アイデア, 社会, そこで今回は「そもそもポピュリズムとはなにか?」「ポピュリズムはなぜ起こるのか」「ポピュリズムの問題点」「ポピュリズムの解決方法」など、どこよりも詳しくポピュリズムについて丁寧に解説いたします。. ホームステッド法(Homestead Act)とは、1862年にアメリカ合衆国大統領エブラハム・リンカーンが公布した西部での農民創出法のことです。, ホームステッド法はアメリカが西部へと進出していく際、重要な意味をもった法律です。そのため、当時の社会的な背景と制定の歴史を理解することをオススメします。, このサイトは人文社会科学系学問をより多くの人が学び、楽しみ、支えるようになることを目指して運営している学術メディアです。, ぜひブックマーク&フォローしてこれからもご覧ください。→Twitterのフォローはこちら, まず、1章ではホームステッド法の「内容」「背景」「タウンシップ制との違い」をそれぞれ解説していきます。, 冒頭の確認となりますが、ホームステッド法とは1862年にアメリカ合衆国大統領エブラハム・リンカーンが公布した西部での農民創出法のことです。, ちなみに、1エーカーは4,046.86m2で、160エーカーだと 647, 497.6 m2になります。. ホームステッド法とは、1862年にアメリカ合衆国大統領エブラハム・リンカーンが公布した西部での農民創出法のことです。この記事ではホームステッド法の内容から社会的な背景、そしてインディアンへの影響までわかりやすく解説しています。 日本と密接な関係にあるアメリカ合衆国についての現地日本人レポートです。今回のテーマは「アメリカとメキシコの関係」です。大統領選挙でも話題になった、アメリカとメキシコの間にある問題や課題など、実情について解説します。 トランプ政権は好調なの?トランプ大統領の政策とは?度々メディアを賑わせる発言の数々・・・その真意と日本への影響は?時系列を用いながらわかりやすくまとめてみました。 By - NEWS ONLINE 編集部  更新:2019-07-17, ニッポン放送「飯田浩司のOK! ターナー『アメリカ史における辺境』(北星堂書店), 歴史学者であるターナーは西部への爆発的な人々の移動を統計を用いて丁寧にに説明し、街が創設される際に誰が最初に訪れ、どのような職業の人々がどの順番で街に入ってくるかを明らかにしています。, オススメ度★★ ジョン・スタインベック『怒りの葡萄(The Grapes of Wrath)』(新潮文庫), 初版が1939年に出版された「怒りの葡萄」は1940年にピューリッツァー賞も受賞した米国の小説です。舞台は1930年代の大恐慌の時代のオクラホマの農家で、西に対しての夢と現実の差が描かれたおすすめの作品です。, 一部の書籍は「耳で読む」こともできます。通勤・通学中の時間も勉強に使えるようになるため、おすすめです。, Amazonプライムは、1ヶ月無料で利用することができますので非常に有益です。学生なら6ヶ月無料です。, などの特典もあります。学術的感性は読書や映画鑑賞などの幅広い経験から鍛えられますので、ぜひお試しください。, リベラルアーツガイドは、質の高いコンテンツを作成し続けるためにご支援をお願いしています。詳しくは下記ページをご覧ください。, 当メディアは純広告(メディア内に設置する広告)を募集しています。詳しくは以下のページをご覧ください。, 1862年にアメリカ合衆国大統領エブラハム・リンカーンが公布した西部での農民創出法のこと, アメリカ合衆国は歴史上かってないほどさまざまな地域から移民を大量に受け入れてきた国, 西部地域の人々が北部の共和党を支持するようになり、戦況は北部の合衆国側が有利になっていきました。, (東京ドームの面積が、0.468km2だから、一つの街(セクション)は東京ドーム6、7個分の大きさになる), ロッキー山脈の西側の土地には不毛な土地も少なくなく、20世紀に入って大規模な灌漑計画が実施される以前は広大な土地であっても収益があげられないこともあった, アメリカ市民が最低6カ月間その土地に居住し開墾すれば、1エーカーあたり1.25ドルの支払いで所有権を取得できる, また、その市民が5年間その土地に居住し開墾すれば、無償でその土地の所有権も取得できる, 主要産業は商工業であり、1860年代のアメリカ製品はヨーロッパの製品に対して品質は近づきつつあった, 自国産業を守りさらに発展させていくために外国から輸入される製品には高い関税をかける保護貿易を求めていた, また、製品を作り出す工業において重要なのは物を作り出す機械であり、特に奴隷制度を維持しなければならない状況ではなかった, 主要産業は綿花栽培など黒人奴隷の廉価な労働力を使って世界市場に向けて特産農産物を大量に生産するプランテーション農業, 特に綿花はヨーロッパに輸出されていたために、南部地域の人々は輸出制限を受けにくい自由貿易を求めていた, 土地の測量上、ひとつのタウンシップは一辺が6マイル(9.7km)の正方形として計算, ひとつのセクションは一辺が1マイル(1.6km)の正方形と規定したため、街区(1セクション)の面積は1.6km×1.6kmで2.56km2になる, ホームステッド法とは、1862年にアメリカ合衆国大統領エブラハム・リンカーンが公布した西部での農民創出法のことである, 1870年以降は、乾燥地帯における農業開発も盛んに行われるようになった(農機具が改善され、乾燥農法と共に乾燥に耐えうる品種が発明される), 西部が発展し人口が増えることは東部を中心とする工業生産地の製品の市場が拡大することを意味した, アメリカ国内で工業と農業の両方をまかなえる構造を作り出すことができ、外国に依存する必要のない自立的な国家として発展を続けることが可能になった, 南北戦争が起きる10年前の1851年、ミネソタに居住していたダコタ・スー族は、長く狩猟場としていた地域をお金と引き換えにアメリカに譲渡した, その一方で、毎年政府から年金として小麦粉などの食料の配給を受けることに同意し、狭い居留地に強制的に移住させられた, 1862年には居留地事務所からの食糧配給も滞りがちになりダコタ・スー族は飢餓状態に陥る中、4人のダコタ・スー族の戦士が白人農場主ともめごとを起こし農場主の一家を殺害した, ダコタ・スー族は、4人の殺害者を合衆国の地方政府に引き渡すよう求められ、族内で協議を行うものの部族の不満は最高潮に高まり白人と交戦が開始された, 戦いはミネソタ州全土で6週間続き、アメリカ軍の兵士と入植者の死者は500名におよんだ, 一方で、先住民側の死者数は把握されていないものの最終的には合衆国軍に鎮圧され、303名の先住民が殺人者として告訴され軍法法定で死刑の判決を受けた, その後、エブラハム・リンカーンはミネソタ州からすべてのスー族を排除することを宣言し、先住民と交わしていた居留地の契約も解消し領土を没収した, ホームステッド法はタウンシップ制としばしば比較されるため、両者の違いに注意が必要である.  公開:2019-07-17 (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); ホームステッド法の内容自体はそれほど重要ではないかもしれませんが、この法律が制定される社会的な背景はしっかり押さえる必要があります。, それはアメリカの西部進出や南北戦争などに、ホームステッド法が大きな意味をもつからです。それぞれ解説していきます。, ご存じの通り、アメリカ合衆国は歴史上かってないほどさまざまな地域から移民を大量に受け入れてきた国です。, 榊原胖夫と加藤一誠(著)の『アメリカ経済の歩み』では、人口の増加が以下のように述べられています。, 植民地時代から1860年までは人口は、ほぼ23年ごとに2倍になっていきました。1650年の人口が5万人、1776年米国が独立してから14年後の1790年には390万人、南北戦争時には約3,000万人でした。, 詳細な歴史の記述は省略しますが、重要なのは独立を達成したアメリカは広大で未開な辺境の地(西部のフロンティア)への進出を目論んだことです。, それは西部開拓の観点からいえば、ホームステッド法の制定は拡張主義の勢いをより加速させるものだったからです。, 西部拡張のイデオロギーとなったのは「マニフェスト・デスティニー」です。簡単にいえば、西部拡大は神に与えられた使命であると考える思想です。, 積極的に西部開拓を進めてきたアメリカでしたが、独立から80年以上が経過し、併合する州が増えるのにつれて、北部と南部との経済的な利害が対立するようになっていきました。, このような南北の対立が顕著になるなか、1860年11月6日に共和党から出馬したエブラハム・リンカーンが選挙戦に勝利します。, すると、翌月サウス・カロライナ州(南部)は州大会を開催し、満場一致でアメリカ合衆国連邦から脱退することを決定しました。1861年2月にアメリカ合衆国から離脱し、7つの州によって成るアメリカ連合国(Confederate States of America)を設立することなります。, そして、民主党員のジェファソン=デヴィスをアメリカ連合国の大統領に選出され、2か月後の4月に、南北戦争の火ぶたが切られます。(*戦争と共に、ヴァージニア、アーカンソー、テネシー、ノースカロライナ4州が加わり、アメリカ連合国は11の州で構成されることになりました), そして、南部の11州が去ったアメリカ合衆国議会の中で「ホームステッド法」は可決され、1862年に公布されました。, 当初、南北戦争の戦況は南部優勢で進んでいきましたが、「ホームステッド法」という西部農民への優遇措置を公布したことで、西部地域の人々が北部の共和党を支持するようになり、戦況は北部の合衆国側が有利になっていきました。, さらに1863年リンカーンが「奴隷解放宣言」をしたことで、世論は北部側を支持するようになっていきます。, 同年7月には、北軍はゲティスバーグの戦いに勝利すると戦況は決定的になり1865年に北軍の勝利で南北戦争は終結します。, ちなみに、アメリカの公有地を無償で払い下げ、独立自営農民(ヨーマン)を増やしていこうとする活動は、1840年代からアメリカ国内で始まっており、1850年代には、ホームステッド法の議案が何度も議会に提出されました。, しかし、西部に自由農民が増えることに対して南部は以下のような理由から反対しました。, しかし、1861年2月に南部の州がアメリカ合衆国から脱退したことにより、議会では、ホームステッド法の賛成派が多数を占めるようになり本法案が可決されたのです。, さて、ホームステッド法はタウンシップ制としばしば比較されますので、両者の違いに注意が必要です。ここでは、簡潔に解説します。, この公有地条例では、まず、アパラチア山脈の西、オハイオ川の北、ミシシッピ川の東の土地を10の邦(state)に区分するを規定しました。, 日本の京都が碁盤の目になるように計画されたように、新しくできる邦(state)も碁盤の目になるようにアメリカ政府は計画し公有地法の中で定めたのです。, また、公有地法において36街区(Section)中、1街区(Section)は公的な教育施設に割り当てるように定めており、1つのタウンシップの中の1セクションは教育施設を建てるように計画していました。, ホームステッド法の最大の特徴は、5年間その土地に居住し開墾すれば無償でその土地の所有権を取得できるという点です。, 国家財政確保に苦慮していたアメリカ政府にとって、公有地売却による収入は重要な財源であったため、ホームステッド法以前の公有地は有償でした。, このようにみると。ホームステッド法の5年間の開墾で無償という法律はヨーロッパの人々をもひきつけるほどの有利な法律であったといえます。, ちなみに、アメリカ政府が公有地の測量方法と売却価格の規定を初めて定めたのは、ホームステッド法成立の77年前の1785年のことでした。, 「公有地法」または「公有地条例」とも言われるこの法律の英語名称は「Land Ordinance of 1785」といいます。公有地法は何度か修正が加えられましたが、ホームステッド法成立までの公有地についての有効な法律であり続けました。, さて、2章ではホームステッド法がアメリカ社会に与えた影響を「西部開拓」と「インディアン」の項目からみていきましょう。, 移民を西部に向かわせた理由にはヨーロッパにおいて飢饉が発生したり、各国が政治的に不安定になったりなどの多様な要素が考えられますが、ホームステッド法の成立が移民を引き付ける一因となったことは間違いがありません。, 当初、独立自営農民を増やすことを目的にしたホームステッド法でしたが、ロッキー山脈の西側の土地には不毛な土地も少なくなく、20世紀に入って大規模な灌漑計画が実施される以前は広大な土地であっても収益があげられないこともあったといわれています。, ホームステッド法の成立により多くの移民が西へと膨張していきましたが、不利益を被ったのは先住民であるネイティブ・アメリカンです。, ネイティブ・アメリカンの歴史や居留地、カジノなどのついては次の記事で詳しく解説しているので、詳細な記述は省略します。, 1622年から1890年に至る期間の白人入植者による先住民の征服戦争は「インディアン戦争(Indian Wars)」と総称で呼ばれます。当初は小競り合い程度の争いであったものが大規模な戦闘状態に突入していったのは、南北戦争が開始され、ホームステッド法が成立して以降のことでした。, なかでも、ダコタ戦争(Dakota War)はとても有名です。概要は以下のとおりです。, その後も白人とインディアンとの闘争は続き、各部族単位で活動していた先住民たちが連合を組み合衆国軍のカスター中佐の第7騎兵隊を全滅させるような戦いもありましたが、1890年には戦闘状態は完全に終結しました。, インディアン戦争が終結した年は、合衆国の国税調査局長が1890年にフロンティアラインの消滅を報告した年と一致しますが、これは偶然のことではありません。, ホームステッド法が施行された時代とは合衆国の西部開拓の時代と言い換えることもできます。今回はこの時代の雰囲気やフロンティアラインが西に移動していく様子をイメージするのに有益な本を含めて、おすすめ本を紹介します。, オススメ度★★★ 古矢旬『アメリカニズム―「普遍国家」のナショナリズム』(東京大学出版会), アメリカ史をアメリカの視点から理解するの重要な本です。アメリカ史を専門とするならば、読んでおきたい本。, オススメ度★★★ フレデリック J. アメリカで黒人男性が白人警察官に喉を押さえ付けられて亡くなった事件をきっかけに、根強い人種差別に対する抗議が国内外で行われています。 何が起こっているのか、完全に把握したり理解したりすることは難しいですが、少しでも知るために、報道やsnsでの動きを調べました。 移民により様々な人々がその地で生活をします。 そこで問題となるのが治安の悪化です。 移民はどのような人々が移り住むかわかりません。 移民にまぎれてテロリストが入国する場合もあります。 トランプ政権が発足し、5か月位が立ちますが政策は一体どんな政策なのでしょうか? わかりやすくまとめてみることにしました。 そしてアメリカの政治に対するみんなの感想も客観的視点の為に聞いてみたいと思います。 スポンサーリンク [ad] トランプ政権の政策をわかりやすくまとめてみた! 「いったい民主主義とは何なのか」と問われているという話ですよね、この難民、移民の問題は。 飯田)そもそもヨーロッパ的、近代的な国の成り立ちというものが、同じような民族であったり、同じルーツの人たちと固まった方が外に対して強いとか、そういう要請もあって始まった国民国� 2018/12/14 FM93AM1242ニッポン放送 月-金 6:00-8:00, 忙しい現代人の朝に最適な情報をお送りするニュース情報番組。多彩なコメンテーターと朝から熱いディスカッション!ニュースに対するあなたのご意見(リスナーズオピニオン)をお待ちしています。, 当ウェブサイトに掲載の記事、写真などの無断転載、加工しての使用などは一切禁止します。. Cozy up! Cozy up!」(7月17日放送)にジャーナリストの佐々木俊尚が出演。トランプ政権がメキシコ国境での移民申請を厳格化するというニュースについて解説した。, アメリカ、トランプ政権は15日、メキシコ国境での難民申請の要件を16日から厳格化すると発表した。メキシコを経由してアメリカを目指す者たちが難民の受け入れ制度を悪用しているとし、不法移民対策を強化する。, 飯田)NYのダウ平均株価が上げていて、昨日(16日)は少し下げましたが、27335ドル63セント。前の日と比べて23ドル53セント安い。景気絶好調だから難民が押し寄せているという話もあります。, 佐々木)それもあるでしょうね。よく誤解されるのですが、移民と難民は違うという話をきちんと定義しておく必要があります。シリアや中東から難民がヨーロッパに押し寄せているということがありました。あのときに、難民の人たちにインタビューしている映画を観たのですが、多くの人がパキスタンから来たと言っていたのです。, 佐々木)なぜパキスタンからと聞かれて、パキスタンは経済的に困窮しているからと答えていました。経済難民という言い方もありますが、一般的な難民の定義とは紛争地から国を追われ、住むところを追われた人たちです。命の危険がある場合を難民と言う。経済的に困窮しているから、他の国に出稼ぎに来る人は移民なのです。そこをまず切り分ける必要がある。この問題を話すと、必ずここが混ざってしまっている。, 2018年10月29日、ベルリンで記者会見するドイツのメルケル首相(ゲッティ=共同) 写真提供:共同通信社, 佐々木)もう1つは、非白人の移民に対して国へ帰れと言ってみたり、確かにトランプさんの言うことは過激すぎると思います。一方で、こういった移民問題について「移民の流入を制限しましょう」という発言に対して、圧倒的に多くの人が支持しているという現実もあるのです。実際、ヨーロッパなどでも、シリアの問題などが影響しているのか、例えばドイツのメルケル首相が「大量に難民を受け入れます、100万人」と言った瞬間に、支持率が急落しましたよね。実際に問題やトラブルなども頻発しています。いま、ヨーロッパではリベラリズム政党が移民、難民の制限を口にするようになっているという状況があり、それを人権侵害だと批判するだけでは、もはや解決しきれなくなっている現実を我々は一体どう受け入れるのか。難しいですよね。, 飯田)いままでだったら安価な労働力だということもあり、積極的に受け入れ、人道面でも受け入れるべきだというようなところがありましたが。, 佐々木)そう言っていれば、何となくリベラルな仕草としてよろしいという話になっていたのですが、これだけ移動が自由になっていて、しかもヨーロッパなどは典型ですが、移民が流入することによって本来持っていたヨーロッパのリベラリズムという、白人の間で共有されていた理念そのものが、イスラムの流入によって破壊されている。そのことに対して懸念を抱いているリベラルな白人がいっぱいいるのです。この何とも言い難い、価値転倒した状況を一体どうするのか。, 飯田)リベラル、中間層以下の白人からすると、「何で俺たちよりも移民手当をしているのだ。誰が税金を払っているのだ」という話になって来る。, 佐々木)だからアメリカにも結局、ポリコレみたいなものが流行りすぎて、LGBTや非白人の黒人などが大事にされすぎた結果、「俺たちは忘れ去られた」と怒った中西部などの貧困層の白人が、トランプ大統領を支持したということになる。そういう状況があるわけです。「いったい民主主義とは何なのか」と問われているという話ですよね、この難民、移民の問題は。, 飯田)そもそもヨーロッパ的、近代的な国の成り立ちというものが、同じような民族であったり、同じルーツの人たちと固まった方が外に対して強いとか、そういう要請もあって始まった国民国家という概念そのものが崩れて来ている。, 佐々木)そもそも、「自由、平等、博愛」みたいな理念を共有できるところからスタートしているのです。共和国とはそういうものですよね、フランスなどを考えると。ところが、その理念を共有しない人たちが流入して来た場合に、それでも共有が続けられるのかということです。フランスの多文化主義は、いろいろな人が流入して来ても受け入れましょうとやった結果、いまや多文化主義は崩壊したと言われてるのですよ。結局そこは多文化主義ではなくて、共和国の理念みたいなものがあるとしたら、その理念に賛同してもらわない限り駄目だと。だからブルカ禁止のようなことをやる。そして、それはそれで人権侵害ではないかと言われてしまう。, 佐々木)それを気にするかどうか。気にするということが、リベラルな理念に賛同すると見なす。要するに宗教は一切、学校内に持ち込まない。宗教を持ち込まないという理念が、イスラムの政治と宗教は一体であるという理念に反するということです。理念同士がぶつかってしまう場合、一体どうするのかという問題になって来るのです。この問題は日本も避けられない状況になって来るのではないかという感じはしますね。, 飯田)他方では、アメリカは建国の由来からして、移民の国です。そこにはネイティブアメリカンの迫害などもありましたけれど、それは脇に置くとして。移民の国であり、そこで理念を共有し、言葉を共有するというところで統合して来たのだけれど、その国であっても、やはり統合しきれない。, 佐々木)実体経済が成長し続けた近代においては、そこは包摂、吸収できたのです。しかも、それは安価な労働力の供給と、先ほど飯田さんがおっしゃったようなことになったわけです。アメリカでも経済成長しにくくなっていて、尚且つ格差はどんどん進行して、富裕層に富が集中している状況がある。そのなかで貧困層の白人がたくさん置いて行かれてしまった。そうすると、最早そこに移民が流入して来ても、それを吸収できて豊かになるという余力がなくなりつつある。そのような状況なのです。だから近代の枠組み、20世紀までの枠組みでは、いまの社会は説明、定義できなくなって来ている。, 飯田)そうするとベーシックインカムみたいなことを、ドラスティックに導入した方がいいのではないかと。, 佐々木)アメリカでも実際に、貧困層の白人に富裕層の、例えばマーク・ザッカーバーグ氏が持っている何兆円みたいな金を分配できる仕組みを作れるのであったら、彼らの不満もなくなるわけです。それならば移民が流入して来ても、「よきに計らえ」と言えるのかもしれないですよね。結局すべての問題は、格差が進行して貧困が進みつつあるという状況に全部結びついて行くのではないかなと思います。, 飯田浩司のOK!