・世界史botもやってます:@neta_Sekaishi. この戦争にかかった費用は、それぞれアメリカ大陸・フランス国内への課税へと向けられる。 この戦費調達のための両国の課税が市民の反発を招き、後にアメリカ独立戦争・フランス革命を引き起こすのは … 2019.01.21 ポルトガル・スペインが先陣を切った大航海時代。これを機にヨーロッパの海外進出がものすごい勢いで展開されていきます。, ちなみにポルトガルが日本と交易を行っていたことは小学校の頃習いましたよね。1543年、種子島に流れ着いたポルトガル商人が持ち込んだ鉄砲が日本の戦争を大きく変えました。それ以降のポルトガル・スペインとの貿易を南蛮貿易と呼びましたね。, イギリス・フランスは、互いの領土を巡って大戦争を行った。この戦争にかかった費用は、それぞれアメリカ大陸・フランス国内への課税へと向けられる。. ©Copyright2020 Histrace -共通テスト世界史Bを楽しく学ぶ-.All Rights Reserved. ・twitter:@history_contact フランス革命とは, 世界史の中でも代表的な「アメリカ独立革命」または「アメリカ独立戦争」とも言われています。. またスペインからフロリダを獲得した。(スペインはフランスからミシシッピ川以西のルイジアナを獲得している), つまりこの時点で、フランスはアメリカ大陸にて一切の植民地を奪われてしまったのです。, この戦費調達のための両国の課税が市民の反発を招き、後にアメリカ独立戦争・フランス革命を引き起こすのはまた次のお話。, 16cのスペインによるポトシ銀山の採掘、18cのイギリスなどによるタバコ・サトウキビのプランテーションに使われた労働力が黒人奴隷だ。, 黒人奴隷は西アフリカからアメリカ大陸へと強制連行され、過酷な労働を強いられます。この黒人奴隷を捕らえるために、ヨーロッパからは旧式の武器が輸出されていました。(この黒人奴隷を連れてきたのは現地の白人に限らず、黒人が黒人を捕らえて売り払うことも行われていました。), そして黒人奴隷を使役してアメリカ大陸で栽培されたものを、ヨーロッパへと輸出します。, この三角貿易によってヨーロッパは一気に裕福になります。無償労働を強いられ大幅に損をしている黒人がいるということは、大幅に得をしているヨーロッパ人がいるということです。この三角貿易で特に資本を蓄えたイギリスが、次に産業革命へと駒を進めることになります。, ▪お問い合わせ ・メール:restart1861@gmail.com f-kakumei@kaisetsu. 2017/12/6 2016.12.03 【ホンシェルジュ】 1776年に採択された「アメリカ独立宣言」は、アメリカだけでなく世界の民主主義に大きな影響を与える歴史上の転機となりました。この記事では、背景や内容、影響、そして関わりの深いリンカーン大統領についてわかりやすく解説していきます。 フランス革命とは?について簡単にわかりやすく、またフランス革命までの流れ・背景なども解説しています。, 2017/12/6 共通テスト世界史B解説(通史)tky1942, 1498年、ポルトガルのヴァスコ・ダ・ガマがインドのカリカットに見事到着しました。インドへの東廻りでの航路を発見したことを皮切りに、ヨーロッパとアジア間での貿易が一気に活発化します。, 香辛料は高温多湿な環境でしか育たないため、ヨーロッパではほとんど自生していませんでした。でも、香辛料と肉は合う!だからみんな欲しい。そして人が欲しがるものは、お金になる!だったら香辛料貿易を成立させようじゃないかと多くのヨーロッパの国がアジアへと乗り出すのです。, が香辛料貿易・アジア貿易にはすでに先約がいます。それがムスリム商人です。オスマン帝国やマムルーク朝など、イスラム国の商人たちがインドの貿易利権を独占しており、これまでヨーロッパにアジアの商品を流してきました。, まずポルトガルは1510年にインドのゴアをポルトガル領にして、アジア貿易の拠点とします。, ここを拠点にしてスリランカ(セイロン島)・マラッカ王国・モルッカ諸島などを次々と占領していきます(特にモルッカ諸島は香辛料島と呼ばれるほど、貴重な香辛料が取れる島であったため激しい奪い合いが今後行われます), 1517年には、ポルトガルは中国の明と交易を開始します。1557年にはマカオという中国の港町にポルトガル人の居住権が認められます。それほど、明とポルトガルには強い繋がりがありました。, 1580年にフェリペ2世によってポルトガルがスペインに併合されましたよね。その60年後の1640年にはポルトガルは独立を果たすのですが、その併合から独立までの間にイギリス・オランダに次々とポルトガルの築いてきたアジア貿易拠点を奪われていってしまったのです。, 西廻りでインドへとたどり着こうとしたスペインは、1522年にマゼランが世界一周を成し遂げましたよね。その過程でフィリピンに寄っています。これがスペインの最初のアジア到達です。, フェリペ2世がフィリピンを領有し、マニラという都市を拠点にアジア貿易を開始します。フィリピンのマニラと、メキシコを結んだ貿易ネットワークです。, が、スペインはアジア貿易をそれほど大規模に展開することは出来ませんでした。それほど太平洋は広すぎたのでしょう。, オランダは1602年にオランダ東インド会社を設立して、アジア貿易を本格化させます。, 貿易にはまず拠点が必要ですから、インドネシアのジャワ島にあるパタヴィアをポルトガルを排除して占領します。, 1623年には、アンボイナ事件をきっかけにイギリスをインドネシアの貿易から排除しました。これによってイギリスは東南アジアを諦めて、インド経営に力を注ぎます。, 1624年には台湾を占領、1652年にはアフリカ最南端のケープ植民地を建設して東南アジア貿易の中継地としました。 またオランダは、日本が鎖国を行った1639年以降も唯一交易を行っていた国ですよね。, 1600年に作られたイギリス東インド会社を中心として、貿易を行います。インドのマドラス・ボンベイ・カルカッタはイギリスの有名なインド拠点です。, イギリスではクロムウェルの共和政の時代、1651年に航海法を定めます。これによって中継貿易に依存していたオランダは大打撃を受けます。こうなったらもうオランダにとって戦争するしかありません。, 1652年に英蘭戦争が3度に渡って行われ、結果イギリスの勝利に終わり海上覇権はオランダからイギリスに移ります。, しかし、航海法によってオランダ船はイギリス・およびイギリスの植民地に停泊できなくなりました。こうなると、インドネシアからオランダへ帰る途中に、インドに停泊しよう〜ということができなくなってしまったのです。オランダは寄港地がなくなってしまいます。, オランダ・イギリスの影に隠れて、フランスも海洋国家の道をなんとか後追いしようとします。, ルイ14世の財務長官コルベールが、1664年にフランス東インド会社を再建して貿易ネットワークの確立へと動き始めます。, 17cにはインドのポンディシェリ・シャンデルナゴルを占領して、貿易の拠点にします。(これはそれぞれイギリスのマドラス・カルカッタに対抗しようと近くの都市を占領しています), 1756年の七年戦争で、イギリスとフランスは互いに違う国を応援しました。ヨーロッパでのこの戦争に呼応して、インドでもイギリスVSフランスの戦争が起きます。 フランス革命の少し前、海を挟んだ大陸でも革命が起こりました。世界史の中でも代表的な「アメリカ独立革命」または「アメリカ独立戦争」とも言われています。さてフランス革命とアメリカ革命の違いとは何だったのでしょう。植民地アメリカアメリカはそもそも アメリカ独立とフランス革命を、「大西洋の両岸で起きた世界史的な変革」として見てみると、共通点や共通の背景が見られます。 その一つが、神に頼らず、理性で物事を判断してゆこうという啓蒙思想で … 当時の中南米ではエンコミエンダ制によって、インディオを奴隷のように働かせることが認められていたので、ポトシ銀山でも多数のインディオが採掘に駆り出されました。, しかし過酷な労働環境・ヨーロッパからの疫病の伝染によって多数のインディオが亡くなったことで、労働力が不足し始めます。, そこで新たな労働力として西アフリカから黒人奴隷が運び込まれました。黒人奴隷たちは、金銀の採掘・砂糖やタバコを生産するプランテーションに使われました。, 1621年、オランダは西インド会社という南北アメリカ⇔西アフリカを結ぶ貿易会社を設立します。事業の一環として、北アメリカ東岸に、ニューネーデルラント植民地を建設します。(この中で発展した都市がニューアムステルダム), 1607年に、イギリスは北アメリカに初進出し植民地を建設します。4年前に亡くなった処女王エリザベス女王にちなんで、ヴァージニアと名付けられます。, 続くジェームズ1世のピューリタン弾圧に反発した、ピルグリム・ファーザーズが1620年に辿り着いた先が、ニューイングランド植民地です。, 17c初めにフランスは、カナダへと進出してケベックを中心に植民地を増やしていった。, ルイ14世の時代には、アメリカの南岸のミシシッピ川流域のルイジアナ植民地という広大な土地を手に入れます。, イギリスとフランスの戦いはヨーロッパ本土では飽き足らず、世界各地でも行われました。両国は、17c初めから1815年のナポレオン戦争終結の約100年間対立しあったので、かつての大戦争になぞらえて第二次英仏百年戦争とも呼ばれます。, 1701年にハプスブルク家を巡るスペイン継承戦争がヨーロッパで行われると、互いに支援する国が対立したイギリスとフランスは、同時期にアメリカ大陸でも戦争を行います。, それがアン女王戦争です。これはオーストリア側を支援したイギリスの勝利に終わり、ユトレヒト条約によって北アメリカ地域をフランスから奪います。, 1740年にオーストリア継承戦争がヨーロッパで行われると、アメリカ大陸ではジョージ王戦争が行われた。引き分けに終わったので、あまり重要ではない。, ヨーロッパの七年戦争と並行してアメリカ大陸で行われた、フレンチ=インディアン戦争。(他にもアジアでプラッシーの戦いが行われた), この戦争は18世紀に起きた世界を巻き込んだ大戦争であり、1763年のパリ条約でイギリス側の勝利に終わった。, イギリスはフランスから、カナダとミシシッピ川以東のルイジアナを獲得。