、シリアの反体制派が3週間にわたっていた政府軍によるアレッポ(Aleppo)東部の包囲を破ったと発表。南西からアレッポに入る新しいルートを開くことに成功し、政府軍による包囲を破った。形勢は逆転され、ロシアの支援を受ける政府軍が守勢に回るかたちになる。, 8月24日、トルコ軍が自由シリア軍とともにアレッポ県北東部のISおよびクルド勢力支配地域を攻撃(ユーフラテスの盾作戦)。, 9月4日、政府軍は、「同盟諸部隊」とともに、アレッポ市南西部郊外の士官学校(兵器科など)一帯で反体制派を掃討、8月上旬に喪失していた同地を奪還。反体制派の兵站路すべてを再び遮断し、アレッポ市東部街区を再包囲。, 12月13日(日本時間14日未明)、政府軍がアレッポ全土を完全制圧。国連安全保障理事会の緊急会合で「反体制派戦闘員が脱出するための合意ができ、戦闘員は退去を始めた。その過程で政府軍の軍事行動も停止された。」と発表。12月14日、アサドがYou Tube上にアレッポ戦での勝利を祝うインタビューを公開、事実上の勝利宣言を実施。22日、シリア軍武装部隊総司令部が、アレッポ市東部に残留していた反体制武装集団戦闘員の退去が完了し、アレッポ市を解放し、治安と安定を回復したと発表。, 1月23日、シリア政府と反体制派の和平協議であるアスタナ会議が行われたが双方が歩み寄りを見せることはなかった。, 2月23日、トルコ軍とその支援を受ける自由シリア軍がISILからアル=バーブを制圧した。28日、トルコ軍が攻略を目指すクルド勢力の拠点都市にアメリカ軍地上部隊が展開した。, 3月31日、米のドナルド・トランプ政権はアサド政権打倒を最優先する方針を転換することを発表した。露と協力してISやテロリストの打倒を目指す方針を表明。一方、武器援助等で米国の支援を受けていた反政府武装勢力側は、受け入れられないと強く反発した。米国内では上院議員ジョン・マケインがこの政策の転換を強く非難した[337]。, 4月4日、シリア人権監視団により、アサド政権軍による北西部イドリブ県の反政府軍が支配する町への空爆(カーン・シェイクン化学兵器攻撃)があり、少なくとも72人の死者が出て、多数の人が負傷しているとの発表が行われた。発表された映像には、呼吸困難や痙攣などで苦しむ子供や女性の動画が流され、サリンや塩素ガス等の神経ガスを使った化学兵器が使用されたと発表した。国際NGOの国境なき医師団やアムネスティ・インターナショナルはアサド政権の化学兵器を使った空爆による被害であるとして強く非難した。しかしながら、シリア政府軍によって神経ガス攻撃が行われたことの証拠は示されておらず、アサド政権は化学兵器の使用を全否定した。, 4月7日、米政府はシリア政府軍の安全保障理事会の規約を無視した独断的な化学兵器の使用に対し、米海軍の地中海に展開する駆逐艦『ポーター』と『ロス』より59発の巡航ミサイルをシリア国内のシャイラート空軍基地に向けて発射した(シャイラト空軍基地攻撃)[338]。シャイラート基地は化学兵器貯蔵に使われていたため、ここの空軍機が空爆を行ったと判断しここに向けての巡航ミサイルによる攻撃に踏み切ったとした。米政府はISに対しての空爆攻撃は行っていたものの、アサド政権に対する攻撃に踏み切ったのはこれが初めてであった。またトランプは「シリアの独裁者、アサドが罪のない市民に対して化学兵器を使って攻撃を行った。このとても残虐な行為によって可愛い赤ちゃんたちも無慈悲に殺された。シリアの空軍基地に対する攻撃を指示した。この攻撃は化学兵器の使用と拡散をやめさせるための安全保障上、非常に重要な国益だ。」と述べた。またプーチンはアサド政権支持を表明した。日本政府はいち早く米政府の支持を表明した。, 3月31日にアサド政権打倒は優先事項ではないと政策の転換を発表してからわずか1週間後の出来事であった。, 9月4日、政府軍がデリゾールへ到達。9日、SDFがデリゾールへ到達。ユーフラテス川を隔てて政府軍とSDFがそれぞれ対IS戦を実施。, 10月17日、米軍を中心とした有志連合の支援を受けたシリア民主軍がISの「首都」ラッカを完全制圧。, 10月18日、政府軍デリゾール守備隊司令官准将イサーム・ザフルッディーン(Issam Zahreddine)が戦死。20日、スワイダー市でイサーム・ザフルッディーン少将(戦死により昇級)の葬儀が行われた。, 11月9日、政府軍がイラク国境の町アブ・カマルを奪還。11日、ISがアブ・カマルを再度占領。19日、政府軍がアブ・カマルを再度奪還。, 12月3日、YPG司令部がデリゾール県のユーフラテス川東岸(左岸)をISから解放したと発表[340]。, 12月11日、プーチンがシリアのフメイミム空軍基地を訪問。IS掃討完了とロシア軍主力の撤退開始を宣言[341]。, 1月5日夜~6日、シリアに駐屯するロシアのヘメイミーム空軍基地に対してドローン10機、タルトス海軍基地に対して3機による攻撃があり、ロシア軍が撃墜または捕獲したとロシア国防省が発表[342][343]。, 1月20日、トルコ大統領エルドアンが、クルド人勢力の民主連合党(PYD)が支配するシリア北部への攻撃(オリーブの枝作戦)開始を発表。[344]。, 1月30日、ロシアが主導して同国南部ソチで開かれた「シリア国民対話会議」が憲法委員会の設置に合意。会議はアサド政権と反体制派のうち政権に融和的な一部のみが参加し、ジュネーブ和平協議に参加する反体制派代表団「高等交渉委員会」(HNC)は出席を拒否[345]。, 2月11日、シリア政府はYPGがハサカ・コバニ方面からアフリーンへの増援部隊派遣の経路を確保することでYPGと合意。12日、トルコ軍のアフリーン侵攻に対し、YPGがシリア政府に軍事支援を要請。18日、シリア政府とYPGの間でアフリーン市を巡る合意が成立。アフリーン市一帯のシリア政府への移譲と、シリア軍の進駐が決定。20日、シリア政府がアフリーンへの民兵部隊の派遣を開始。22日、シリア政府の派遣した親政府民兵からなる「人民部隊」がアフリーン入り。YPGがアレッポ市内の支配地域をシリア政府に移譲、YPGに代わってシリア軍が同地に展開。, シリア政府軍が反体制派支配地域の東グータへの空爆を激化する。28日、シリア政府軍による18日以降の東グータへの空爆による死者が602人になるその中に子ども147人が含まれている。, 3月9日、政府軍は反体制派の支配下にあるバイト・サワー村を制圧し東グータ地方を南北に分断。10日、政府軍は東グータ地方をドゥーマ市および同市北部一帯、ハラスター市一帯、それ以外の南東部の三つに分断する事に成功。15日、政府軍が東グータ地方中部ハームリーヤ市を制圧、同市住民約2万人が政府支配地域に避難。同日、東グータ地方ドゥーマ市でも市民数千人がシリア政府支配地域に退去。15日、ダマスカス近郊ヤルムーク・パレスチナ難民キャンプで政府軍とISの停戦合意が成立。18日、アサドが東グータの前線を視察。22日、ロシアの仲介により20日に成立したシリア政府とシャーム自由人イスラム運動(シリア解放戦線)の停戦合意に従い、21日に開始された東グータ地方ハラスター市の戦闘員と家族の退去が完了。24日、22日にロシアの仲介で交わされたシリア政府とラフマーン軍団の停戦合意に従い、東グータ地方のアルバイン市から退去を開始。, 4月1日、ロシアの仲介でシリア政府とイスラム軍による東グータ地方ドゥーマ市での停戦合意が成立。2日、イスラム軍が東グータ地方ドゥーマ市からの撤退を開始。, 4月6日、YPGがアレッポ県タッル・リファット市から撤退し、シリア政府軍が引き継いで展開。, 4月8日、シリア政府とイスラム軍の停戦交渉が再開、イスラム軍がドゥーマ市から戦闘員を退去させる事に合意。9日、イスラム軍のドゥーマ市からの退去が再開。, 4月14日、アメリカのトランプ政権はイギリス、フランスとともに、アサド政権の化学兵器に関連するとされる3か所へのミサイル攻撃を行った[346]。, 4月14日、シリア政府軍がドゥーマ市を奪還し東グータ全域の制圧を発表。アサド政権が国土の約6割を掌握[347]。, 4月17日、東カラムーン地方(ダマスカス郊外県)の反体制派が停戦に応じ退去を開始。, 4月19日、イラク政府軍が、シリア東部デリゾール県のIS拠点を越境空爆。36人を殺害したと22日発表[348]。, 5月21日、シリア軍は激しい戦いの末にダマスカス南部からISを駆逐し、首都とその近郊を完全に支配下に置いたと発表。, 東グータの陥落に伴い、反体制派がアサド政権中枢であるダマスカス官庁街を攻撃する手段を完全に失った事で、アサド政権の存続は確定的となり、アラブの春に端を発し、アサド政権打倒を目指して始まったシリア内戦は事実上の終焉を迎えた。しかし、シリア全土の奪還を目指すアサド政権に対し、イドリブを中心とした北西部に撤退した反体制派は抗戦を続け、ロジャヴァからユーフラテス川東岸を実効支配するシリア民主軍もアサド政権と一定の協調はしつつも勢力圏の維持を図り、欧米やトルコなども依然として支持勢力への支援を継続して継戦能力を維持させ、アサド政権の施政権を阻むことで、内戦の様相はアサド政権打倒から分離・独立に近いものへと変化している。, 12月19日、トランプ大統領がツイッターで「IS(イスラム国)を打倒し、歴史的勝利を収めた」とし、シリアからの米軍の撤退を発表。, 12月28日、YPGの要請によりアサド政権が北部のマンビジに政府軍部隊を投入。YPG側は政権軍受け入れの理由を「トルコの侵略からの防衛」と説明[350]。, 1月11日、米軍を主体とする有志連合の報道官が、撤退作業を開始したと発表[351]。, 1月13日、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相が、内戦下のシリアで、アサド政権支援に展開するイラン系部隊などを標的に数百回の空爆を行ったことを公表[352]。, 1月16日、シリア北西部マンビジでISによるテロが起き米兵ら5人が死亡[353]。, 1月21日~22日、イスラエルがシリア国内のイランの軍事施設に対し空爆を実施[354]。, 2月22日、シリアにおけるIS最後の拠点バグズで夜間行われた空爆でパリ連続襲撃事件の犯行声明を出したテロリストファビアン・クランの死亡が確認された[357]。, 3月10日、内戦発火点の一つであるダルアー中心部で、ハーフィズ・アル=アサド元大統領(政権軍を率いるアサド大統領の父親)像が再建される[359]。, 3月23日、シリア民主軍がシリア内のIS最後の拠点バグズを解放。これによりシリアでISの支配地域は消滅[360]。, 7月1日、イスラエル軍とみられる空爆がダマスカス、ホムスで起こり15人が死亡、北キプロスにシリア軍が応戦したミサイルが飛来したが死傷者はなかった[364]。, 7月11日、ドイツの裁判所はISに参加し男性と結婚したドイツ人女性と子供の強制帰国させるべきと初の判断を下した[366]。, 8月16日、キルギスはシリアとイラクの難民キャンプにいるキルギス国民を帰国させる活動を開始した[369]。, 8月20日、反体制派を支援するトルコ軍の車列がイドリブ県への越境を試みるも政府軍の攻撃により足止めとなる、この攻撃で3人が死亡した[370]。県を支配していたHTSがハンシャイフンなどの主要地域から撤退[371]。, 8月23日、北西部のモレクにあるトルコ軍の監視拠点周辺をシリア政府軍が掌握する[372]。, 8月30日、ロシアがシリア政府軍がイドリブ県で31日早朝より停戦に入ると発表[373]。, 8月31日、SDFはシリア東部にてラッカで100人を処刑したとされるISの外国人戦闘員拘束を発表。この外国人戦闘員は2016年ブリュッセル爆発事件に関与した疑いが持たれている[374]。, アメリカ軍がイドリブ県のイスラム過激派へミサイル攻撃を行った。この攻撃による死者は少なくとも40人と見られている。, 1月3日、アメリカ軍がバグダッドでシリア内戦にも深く関わっていたイラン革命防衛隊の司令官ガーセム・ソレイマーニーを殺害。, 2月5日、シリア政府軍が二つの幹線道路M4とM5が交差する交通の要衝サラキブを掌握。, ※M5はアレッポからダマスカスを経て、ヨルダン国境へと続く、シリア西部を南北に結ぶシリア最長の幹線道路。, 2月16日、シリア政府軍がアレッポ市北西部の反体制派支配地域を制圧。アレッポ市全域がシリア政府統治下に復帰。, 2月27日、シリア政府軍が反体制派を支援するトルコ軍を空爆、トルコ兵33人が死亡。, 2月29日、トルコ軍がシリア政府軍拠点を空爆、シリア政府軍兵士26人とヒズボラの民兵10人が死亡。, 3月1日、アサド大統領が戦死者・戦傷者・行方不明者家族に対する補助金支給を定めた2020年政令第5号を施行。, 3月1日、ダルア―県で治安維持の為にサナマイン市に駐留しようとしたシリア政府軍と、シリア政府と和解していた元反体制派が衝突。, 3月3日、1日にダルア―県でシリア政府軍と衝突した元反体制派メンバー26人が、ロシアの仲介でイドリブ県に退去する事をシリア政府と合意。, 3月5日、ロシアのプーチン大統領とトルコのエルドアン大統領がシリア北西部の情勢を巡りモスクワで会談、6日未明から停戦に入る事に合意。, 2011年2月5日に予定されていた抗議行動の数日前、シリア当局は多数の政治活動家を拘束した。その中には例えば、イスラム民主化運動の指導者である実業家のガッサーン・アン=ナジャール[376][377]、作家のアリー・アル=アブドッラー(en:Ali al-Abdallah)[378]、シリア共産党(en:Syrian Communist Party)のアッバース・アッバース[379]、また、アドナーン・ムスタファーなど数名のクルド系政治活動家も含まれている[380]。, 2月14日、学生ブロガーのタル・アル=マローヒー(en:Tal al-Mallohi)がアメリカ合衆国のスパイとして有罪を宣告され、禁固5年の刑に処せられた。米国政府はこれを否定し、アル・マロヒの速やかな釈放を求めた。2月15日、人権団体の圧力を受けてシリア政府はガッサーン・アン=ナジャールを釈放した。彼は大衆の抗議を喚起したとして逮捕されて以来ハンガーストライキを続けていた[381]。, 3月22日、シリア当局は人権運動家のロアイ・フセインを拘束した[382]。3月25日には、抗議者たちに対する大規模な逮捕監禁が行われているとの報道があった[117]。, 2017年2月、アムネスティ・インターナショナルは、ダマスカス北方のサイドナヤ刑務所において、反体制派の拷問と処刑が行われていると指摘。2011年以降、最大13,000人が形式だけの裁判を経て絞首刑にされたとする報告書をまとめている[383]。, 2011年4月29日、アルジャジーラのドロシー・パルヴァーズ(en:Dorothy Parvaz)がダマスカスに入ったが、それ以降の連絡がなくなった[384]。その後シリアを国外退去となり、イラン当局に拘束されたが5月18日までに釈放された[385]。, 2011年2月5日、インターネットサービスが制限を受けたといわれているが、FacebookやYouTubeについては3日後に復帰したと報告されている[386]。制限の緩和は活動家の追跡につながるとの指摘があった[387]。, 2011年3月19日、立法府法令第35条により、アル=アサドは陸軍の徴兵義務期間を21か月から18か月に短縮した[388][389]。, 3月20日、シリア政府は、3月6日に民主化を求める落書きを書いたとして逮捕した15名の子供たちを釈放すると発表した[104]。, 3月23日、地方法令第120号により、ダルアー県知事のファイサル・アフマド・クルスーム(Faisal Ahmad Kolthoum)を解任した[4][390]。, 3月24日、アル=アサドのメディア顧問であるブサイナ・シャアバーン(en:Bouthaina Shaaban)は、政府に「非常事態法の解除と政党の許可を検討する」用意があると述べた。シリア政府も、個人課税を引き下げること、公共部門の月給を1,500シリア・ポンド(32.60USドル)から引き上げることを発表し、報道の自由を広げること、雇用機会を増やすこと、および汚職を減らすことを約束した[111][391][392]。, 3月26日、シリア当局はセドナヤ刑務所に捕らえられていたイスラム主義者など200人(別の情報では70人)程の政治犯を解放した[393]。, 3月27日、ブサイナ・シャアバーンは非常事態法の撤廃を承認したが、その時期については言及しなかった[119]。, 3月29日、ムハンマド・ナージー・アル=オトリー(英語版)内閣が総辞職。オトリー首相以下全閣僚がアル=アサドに辞表を提出した[121]。, 3月31日、アル=アサドは、数十年間続いている非常事態法に代わる法律を検討するための法律専門家からなる委員会を立ち上げた。この委員会は4月25日までに検討を終わらせるとしていた。アル=アサドは、ダルアーやラタキアにおけるシリア市民や治安部隊の死について状況を調査するための司法委員会も立ち上げた[394]。, 4月6日、教師が再びニカーブ(en:Niqāb)を着用することを許されるようになり、政府がこの国唯一のカジノを閉店させたことが報じられた[135]。, 4月7日、アル=アサドはホムス県知事を解任し、ハサカ県東部に住む数千名のクルド人たちに国籍を与える法令を公布した[395]。また、シリア人権監視団は、ラッカ東部で拘束されてから1年以上になる48名のクルド人が解放されたと述べた[396]。これはシリア北西地域に住むクルド人に公民権を与えることについて、アル=アサドがクルド人部族指導者たちと会合を持った翌日のことであった。尚、シリアでは1962年の国勢調査によって数十万人のクルド人が市民権を剥奪されていた[397]。, 4月16日、アル=アサドは国民議会に向けたテレビ演説において、彼の政府が次週までに非常事態法を撤廃するであろうと言明した。彼は市民と政府との間に意見の隔たりがあり、政府が民衆の願望に対して関心を持ち続けなければならないことを認めた[146]。その日の遅くに、彼はシリア内閣(en:Cabinet of Syria)の新しい大臣を迎え、より具体的な内容(英文による全文)を含む演説を行った。彼は「統一国家、政府と国家機関と国民の協調」を求めていくことの重要性を説き、多様なチャンネルを通じての対話と協議、民衆の支持、信頼、および透明性が必要であることを強調した。また、市民へのサービス、安全、および尊厳に対する要望と、改革との間の相互関係について説明した。彼はクルド人の市民権が最優先の課題であるとし、週内あるいは翌週までに非常事態法を撤廃すること、混乱や破壊工作を防ぐためにデモを規制すること、政党法、組織と選挙に関する地方行政法、および新しいメディア法の制定について、全て期限を設けた形で明言した。続いて、失業、経済、農業政策、投資誘致、公共部門と民間部門、裁判、汚職、贈収賄、税制改革、および政府の無駄の削減について述べた。また、政府の取り組みとして、市民団体、大規模組織、および労働組合との緊密な協調のみならず、参加型民主主義、電子政府、地方分権、有効性と効率性についても言及した。, 4月19日、シリア政府によって非常事態法を撤廃する法案が承認された[398]。この二日後、アル=アサドは立法府布告第50条に署名して法律とした[148][149]。, 4月30日、アーデル・サファル(en:Adel Safar)首相は次週までに改革の総合的な計画を作成すると発表した。この計画は、政治改革と治安・司法改革、経済改革と社会政策、及び行政と政治の進歩発展の三分野に及ぶ[399][400]。, 2011年3月22日、ガーディアン紙の報告によれば、シリア当局はアサド支持集会を開催し、社会不安が破壊者たちや侵入者たちによって引き起こされているという宣伝を行ったとされる[401]。3月25日、ダマスカスでアサド支持集会が開催された[117]。, 2011年3月8日、国営シリア・アラブ通信(SANA、en:Syrian Arab News Agency)は、ウェブサイト上で「アル=アサド大統領は、2011年3月8日以前に為された政治犯罪に対して恩赦を与える法令を公布した」と題する文章を掲載した。この文章は3時間後に削除されている[402]。数時間後、バアス党が権力を握った1963年シリア・クーデター(en:1963 Syrian coup d'état)の記念日に関する恩赦として、シリア当局は、アル=アサドに対する最も率直な批評家であり80歳になる元判事のハイサム・アル=マーリフ(en:Haitham al-Maleh)を釈放した[403][404]。シリアにある12の人権団体は政府に対し、50年近くにわたって続いている非常事態宣言を廃止することを求めた[405]。, 3月12日、釈放されたハイサム・アル=マーレフはYouTubeの映像において、抗議運動の新たな波の背後にいるシリアの若者たちに対して自らへの支持と支援を求め、シリアにおいて民主主義の実現が近付いていることに期待を示した[406]。, 2月16日、政権批評家であり、シリア民主主義・自由機構(ODFS)の理事を務めるリバル・アル=アサド(リファアト・アル=アサドの息子であり、バッシャール・アル=アサド大統領のいとこにあたる)は、ロンドンで記者会見を開き、彼がシリア革命ではなく平和的な権限委譲を望んでいることを表明した[407]。4月5日の会見においてリバル・アル=アサドは、シリアに内戦の恐れがあることを警告し、以下のように述べた[408]。, エジプト出身のイスラム法学者ユースフ・アル=カラダーウィーは、「残虐行為」を行っているシリアの「弾圧的政権」に対する蜂起への支持を表明した。彼はバアス党政権に勝つことを訴え、反乱において軍隊が主要な役割を果たすという意見を述べた[457]。カラダーウィーは、「今日、革命の列車がシリア駅に到着した。それはいずれ辿り着く運命にあった。シリアをアラブ国家の歴史から引き離すことはできない。」と表現し、全てのアラブ人はシリア蜂起を支持するであろうと述べた[458]。カラダーウィーが数年間参加しているムスリム同胞団は[459][460]、アラウィー派支配から脱却しスンナ派の台頭を求めるウラマーと共にこの蜂起を支援した[461]。, シリア騒乱を確認できないというインターネット活動家たちからの批判にさらされる中、アルジャジーラは、政権交代に大きな影響力を持つシリアの主要野党の分析を提供した。野党には、シリア民主人民党、ムスリム同胞団、シリア国民救済戦線、シリア正義発展運動、シリア改革党、アラブ社会主義者運動、アラブ社会主義連合、革命労働者党、共産党など(シリアの政党を参照)が含まれる[462]。2011年3月9日、アルジャジーラはシリアにおける政治的な抑留者に関する分析を報告し[463]、2日後には恩赦の布告に政治犯が含まれていないことについて多くの活動家が不満を表しているとする特別番組が報じられた[464]。アルジャジーラは「アラブの春」ポータル内にシリア騒乱のインターネットページを立ち上げた[465]。, 3月23日、デイリー・テレグラフ紙の外信部長であるコン・コクリン(en:Con Coughlin)によるコラムが同紙に掲載され、その中で罪のない抗議者たちを守るためシリア上空に飛行禁止空域を設定することが求められた[466]。, 12月7日、アメリカABCテレビ(電子版)はアサド大統領へのインタビューで次のように伝えた。デモ弾圧について「死亡した大半の人々は政府の支持者。国民を殺したりはしない」と述べ、弾圧の責任はなく、大統領の辞任を拒否した。経済制裁に関しては「われわれは孤立していない」。[467][468], キリスト教徒(その大半は東方教会)への排撃や抑圧が問題となる中[14]、こうした状況を憂慮し、シリアにおける教会を支援する動きが広がっている[469][470]。, 2016年2月に国連の調査委員会はシリアの現状について、国外の政府・勢力による代理戦争が行われており、「戦争犯罪が横行」した結果、「国家として崩壊寸前」であるとした[471]。2016年現在、21世紀最大の人道危機が生じているとされる。, 2019年3月15日、イギリスの監視団体は、内政発生8年が経過した時点の内戦による被害概要として、死者37万人以上(民間人約11万2000人を含む)、避難や亡命を余儀なくされた者約1,300万人、被害総額は数十億ドル規模などを推測している[472]。, 内戦によって多くの農民が農地から逃げ出し、用水路・綿工場・農業機械・貯蔵設備は損傷を受けた。エネルギー資源の不足も相まってシリアは深刻な食糧難に陥り、食料価格は高騰している[473]。