今こそ、皆様の温かい支援の手が必要です。, 2014年6月  モスル制圧 「食べ物がありません」「電気もないのです」「子どもたちは学校に行っていません」。 過激派組織による約3年の過酷な支配。町を奪還するための激しい空爆と戦闘。多くの尊い命が犠牲となり、ついにモスルが解放されてから約2年。激しく破壊され無残な廃墟となった町は、今も変わらず瓦礫の山のままです。 イラク難民発生の背景 2003年3月、イラクの大量破壊兵器保有疑惑を理由にアメリカがイラクを攻撃しイラク戦争が始まった。この頃から社会システムの崩壊と公共サービスの麻痺が徐々に進行した。 2007年3月時点では、ヨルダンに入国するイラク人はビザが必要ない。アムネスティ派遣団は、ヨルダンの外務省、内務省の職員からヨルダン政府がイラク人に対してビザ取得を要請するか否かを検討していると聞いた。しかし、ヨルダン政府は、そのようなビザ取得要請が間もなく導入されるという報道に対して公に反論している。 イラク難民発生の背景 2003年3月、イラクの大量破壊兵器保有疑惑を理由にアメリカがイラクを攻撃しイラク戦争が始まった。この頃から社会システムの崩壊と公共サービスの麻痺が徐々に進行した。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); copyright2014-"ABE,Inc.   2007年3月、アムネスティ派遣団がヨルダンにて数人のイラク人にインタビューしたが、イラク人の大半がヨルダンからイラクへの強制送還の対象となっており、大部分がUNHCRに登録されていない人びとだという。あるケースでは、2006年12月に6~7人のサマワ出身のシーア派のイラク人がイラク・ヨルダンの国境(トレイビール国境検問所)から強制的に送還されたという。報道によると、彼らを乗せた車両がイラクのラマディ近辺で反乱軍により強制停止させられ、1人を除く全員が首を斬られ殺害された。その殺害の様子はビデオに録画され、無事に生き残った1人は、襲撃者に嘘をつき自分はバグダットのスンニ派地区であるアダミヤ出身と説明し殺害を逃れたようである。 アンマン空港経由でヨルダンに到着したばかりのイラク人によると、彼と同じバクダット発アンマン行きの飛行機に乗っていたイラク人の多くが適切な書類を所持していたようであったが、ヨルダン人職員によって入国を拒否されイラクへ送還されたという。アムネスティはその人びとの名前や詳細を入手することはできず、彼らがイラクへ無事に帰国できたかどうかを確認できなかった。しかし、このイラク人乗客の一部は身の安全に十分に根拠のあるおそれがあったためイラクを逃れたと思われ、ヨルダンから強制送還をされることで武装グループなどに人権侵害を受ける深刻な危険性があるとアムネスティは懸念している。これはヨルダンの国際人権上の義務、特にノン・ルフールマンの原則の重大な違反にあたる。 アムネスティ・インターナショナルは、国連難民高等弁務官事務所(unhcr)の国際会議の開催決定を歓迎している。4月17,18日にジュネーブにて開催されるこの会議は、イラクやその地域における難民や国内避難民の人道上のニーズに対処するためである。 1998年、ヨルダンとUNHCRは、UNHCRが難民申請を処理する覚書(MOU)に署名している。その覚書によると、UNHCRが難民として認定した人びとは、認定から半年以内に再定住するとしている。しかし、実際には、イラクがサダム・フセイン政権であった時期にイラクを逃れ難民認定を受けた一部の人びとは再定住を7,8年間も待ち続けているのである。2006年の年末までに、22,000人(大部分がイラク国民)がUNHCRに登録し、1200人(うち700人がイラク人)が難民認定を受け、第3国への再定住を待っているとヨルダン政府職員はアムネスティに語った。 window.onload=function(){var css=document.createElement("ink");css.setAttribute("rel","stylesheet");css.setAttribute("type","text/css");css.setAttribute("href","https://www.japanforunhcr.org/lp/css/pc_sp.css");document.getElementsByTagName("head")[0].appendChild(css);}$(function(){var $setElem = $('.switch'),pcName = '_pc',spName = '_sp',replaceWidth = '600';$setElem.each(function(){var $this = $(this);function imgSize(){if(window.innerWidth > replaceWidth) {$this.attr('src',$this.attr('src').replace(spName,pcName)).css({visibility:'visible'});} else {$this.attr('src',$this.attr('src').replace(pcName,spName)).css({visibility:'visible'});}}$(window).resize(function(){imgSize();});imgSize();});}); 国連UNHCR協会トップページへCopyright© Japan for UNHCR. 私たちが出会ったイラクの人々は、世界が急速にイラクの危機への関心を失い、支援が年々減っていることを肌で感じ、大きな不安を抱えていました。世界からの関心も支援も減り続けている今こそ、あなたのご支援がかけがえのない意味を持ちます。どうぞ今、温かいご支援をいただけないでしょうか。, *皆様のご支援は、UNHCRが最も必要性が高いと判断する援助活動に充当させていただきます。. ヨルダン内務省の職員によると、ビザが切れて超過滞在となり警察に捕まったイラク人は逮捕され国外退去させられるとのことだ。送還先の国を選択する機会が与えられる。同職員によると、イラクにおいて深刻な人権侵害を受ける危険性のある人は1人もヨルダンから強制送還されていないという。   ヨルダンではイラク人の教育や医療へのアクセスが限定されている。外国籍の生徒は合法に滞在している場合には公立と私立の学校への通学が許可される。しかし、イラク人は部分的にこの法律の適用が免除されており、滞在許可がなくても私立学校には通うことができる。2006年9月、公立私立を含めヨルダン全土にある学校に通う生徒160万人のうち、およそ4万人が外国人の小、中学生であった。その外国人生徒の4分の1がイラク人の子どもたちであり、7203人が私立学校、2662人が公立学校に通っている。ヨルダンにいるイラク人家族の大部分が私立教育の学費を支払えないという理由で、子どもを学校に通わせることができず、また滞在許可を所持していないために公立学校にも子どもを入れることができないのである。その結果として、イラク人の全ての世代が基本的人権である教育を享受する権利を否定されているのだ。 過去1年間にわたり数十万人以上のイラク国民が、緊迫する宗派対立やイラクを荒廃させた紛争のために故郷を追われ、近隣諸国に難民として庇護を求めることを余儀なくされている。2006年2月に、サマッラにあるシーア派の聖堂を武装勢力が爆破して以来、さらにイラク難民の数は増えている。イラク人難民の大半がシリアやヨルダンに向かっているため、この2カ国では経済的、また物資支援の需要が高まっており、少なくともヨルダン国内では、地元住民の間で反イラクの風潮の予兆が見られる。同時に、イラク国内においても約50万人が国内避難民となっている。 「イラク難民は今」講演概要 . 国連unhcr協会はunhcr(国連難民高等弁務官事務所)の募金・寄付の公式支援窓口です。ご寄付は税控除の対象となります。ここでは「モスル解放後、置き去りにされたままのイラク」について掲載してい …   想像を絶するような迫害が終わってなお、支援なしでは日々の生活もままならない人々。 カーリドは5人の子の父でしたが、政府の職員だったため、ISISの占領時に処刑されてしまいました。その後、妻と子どもたちは避難しましたが、モスル奪還のための爆撃で、妻も亡くなってしまったのです。両親を失った子どもたちを引き取ったのは叔父のジャダーン一家でした。UNHCRは、家は壊され自分たちの子どもに加え5人の子どもを育てる一家のために、2棟のRHUを支給。過酷な暮らしが大きく改善しました。, UNHCRはシリア・イラク・南スーダンなど世界中で家を追われた難民・国内避難民を支援・保護し、水や食料・毛布などの物資の配布や、難民キャンプ等避難場所の提供、保護者を失った子どもの保護や心のケアなど、最前線で援助活動に尽力しています。1991年から10年間、緒方貞子さんが日本人として初めてUNHCRのトップである国連難民高等弁務官を務めました。 AI Index: MDE 14/021/2007 アムネスティは、UNHCRのイラク難民再定住ガイドラインに従いヨルダンやシリアにいるイラク人を再定住させ、最も弱い立場にある人びとに優先的に対応することで負担を共有するよう、特に米国、EU、支援可能な他の国ぐにを含む国際社会に対して呼びかけている。このような再定住支援プログラムは、見せかけの数字にとどまらず、現在の危機に対する解決策の重要な部分であるべきだ。さらに、各国は難民申請を却下されたイラク人の庇護希望者を、紛争の続くイラクのいかなる地域にも強制送還するべきではない。 各国は、ヨルダンやシリアにいるイラク人への医療や教育といった重要なサービスの提供を可能とするために、ヨルダン、イラク、シリアとUNHCRや国内外の人道支援団体に経済的、技術的、それに現物出資の支援を提供すべきである。同時にそのような支援は、ヨルダンやシリアの住民からの反発を回避するため、ヨルダン人、シリア人やイラク人コミュニティが恩恵を受けるパッケージの一部として提供されるべきである。 2014 All rights reserved.No reproduction or republication without written permission. シリアの内戦は後述するアラブの春を契機とし、独裁政権から脱し民主化を訴える運動を起こしたことがそもそもの始まりだとされています。 シリアではアサド大統領による独裁政権が40年にも渡って続いていました。国民の不満は既にかなり溜まっており、中東に広がっていたアラブの春の動きを受け、民主化運動への契機が高まっていきます。 イラク戦争は2011年にアメリカ軍の撤退で終息しましたが、2003年から長きに渡る紛争でした。 この記事では、SDGsについての概要から、SDGsの目標16「平和と公平をすべての人に」についての説明、イラク戦争とSDGsの関係性などに触れて解説します。 一部の医療センターでは小額の治療費や無料で医療ケアを提供している。カリタスはUNHCRに登録しているイラク人(難民認定を受け再定住を待つ人びとを含む)に対して医療ケアを提供している。ヨルダン赤新月社やケア・インターナショナルなどのNGOはヨルダンに居住するイラク人への支援を行っている。アムネスティとの会談で、ヨルダン政府職員は国内にいる大量のイラク人の存在が深刻で不安定な影響を与える可能性があると懸念を表明している。特に、イラクにおけるイスラム教スンニ派とシーア派の対立がヨルダンに持ち込まれることを恐れている。またヨルダン当局は、イラク難民はヨルダンに永住すべきではないと当局が懸念しているとも述べた。しかし、そのためにはイラクに政治的解決をもたらすことが必要であり、それによりイラク難民がイラクへ帰国することが可能となるのだ。ヨルダン当局は、イラク人の近隣諸国への避難を促すよりも、むしろイラク国内に「避難地域」を設置することに賛成している。この「避難地域」提案にはアムネスティは完全に反対している。このような「避難地域」設置は、明らかにノン・ルフールマンの原則の重大違反となり、イラクに広がっている悲惨な治安状況を考えれば実行可能性はない。さらに、ヨルダン当局は国内にいるイラク人の地域統合に反対している。これらの理由により、当局はヨルダンでのイラク人の長期的定住につながるいかなる活動も拒否するようだ。しかし、ある条件下ではヨルダンがより広範囲の経済援助の提供を含む国際的な援助を受け入れる可能性があるとの指摘もある。 イラクへの難民帰還が最近増えたのは、アメリカが言うような“イラクの治安改善”の効果ではなく、このような過酷な難民生活に耐えかねてもどっているだけだ・・・という考えもあるようです。 モハメド一家 壁に空いた大きな穴も修復 今後も現地で援助活動を続けるため、皆様の温かいご支援を、何卒よろしくお願い申し上げます。, モスルが解放されて2年近く。家を破壊され、帰りたくても帰れない人々、治安が悪く水や電気もないのを承知で、やり直そうと決意しモスルへ戻った人々。どちらを選んでも険しい道のりです。またイラクには、隣国シリアから戦闘を逃れてきた難民も多く暮らしています。多くの人が支援を待つ中、UNHCRは以下のような援助活動に尽力しています。, モスルでは戦闘で家や学校、病院など多くが破壊されたままです。家を失った人々にとって、まず何よりも安全な住居を確保する支援が必要です。そこでUNHCRは「Cash for Shelter」という現金給付プロジェクトを開始。帰還民へ家の改修費の支給と研修を実施し、各家庭が必要な資材を買い建設業者を選んで、家族の状況や希望に合わせ家の修復を進めます。新たな生活を始める基盤を、人々自らが築いていくのです。 All Rights Reserved. UNHCRはモスルの事務所を閉鎖、隣のエルビル県の事務所から職員を派遣して支援にあたる。 幼い子を抱えて。寝たきりの家族を看護しながら。夫を亡くし帰る家も失いながら…。 1. 食べ物や水すら不足し、電気も届かない。医療や教育も受けられない。そうした厳しい状況の中で、人々は家族の命を守るために懸命に生きています。 イラク難民の関連情報. Copyright(C) AMNESTY INTERNATIONAL JAPAN, アムネスティ・インターナショナルは、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の国際会議の開催決定を歓迎している。4月17,18日にジュネーブにて開催されるこの会議は、イラクやその地域における難民や国内避難民の人道上のニーズに対処するためである。イラクでの絶え間ない紛争で約150万人が国内避難民になり、さらに約200万人が難民となった。急増する人道的危機に対する懸念はイラクのみならずシリアやヨルダン国内においても広がっており、これらの近隣諸国はイラク難民の大量流入によって引き起こされる問題の対応に苦労している。欧州連合(EU)や米国をはじめ、イラク、シリア、ヨルダンなど難民の影響を直接受けている国ぐにを含む多くの政府、またアムネスティや他の非政府組織 (NGO)もこの会議に参加予定である。. アンマン市には2つの公立病院に約20の私立病院がある。ヨルダンの滞在許可を持っていないと公立病院で治療を受けることができないが、イラク人は法的地位にかかわらず緊急治療を受けることが可能であるという。 世界の関心が薄れ支援が急速に減っている今、イラクの人々は希望を失いかけています。 イラクから避難する国民の数は計り知れず、今後もその数は増えていく。ヨルダンに居住するイラク人の数に関する公式な統計はないが、UNHCRは750~1000万人いると推定している。2007年2月中旬、ヨルダン政府は有効な滞在許可の所持、非所持も含めたヨルダン国内にいるイラク人の調査を行うことを発表した。この調査は、ノルウェーの研究機関(FAFO)の援助により実施される予定である。 イラク戦争は2011年にアメリカ軍の撤退で終息しましたが、2003年から長きに渡る紛争でした。 この記事では、SDGsについての概要から、SDGsの目標16「平和と公平をすべての人に」についての説明、イラク戦争とSDGsの関係性などに触れて解説します。 モハマドは10人家族を養っていましたが、障がいを負って働けなくなった上、ガンを患う娘の治療にお金がかかり、非常に困窮した状況でした。避難先からモスルに戻ると、家はISISの兵士の住居として使用され、空爆で激しく損壊していました。最低限の補修にも、2868 USドル(約32万円)が必要だったため、モハメドは「Cash for shelter」プロジェクトに登録。その後支援を受けて家の修理を進めています。写真は修復の60%が終わったところです。, UNHCRは、一刻を争う緊急時には「緊急用テント」を提供するほか、避難生活が長期化した人々に、より耐久性の高いシェルターも提供します。イラクでは夏は気温が50℃以上、冬は氷点下になることもある過酷な気候です。RHUはこうした気候に対応し、約3年の耐久性を持つシェルターです。 執筆記事|プロフィール|Blog. イラク戦争 (いらくせんそう)とは、 アメリカ合衆国 が主体となり 2003年 3月20日 から、 イギリス 、 オーストラリア と、工兵部隊を派遣した ポーランド 等が加わる 有志連合 によって、 イラク武装解除問題 の 大量破壊兵器 保持における進展義務違反を理由とする『イラクの自由作戦』の名の下に、 イラク へ侵攻したことで始まった軍事介入である。 前回の記事に書いたようにイラク戦争から3年が経過した2006年後半、イラクの治安は悪化の一途をたどり、戦争中イラクに留まった人たちでさえ隣国へ避難していった。 市民の帰還が始まり、UNHCRは生活に不可欠な援助物資や緊急シェルターキット等を配布、人々の家の修復支援を開始。, モスル西部を訪問したアンジェリーナ・ジョリーUNHCR特使。彼女の背後の瓦礫にはまだ不発弾や遺体が埋まったままです。, 2019年3月、国連UNHCR協会の職員がイラクでUNHCRの活動の最前線を視察しました。そこで私たちが目の当たりにしたのは、過酷な避難生活を送る子どもたちや家族でした。, シャリヤ国内避難民キャンプで私たちを迎えてくれた女性は、シーリーン(55歳)。「私はシンジャル出身です」と自己紹介された瞬間、はっとしました。その地域はまさに、ISISに長く迫害を受けてきたヤジディ教徒の村だったからです。 頻発する爆弾事件によってイラクの人々は出歩くこともままならず、隣国のヨルダンやシリアへと避難していった。イラク難民の数が想像より多くなり、ヨルダンはいち早く国境を閉鎖した。ところが、シリアは「イスラムの同胞を受け入れるのは我が国の義務だ」と難民を受け入れ続けた。世界最古のモスクと言われるウマイヤドモスクがあるシリアの首都ダマスカスにも大量のイラク難民が流入した。, シリアに入ってきたイラク難民は200万人を越えると言われ、全ての人の難民登録を完了するのに6ヶ月かかるとまで言われた。UNHCRが設けた難民登録所には連日数千人のイラク難民が押し寄せ、スタッフは朝から晩まで難民登録作業に追われた。, 朝一番、冷え込む中、少しでも早く難民登録を受けたいと思う人たちが薄明るくなる時間から登録所前で待ち続けた。朝はジャケットを着ても寒いくらいだが、日が昇りだすとTシャツ一枚でも暑いくらいの温度になり、老人や子供たちには過酷な環境だった。登録所の中に入れても、難民登録のブリーフィング、書類の作成、インタビューとまだまだ時間がかかる。, UNHCRスタッフの許可を得てインタビューしてみると、両親や親類縁者を亡くした人が多く、戦後イラクの悲惨さを痛感する。怪我をした状態で避難してきた人も多く、UNHCRスタッフに窮状を訴えるシーンを何度も見かけた。, シリアはイラク難民を受け入れる難民キャンプの建設には積極的でなく、「難民であっても人間らしい生活をしてもらいたい」と都市部で難民を受け入れた。UNHCRとしては難民キャンプではなく街のあちこちにイラク難民が住んでいる状態での支援はとても難しく、シリアではATMのカードを配って、それぞれ必要な現金を引き出してもらうという新しい方法が取られた。, 街でシリア人にインタビューすると、多くの人がイラク難民の受け入れに賛成で「隣人が困ったら助け合うのがイスラム教だよ」という言葉を何度も聞いた。その平和だったシリアが内戦に突入し、隣国へ逃れたシリア難民は既に400万人を越える。, その一部はかつて難民を受け入れ、世話をしたイラクへも逃れている。シリア難民は言う「私たちの国は隣国の難民を受け入れ、シリア人と同じように世話をしてきたのに我々が難民になったら人間以下の扱いを受けるなんて酷すぎる」と。, 隣国の難民を拒否せず、受け入れ続けることを決定したのはシリアのアサド政権だった。現在、そのアサド政権との内戦でシリア難民が発生している。皮肉という言葉で終わらす事ができない程、イラク、シリアの難民問題は重大な局面を迎えている。, 文中画像:一番上「世界最古と言われるウマイヤドモスク」、2枚目「登録を待つイラク難民」、3枚目「難民登録待ちのイラク難民」、4枚目「窮状を訴える難民」、5枚目「難民の子供たち」、一番下「平和だったころのダマスカス」 すべて ©久保田弘信.