civil rights movement, オレンジコースト大学、カリフォルニア州立大学フラトン校、横浜市立大学にて、アメリカ社会の歴史、日系人社会の歴史を含めるアジア大洋州系アメリカ人社会のを学ぶ。現在はいくつかの学会に所属しつつ、独自に日系人社会の歴史、とりわけ日系人社会と日本社会を「つなぐ」ために研究を継続している。また外国に「つながり」をもつ日本人という特殊な立場から、現在の日本社会における内向き志向、さらには排外主義の風潮に警鐘を鳴らしつつ、日本社会における多文化共生について積極的に意見を発信している。(2016年12月 更新), * ディスカバー・ニッケイは、全米日系人博物館の企画によるもので、日本財団からの助成金を元に運営されています。. ニューヨーク・タイムズにも本の紹介記事が出ていた。, *2:アンカーベイビーとは、アメリカで出産された非合法移民の赤ん坊のこと。アメリカで生まれた子どもは自動的にアメリカ国籍になるため、親がアメリカ国内に移民するための錨(=アンカー)として使われることから, To All The Boys I've Loved Before | Official Trailer [HD] |…, photo by JeepersMedia ノースカロライナ州で、先週水曜日に、…, アンカーベイビーとは、アメリカで出産された非合法移民の赤ん坊のこと。アメリカで生まれた子どもは自動的にアメリカ国籍になるため、親がアメリカ国内に移民するための錨(=アンカー)として使われることから, アジア系である必然性一切なし(笑)キュートなラブコメ映画『好きだった君へのラブレター』, トランプ支持者の頭の中 :シリコンバレーのリベラルな僕が、全国の100人のトランプ支持者と会って話し…, ノースカロライナ州の「反LGBT法」の中身って何?企業の反応は?この後どうなるの?, インドのお見合い番組『インディアン・マッチメイキング』と東南アジアの「カラリズム」. 最近出たアジア系アメリカ系の歴史についての本を紹介しながら、アメリカのアジア系移民の歴史について触れている。, 1928年に、インド系移民のヴァイシュノ・ダス・バガイは、借りていたサンノゼの部屋でガスをオンにし、自らの命を絶ちました。彼は、37歳。彼は「この土地を自分のものとできるよう望み、夢見ながら」、妻と2人の子供と13年前にサンフランシスコに来ていました。賢い彼は、英語を学び、スリーピースのスーツを着こなし、アメリカ市民に帰化し、サンフランシスコのフィルモアストリートに雑貨店と輸入事業を開始しました。しかし、バガイがバークレーの家に家族と共に引っ越そうとした時、隣人は家に鍵をかけ、バガイ一家をは荷物を載せたトラックをひきかえさなくてはなりませんでした。1923年に、バガイは反アジアの法律にがっちり絡め取れていることに気づきました。最高裁は、その南アジア人は白人ではないため、米国の帰化市民になることができないという判決を出したのです。バガイは彼の在留権を剥奪されました。白い事業に侵入し、また彼の財産と彼のビジネスを失うことを意味し、その状態を農場-失うからアジアを阻止するように設計された人種差別的な法律の1913年のカリフォルニア外国人土地法--アジア人たちが白人のビジネスや農場に侵入することを防号として制定された人種差別的な法律--のもとでは、在留権を失うことは彼の所有物もビジネスも一緒に失うことを意味していました。彼がインドを訪問しようとしたときに次の一撃が来ました。米国政府は、彼に英国のパスポートを申請するよう助言したのです*1。, 1965年10月3日に署名された移民国籍法の50周年に合わせて出版されたエリカ・リーの『The Making of Asian America』によると、多くの状況によってバガイは崩壊してしまいました。サンノゼの部屋には、抗議の意味でサンフランシスコの新聞紙である『イグザミナー』紙にあてられた遺書が遺されていました。「自殺者から世界への手紙」とされたこの遺書で、バガイはこう書いています。「わたしは、自分自身と子どもたちのために一体何をすることができたのでしょうか?」バガイは書いています。「私達は自分の権利を行使することはできません。この屈辱と侮辱、一体誰の責任なのでしょうか?私とアメリカ政府です。あちらの道には障害物、こちらの道は封鎖中。背後の橋は焼かれています。」, バガイの叫びは、植民地主義と経済的苦難から逃げ出したあげくに、人種差別で腐敗した別の国にたどりつくだけだった他の多くのアジア系アメリカ人--中国人、日本人、インド人、韓国人、ベトナム、カンボジア、モン族、およびフィリピン人--にも共通するものだったかもしれません。リーが著書で示すように、人種差別はアジア系アメリカ人の経験において、求心力をもたらす要素であり、非常に異なった23種類の地域から集まってきたアジア系移民グループを引き寄せました。人種差別は、アメリカでアジア人が得ることができる仕事、家族の大きさ、および彼らの自尊心を決定しました。もし、「アジア系アメリカ」が存在するとしたら、それはシステマチックな人種差別の産物といえるでしょう。, 数週間前、ドナルド・トランプは、ステージに登り、 日本風(それとも中国風?)のひどい訛りを真似し、日本人が魂のない強欲なビジネスマンであるという古いステロタイプを示しました。これは、ジェブ・ブッシュが、彼の「アンカー・ベビー*2」という言葉は「ラテン系に対してというより、アジア系について言ったものだ」と弁解をした直後のことでした。9月には、米連邦捜査局(FBI)は、テンプル大学の中国系アメリカ人の物理学者であり、中国に敏感な超電導技術に渡しTとして5月に逮捕されたXi Xiaoxing博士に対する訴追をようやく取りやめました。FBIは、それが技術の青写真を持っていたと主張していたが、独立した専門家が設計図を調べたとき、それらは問題となっていたデバイスのためのものではないことがわかりました。「彼らが私のすることすべてを理解することは期待していない」と博士はTimes誌に述べています。「しかし、私を逮捕する前に、専門家に相談しなかった事実?私の家族をこの揉め事に引き入れたこと?私の評判を残ったこと。彼らはこれを行うべきではありません。これは冗談ではありません。これはゲームではありません。」, これらはもちろんのほんの最近の物語です。しかし、彼らの背後には多くの似たような立場の人がいます。アジア系アメリカ人は、仲間である市民の多数から「その他」とみなされています。それでも、アジア系アメリカ人のなかには、人種差別的な行為を指摘するのに気がすすまないとする人もいます。その理由のひとつは、他の少数民族と比較して、アジア人が持つとされている特権のせいです。一方、アメリカで500年に及ぶアジアの歴史の大部分は、忘れられてしまっています。, 500年にも渡るアジア系移民の歴史!わたしはそのことについて全然といっていいほど知らない。例えば、ナチスドイツがユダヤ人を収容した「アウシュビッツ」や黒人奴隷を描いた「アンクルトムの小屋」は聞いたことがあっても、第二次世界大戦中に、日系人が収容された「マンザーナ」は聞いたことなかった。日系収容所の話だけではない、日本人だけでなく、中国系などからだんだん排斥され、「白人を守る」という理由で、ビジネスや不動産の所有が禁じられ、移民が禁じられていた時期があった。ヨーロッパからの移民の帰化は「同じ白人なので」という理由で認められても、アメリカで教育を受け、クリスチャンでもあった日本人の帰化は「白人でないから」と認められなかった。アメリカってそんな国だった時代があるんだ!, 1965年に移民法のルールが変わり、ビザの割当が国や地域ごとではなく、家族や技術ベースになった後、アジア系移民はどっと増えたけど、その前からアメリカで生きてきたアジア系移民がいるんだなーと。, ある意味では、二つのアジアンアメリカがあるといえるでしょう。5世紀に渡る、制度的な人種差別によって形作られたものと、1965年の法律以降に形作られた、より上品めいたバージョンです。これら二つのアジアのアメリカは、構造プレートのように重なりあい、時には不協和音をたてます。たとえば、中国系アメリカ人とインド系アメリカ人が、国で最も繁栄したグループなのに対し、韓国系アメリカ人、ベトナム系アメリカ人の中で、フィリピン系アメリカ人などの収入は平均よりも低いものです。全体的に見た中国系アメリカ人の繁栄は中国系アメリカ人のための平均より高い貧困率を覆い隠しています。2000年には、アジア系アメリカ人は、大学の学位を持っている可能性が平均より高いですが、4年間以下の教育しか受けていない割合は、白人の5倍も高いのです。, 「アジア系」と一言でいってもいろいろなんだな。アジア系は勤勉だとか優秀だとかいう逆のステロタイプが広まっているけれど、それも事実ではない。この本を読み、この国で暮らしてきた日系移民、そしてアジア系移民の歴史をもっと学んでみたい。 日系移民とアメリカの歴史(〜1900年代). Our Nima-kai community includes people around the world interested in learning about and sharing the Nikkei experience. 1873年にはアフリカ生まれおよびその子孫にも帰化が認められた。. 米国大手の調査機関、『PEW リサーチ・センター』は本日19日、アジア系の合法移民に関する世論調査の総括的報告書を発表した。アジア移民の母国は、中国、日本、韓国、インド、フィリッピン、ベトナムの6カ国で、この6カ国のアジア系移民グループは米国の全アジア系移民の83%に匹敵する。PEWによると、近年、これらのアジア諸国からの移民数が急速に増えていて、ヒスパニック系合法移民の数を超過している。特に顕著な傾向は、近年のアジア系合法移民は、教育背景、永住権取得率、収入、異人種間の融合性、仕事の倫理観、英語力などが他の人種のグループよりはるかに優れている。, 調査したPEWが特記しているのは、これらアジア系移民の大半は大卒で、「米国歴史上、もっとも高学歴の移民がアジアからの入国者だ」と述べている。25歳から64歳の61%は大卒であり、特に日本および韓国からの移民の70%は少なくとも大卒だと言う。歴史上、アジア系移民は、無学で技術もなく、貧しい移民が多かったため、頻繁に差別や人種偏見の対象になっていた100年前と比較して、かなり状況が変わっている。, 近年のアジア系移民は、世界のどの国の移民よりも永住権を受理している割合が3倍高いという。家族との再結合が最も共通した永住権の取得目的であるが、それ以上に合法的就労による移民も増えているという。また、PEWの調査によると、2010年のアジア系移民の中間収入は、66,000ドル、白人は、54,000ドル、米国人一般は49,800ドル、ヒスパニック系は40,000ドル、黒人が33,300ドルとなっていて、収入ランクもアジア系移民がトップである。, アジア系移民は米国での融合性も高く、異人種間結婚が米国では珍しくなくなっている。フェイスブックの創設者マーク・ザッカーバーグは、最近結婚したプリシラ・チャンは中国系アメリカ人であり、白人以外の人種と結婚した人口層の37%に属しているそうだ。これら6カ国のアジア系移民のうち、異人種間結婚の率が最も高いのは、日本人で、最も低いのはインド人だそうだ。更に、アジア系移民は、一般的に勤勉であり、69%のアジア系移民が「一生懸命働く」という観念を持っており、58%の一般的な米国人に比較して、仕事の倫理観が高いという。また、93%のアジア系移民が母国の国民を、「一生懸命働く」と評価している。, 英語力に関して、アジア系成人移民の74%は、米国以外の国で生まれているが、このうち50%は英語力良好だと言う。2010年度の米国国勢調査局の資料に基くPEWの調査によると、現在、米国に住んでいる中国人は約400万、フィリッピン人340万、インド人320万、ベトナム人170万、韓国人170万、最後に日本人が最も少なく130万である。3億を越える米国の全人口からするとアジア系移民は少ないが、様々な角度から優れているという評価は、すでに、10年以上前から知られている。アジア系移民の米国社会で果たす役割を再認識させられる。. アジア系アメリカ人(アジアけいアメリカじん、英語: Asian American)は、アメリカ合衆国の市民のうち、アジアに起源を持つ人々のこと。, アメリカ国籍を有するアジア系アメリカ人を指す。アジア系アメリカ人の内、最も多いのは2011年時点で中国系となっている。中国系は、アジア系の23.2%を占める。以下、フィリピン系、インド系、ベトナム系、韓国系、日系と続く[2]。, 最も古いアジア系の移民はフィリピン系であり合衆国独立以前の16世紀に当時の宗主国であるスペインの船でやってきた[3] 。, 2014年3月、カリフォルニア州の上院議員であるリーランド・イーがチャイナタウンのマフィアらと共謀し、銃器密売や恐喝、贈賄を行なったとして連邦捜査局に逮捕された。, アジア系アメリカ人は出自別では全米で最も経済的に成功している。2012年3月に発表された米国雇用機会均等委員会の調査によると、世帯毎の平均年収はアジア系が53,401ドル、白人が50,349ドル、ヒスパニックが49,873ドル、黒人が44,333ドルとなっており、アジア系が首位を確保している。[4], アフリカ系アメリカ人より高くヨーロッパ系アメリカ人よりは低い二級の立ち位置と言われている。アフリカ系アメリカ人が最下層となる白人至上主義的な社会の恩恵を受けていたため同じマイノリティであっても連帯は乏しくロス暴動などで標的となったこともある[5]。, http://factfinder.census.gov/servlet/IPTable?_bm=y&-geo_id=01000US&-qr_name=ACS_2007_1YR_G00_S0201&-qr_name=ACS_2007_1YR_G00_S0201PR&-qr_name=ACS_2007_1YR_G00_S0201T&-qr_name=ACS_2007_1YR_G00_S0201TPR&-ds_name=ACS_2007_1YR_G00_&-reg=ACS_2007_1YR_G00_S0201:031;ACS_2007_1YR_G00_S0201PR:031;ACS_2007_1YR_G00_S0201T:031;ACS_2007_1YR_G00_S0201TPR:031&-_lang=en&-redoLog=false&-format=, https://web.archive.org/web/20130514082254/http://sankei.jp.msn.com/world/news/120703/amr12070310190001-n1.htm, A Study of the Africans and African Americans on Jamestown Island and at Green Spring, 1619–1803, https://web.archive.org/web/20121127200048/http://www.indiacurrents.com/articles/2007/05/16/indian-slaves-in-colonial-america, “Federal Worker Pay By Race: Asians, Whites Make The Most”, http://dcentric.wamu.org/jp/federal-worker-pay-by-race-asians-whites-make-the-most/, チャイナタウンのレストランはなぜ略奪されたのか? 背景にある、黒人とアジア系アメリカ人の複雑な関係性, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=アジア系アメリカ人&oldid=79540376. この帰化法が、日本をはじめとするアジア系移民の帰化を拒否する法的根拠となった。. アジア系アメリカ人(あじあけい あめりかじん、英: Asian American)とは、アジアに起源を持つアメリカ人。 ニッケイスポーツでは、最も多く星を獲得したストーリーをサイトの他の言語へ翻訳します。ニマアカウントへログインして、投票してください。, 「ニッケイスポーツ」への投稿作品を読み、ニマ会コミュニティのお気に入り作品の選択にご協力ください >>, ディスカバー・ニッケイは、互いにネットワークを広げ、日系の体験談を分かち合う場です。プロジェクトを継続し、より良いものにしていくためには、皆さまのご協力が不可欠です。ご支援お願いします!, ユーザー名は半角英数字でご入力ください。(空白文字、句読点、特殊記号などはご利用できません。), Copyright © 2005-2020 Japanese American National Museum, JAリビングレガシーが制作したタカキ先生への感謝の気持ちをこめた動画をご覧ください>>. ランス・オ・メドーのヴァイキング入植地跡. アメリカ合衆国の歴史(アメリカ がっしゅうこくのれきし)では、アメリカ合衆国の歴史について述べる。 経過 植民地時代以前(先コロンブス期) 詳細は「ノース人によるアメリカ大陸の植民地化」を参照. 奴隷解放宣言(1863年). 大半は、 19世紀 半ばの 南北戦争 以前に アフリカ ( サハラ砂漠 以南の ブラックアフリカ )から 奴隷貿易 によりアメリカに連れてこられた 奴隷 の 子孫 である。 アジア系アメリカ人研究は、新しく誕生したエスニック・スタディーズから枝分かれするようにして誕生し、研究者や学生らによって、今まで光が当てられることのなかったアジア系の歴史を広めるための運動がはじまりました。 日本語 1980年代のアメリカ移民の出生国は、ヨーロッパ10.5%、アジア42.9%、アメリカ43.3%である。 ③不法移民 1970年代以降は不法外国人労働者が目立ち始め、1986年時点での不法入国者または不法滞在者は300~500万人、1000万人以上だとも言われた程である。 Meet some of our Nima: このストーリーが気に入りましたか?気に入ったら または アカウントの作成をして、星を投票しよう! Português, ジャーナルセクションに新しい機能を追加しました。コメントなどeditor@DiscoverNikkei.orgまでお送りください。, 2009年5月26日、長年にわたって多発性硬化症と闘ってきたロナルド・タカキ先生が、自らの命を絶ちました。彼がおよそ四半世紀にわたって闘病生活をしていたことはすでに人々の知るところではありましたが、突然の訃報に、多くの人々が驚かされました。, タカキ先生は、アメリカ社会におけるアジアや大洋州につながりをもつ人々ついて研究する学問、アジア系アメリカ人研究(Asian American Studies)の発展・確立に貢献した人物のひとりです。そして、彼の発表した“Strangers from a Different Shore”(1989年発表)と“A Different Mirror”(1993年発表)は、アメリカの歴史学における重要な研究成果であると同時に、アメリカ社会の多様性を理解する教材として、多くの学生に読まれています。, アジア系アメリカ人研究が誕生した背景には、1960年代の公民権運動が挙げられます。当時、キング牧師のリーダーシップのもと、アフリカ系の社会的地位向上のための運動が全米で繰り広げられました。アフリカ系に触発されたアジアにつながりを持つ人々が、おたがいに手を取りあい、連帯を強め、みずからの社会的地位を向上しようと立ちあがったのが、アジア系アメリカ人研究誕生のきっかけとなりました。, 1963年、キング牧師が中心になって、人種差別撤廃を求めるデモ更新を行った。(写真:ウィキぺディア), さらには、この運動のさなか、加州大学で歴史学を教えていたユウジ・イチオカ先生が、アジア系アメリカ人(Asian Americans)という概念を提唱し、これがこの運動における追い風となりました。アジア系という概念をとおして、日系、中国系、韓国系、フィリピン系、インド系など、国境や宗教、文化習慣の垣根を越え、人々は団結し、人種差別や、積年のネグレクトに立ち向かいました。, アジア系アメリカ人研究が生まれた直接のきっかけは、1968年の桑港州立大学での学生運動でした。当時の学生や若い研究者たちは、マイノリティ事情を研究するための学部の創設を、大学に要求しました。運動にかかわった人々は、マイノリティの、マイノリティによる、マイノリティのための学問をつくることによって、みずからの歴史に目覚め、アメリカ社会に、先人たちの「貢献」を伝えることが必要だと考えていました。, 当時、州立大学の学長をつとめていたのは、日系カナダ人の言語学者サムエル・イチエ・ハヤカワ(Samuel Ichiye Hayakawa)でした。著名な共和党員であり、強硬なタカ派として知られた彼は、若い学生や研究者らの要求に断固反対の態度をとったことから、多くの人々の反感をかったのみならず、日系人社会において「憎まれ者」となりました。日系人の敵が、じつは、同じ日系人であったことは、さらなる皮肉でもありました。, 桑港州立大学での学生運動は、ついにはバークレーの加州大学など、近隣の大学に広がり、1969年、大学側はエスニック・スタディーズ(Ethnic Studies、民族研究)学部の創設を認めるにいたりました。アジア系学生による運動は、学生側の勝利に終わりました。, そして、最初の学部長には、人類学者のジェームス・ヒラバヤシ先生が任命されました。アジア系アメリカ人研究は、新しく誕生したエスニック・スタディーズから枝分かれするようにして誕生し、研究者や学生らによって、今まで光が当てられることのなかったアジア系の歴史を広めるための運動がはじまりました。, また、アジア系アメリカ人研究では、過去の歴史の再評価のみならず、学生や研究者の教育にも、熱心に取りくみました。先述のタカキ先生、イチオカ先生、ヒラバヤシ先生のみならず、長年にわたって羅府の加州大学で社会学を教えていたハリー・キタノ先生、東海岸の大学で教鞭をとっているゲイリー・オキヒロ先生など、多くの著名な先生方の貢献によって、アジア系アメリカ人研究は、学問としての基礎を堅固なものにすることができました。, その結果、アジア系アメリカ人研究は、近隣の大学のみならず、全米の主要な大学にも広まりました。加州大学ではバークレーと羅府のキャンパスにおいて学部が創設され、さらには、1987年には東海岸のコーネル大学にも、学部が創設されました。, 1980年代になると、アメリカ社会において人種や民族のサラダボールという考え方が人々のあいだに浸透し、多様性が尊重されるようになりました。このころになって、アジア系アメリカ人研究は、アメリカの学界にその地位を確立することができたといえるでしょう。, ところが、1990年代になると、アジア系アメリカ人研究をとりまく環境が大きく変化しました。多様性を尊重する社会を認める人々が増える一方で、宗教が規定する厳格な道徳観や保守的な考え方に傾倒する人々の一部から、エスニック・スタディーズの本質は、意図的に差別の構造を深刻なものにするもので、いわゆる逆差別をもたらすなどという、根拠に乏しい主張がでてきました。, さらには、2001年9月11日に米国中枢同時多発テロ事件が起こり、アジア系アメリカ人研究は、新たな時代に直面しました。中東系やイスラム系のみならず、シク教徒にたいするヘイト・クライム、ヘイト・スピーチに続き、レイシャル・プロファイリングの是非が問われました。さらには、いわゆる愛国法(US Patriot Act)が施行され、国家の安全保障を大義名分に、人々の権利を制限すべきだという考えに賛同する人々が増え、マイノリティ寄りであるというレッテルの貼られたアジア系アメリカ人研究は、その意義が大きく問われました。, また、アジア系アメリカ人研究をはじめとするマイノリティ研究は、アメリカ社会に深刻な分裂をもたらすという、極端な考えを主張する人々がでてきました。その背景には、ヨーロッパやオーストラリアにおける多文化政策の問題に代表される、国際規模でのマイノリティ問題がありました。, 依然として、アジア系アメリカ人研究をとりまく環境は、非常に厳しいものです。近年の不況により、アジア系アメリカ人研究をはじめとするマイノリティ研究は、大学への予算削減のあおりをうけています。そのような状況であっても、アジア系アメリカ人研究にたずさわる人々は、過去のアジア系アメリカ人の歴史を伝えていくことで、アメリカ社会に自由、正義、平等などの大切さを発信することを続けています。, 多様性の時代をむかえたとはいえ、単一民族や島国根性という言葉に代表される日本社会においては、アジア系アメリカ人研究という学問は、アメリカ社会特有のものであると受けとめれがちです。しかしながら、アジア系アメリカ人研究は、多様性にたいして寛容な精神をつくり、人々の社会参加と社会的包摂を促すことで、持続可能性のある社会をつくるための「教訓」を日本社会にもたらすものであると、わたしは思います。, 追記:JAリビングレガシーが制作したタカキ先生への感謝の気持ちをこめた動画をご覧ください>>, Asian American movement