クウェート観光・旅行での入国とビザ申請・取得方法; ベリーズの基本情報-時差、言語、人口、宗教、首都、飲料水など; パナマの基本情報-時差、言語、人口、宗教、首都、飲料水など; ネパール観光・旅行での入国とビザ申請・取得方法と滞在期間延長方法 クウェート市(クウェートし、アラビア語: مدينة الكويت‎ Madīnat al-Kuwayt マディーナト・アル・クウェート)は、クウェート国の首都。アースィマ県の県都でもある。, 砂漠気候 (BW) に属しており、年間を通して気温は高めで降水量は少ない。気温の日較差は年間を通して10℃以上と大きく、冬季の朝晩は冷え込む。, 夏季(4月 - 10月頃) 特に6月 - 9月はほとんど降水はなく(各月の月平均降水日数0.0日)、砂嵐となる日も多い。最暑季には、日中は日最高気温が40℃ - 50℃前後まで上昇するうえ、夜間はペルシャ湾岸に位置するために気温が低下せず、日最低気温が30℃を下回らないことも多い。一方、冬季は日平均気温が20℃を下回るため、過ごしやすい気候となる。また、北極方面からの寒気の影響による降水があるため、11月 - 4月の月平均降水日数は4日 - 6日に達する。, 1990年の湾岸戦争のときにはイラク軍が市内に侵攻し、占領された。イラクの占領時には当時のイラクの指導者だったサッダーム・フセイン大統領にちなんで「サッダームシティ」と改称されたが、イラク軍撤退後には元の名前に戻された。, クウェート経済の中心地である。多くの銀行や企業があり、好景気のおかげでホテルの開業が相次いでいる。クウェート市は石油をベースとした経済である。おもな輸出品は石油と肥料である。アラブ地域では2番目の取扱規模であるクウェート証券取引所(英語版)(Boursa Kuwait)がある。[4], シュワイフ港(英語版)、50km南のペルシャ湾岸にはアフマディ港(Ahmadi Port)がある。, 1 日本の首都も参照。2 ヨーロッパにも分類され得る。3 オセアニアにも分類され得る。, 座標: 北緯29度22分30秒 東経47度58分48秒 / 北緯29.375度 東経47.98度 / 29.375; 47.98, World Weather Information Service – Kuwait City, Kuwait International Airport Climate Normals 1961–1990, National Oceanic and Atmospheric Administration, Dr.Jeff Masters' article published January 2013, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=クウェート市&oldid=80202057. 首都も国名と同じクウェート市、アラビア語で「小さな城」という意味です。 首長を国家元首とし、憲法で立憲君主制国家と定められていますが、内閣の要職は首長家であるサバハ家にほぼ独占されている事実上の絶対君主制国家。 クウェート(中近東)で観光するならトリップアドバイザーで口コミ、写真、ランキングをチェック!クウェートにある303 件の観光名所を、10,802 件の口コミ、写真を地図と共にご紹介しています。 クウェート市(クウェートし、アラビア語: مدينة الكويت‎ Madīnat al-Kuwayt マディーナト・アル・クウェート)は、クウェート国の首都。アースィマ県の県都でもある。 世界遺産ペトラ遺跡を有する中東の国ヨルダン。一体どんな国なのか、想像すらつかない方も多いのではないでしょうか。この記事では古代から近現代までの歴史を、独立の経緯や隣国イスラエルとの関係なども含めてわかりやすく解説してい... 国家と特定の宗教が結びつくことは人権の弾圧に繋がりかねず、歴史を振り返ってみてもさまざまな問題が生じてきました。そこで日本では「政教分離」という制度が導入されていますが、一体これはどのようなものなのでしょうか。アメリカ... テロリズムの温床、泥沼の紛争地という印象が強いアフガニスタン。一体どのような経緯で争いの場となってしまったのでしょうか。この記事では紀元前からさかのぼり、アフガニスタンの歴史をわかりやすく解説していきます。理解が深まる... 世界最大の国土面積をもつロシア。言わずと知れた超大国ですが、一体どのような経緯で現在の姿になったのでしょうか。この記事では、キエフ・ルーシ時代からロシア帝国、革命、冷戦、ソ連崩壊などロシアの歴史をわかりやすく解説してい... 2020年3月11日、WHO(世界保健機関)は「新型コロナウイルス感染症(COVID-19)」のパンデミックを認定しました。この記事では、ペストやスペインかぜなど、有史以来人類に大きな被害をもたらしてきたパンデミックの... 「世界一訪れることが難しい国」といわれてきた中東の大国サウジアラビア。2019年にビザの発給が開始され、注目が集まっています。この記事では、女性の人権や石油産業、建国からの歴史などをわかりやすく解説。またおすすめの関連... 今大注目の若手俳優・瀬戸利樹をご存じでしょうか? 2013年に俳優デビューをして以来、映画『仮面ライダーエグゼイド』やテレビドラマ『偽装不倫』に出演して話題に。クールな知的キャラから天真爛漫な年下彼氏まで、さまざまな役... 世界史上で地中海世界の発展に欠かせなかった船、そして船の材料として重宝されたのがレバノン杉でした。その原産であるレバノンは、紀元前から栄えた古い歴史をもつ国ですが、近代では内戦などで不安定な政情が続いています。この記事... ホンシェルジュはamazon.co.jpを宣伝しリンクすることによってサイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイト宣伝プログラムである、Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。, 5分でわかるクウェートの歴史!宗教、石油問題、イラクのクウェート侵攻などを簡単に解説. Copyright © 2012-2020 世界の料理、各国料理について、Auther:松本あづさ、All Rights Reserved. 正式名称 クウェート国 Dawlat al-Kuwayt。 面積 1万7818km 2 。 人口 403万9000(2014推計)。 クウェート シティ観光の口コミを集めました!クウェート シティのグルメ、The Avenuesなどの観光スポット、季節ごとのイベント、クウェート シティ観光のモデルコース、人気スポットを一挙公開!クウェート シティのホテル、入場券、レストラン予約はトリップアドバイザーで一括管理! クウェート国(クウェートこく、アラビア語: دولة الكويت‎)、通称クウェートは、西アジア・中東に位置する立憲君主制国家。首都はクウェート市。, 1990年にイラクに一時占領された(湾岸危機)。北と西にイラク、南にサウジアラビア、東にペルシャ湾がある。, 正式名称はアラビア語で、دولة الكويت(  Dawlat al-Kuwait ダウラトゥ・ル=クワイトゥ)。, 公式の英語表記はState of Kuwait。通称Kuwait [kuːˈweɪt]。, 日本語の表記はクウェート国。通称クウェート。クウェイトとも表記される。 首都: クウェート: 政体: 首長制 通貨: クウェート・ディナール (kd) 面積: 17,820km² 水面積率: % 人口: 2,257,549人 言語: アラビア語: 宗教: イスラム教 電気: 240v 50hz b・b3・c・se型プラグ: 国際電話番号 +965 ドメイン.kw 時間帯: utc +3 クウェート国(クウェートこく、アラビア語: دولة الكويت ‎)、通称クウェートは、西アジア・中東に位置する立憲君主制 国家。 首都はクウェート市。. 1990年にイラクに一時占領された(湾岸危機)。 北と西にイラク、南にサウジアラビア、東にペルシャ湾がある。 ▲目次に戻る, 世界を代表する産油国、クウェート。首都クウェートシティーを歩くと、未来世界のようなデザイン都市や、高層ビル群の摩天楼に圧倒されます。道路や車や建物などいろいろなものが綺麗で新しく、巨大な石油プラント群は国の豊かさの象徴です。でも、探せば伝統的なものもちゃんとある。スパイスや鮮魚がむきだしで積まれるスーク(市場)に、アラブ装束の男性たちが絨毯に集う昔ながらのアラブカフェ。お祈りや断食月や飲酒禁止などのイスラム教に基づく生活習慣は今も徹底して行われています。クウェートの文化は、伝統アラブと、モダンアラブと、インターナショナルの混交です。, 西アジアの地図を見ると、有名なチグリス川とユーフラテス川の河口の南に小さな国があります。そこがクウェートです。, クウェートは国土のほとんどが砂漠です。目と鼻の先はすぐペルシャ(現イラン)で、歴史の中ではアラブになったこともペルシャになったこともありますが、基本的に漁村というか不毛の地。18世紀にナジュド(現サウジアラビア)からサバーハ家が移住してからはポートシティーとして繁栄し、貿易、商業、漁業、真珠産業などで栄えました。今も首長家はサバーハ家であり、300年近くにわたり一族で政治を司る、事実上一族独裁による絶対君主制国家です。, クウェートは地理的にイラクの足元にあり、歴史的にもずーっと正式にイラク内の一地域だったのですが、オスマン帝国領時代の英国介入のあたりから英国に口説かれて、オスマン崩壊後にイラクが独立国になるときも英国はクウェートを手渡さず、最終的に英国が手を引いたあともイラクとクウェートが別々の独立国のままという状況がイラクからしたら許せない。イラクは眈々と奪回の時を待ち、1990年にクウェートへ侵攻したのが湾岸戦争の始まりです。大部分の国民が国外退避し、クウェートの油田が攻撃されて火災炎上、国土も荒れました。しかしそのような湾岸危機を乗り越えて復興した今、クウェートは冒頭の通り息をのむモダンなビューティフルカントリーです。, クウェート料理を理解するためには、「典型的な湾岸諸国の食文化」を理解しましょう。よく出てくる「ガルフ」という単語は「湾」という意味で、アラビア湾(ペルシャ湾とも呼ぶ)を指します。湾岸諸国(ガルフ諸国)とは、クウェート、バーレーン、カタール、UAEといったアラビア湾岸のアラブ側の国を指します。もともと住民はアラブ人のイスラム教徒で、石油が採掘される前は土着のアラブ料理や近隣のペルシャ文化の影響を受けた料理を食べていました。, ざっと100年前にアラビア湾に石油が発見され、この100年で彼らの社会は莫大な富により変貌しました。オイルマネーで湾岸諸国は急発展し、諸外国の労働者が多数流入します。南アジア人(インド人、パキスタン人、バングラデシュ人など)、フィリピン人、国外アラブ人(エジプト人、レバノン人、パレスチナ人など)が多く、どこも自国民比率が少ない(例:クウェートにおけるクウェート人比率は30%(2018年)、カタールにおけるカタール人比率は13%(2017年)等)という国民プロファイルが形成されます。外国人だらけなので料理はおのずと国際色が豊かになります。インド料理やパキスタン料理は定番で、エジプト料理もレバノン料理も、アラブ各地のファストフードもすっかり日常食です。そもそも自国民はオイルマネーで潤っていて超裕福で、自宅ではメイドの作る外国料理も食べるし、外に出れば(イスラム規則の範囲内で)世界中の料理が食べられる状態です。テイクアウェイもデリバリーを含めて外食産業も発達しています。どこも砂漠がちな国で作物があまり採れず食糧自給率は低いけれど、主食の小麦や米をはじめ、世界各地からたくさんの食糧が輸入されています。, 国民の生活習慣や法律はイスラム教に則っており、豚肉やアルコール禁止(※規制度合いは国による)の食生活を送ります。イスラム圏はもてなしの文化が強いのですが、シリアやエジプトなどでは客人にシャイ(紅茶)をふるまうところ、湾岸諸国ではアラビアコーヒーとナツメヤシの実がもてなしの定番です。, クウェート料理とは、こういった「典型的な湾岸諸国の料理」そのものです。バーレーン料理やカタール料理などと似ていて当然。モダンとインターナショナルだけでなく、伝統アラブもしっかりと共存していて、クウェート料理を知れば知るほど、アラビア半島の歴史をも学べるのが有意義です。. アラビア語で「小さな城」という意味がある[2]。, 16世紀頃より現クウェート領域はオスマン帝国の支配下にあり、統治拠点はバスラにあった。, 18世紀に入ると、当地にバニー・ウトバ族(英語版)のサバーハ家 (Al-Sabah) が勃興し、1756年その首長がオスマン帝国の下で当地域の統治を担うようになる。1756年現首長家(サバーハ家)による支配が始まる。サバーハ家は、サウジアラビアのサウード家を輩出したスンナ派のアナイザ族(英語版)出身のバニー・ウトバ族(英語版)で、バニー・ウトバ族はアラビア半島中部より移動してきたと考えられており、バーレーンのハリーファ家(英語版)や有名なen:Buccaneerの片目の船長en:Rahmah ibn Jabir al-Jalahimahを輩出したen:Al Jalahmaもその一族である。この頃のクウェートは漁業や真珠の採集、交易が主な産業であった。1783年には、ファイラカ島とブビヤン島の中間にある浅瀬リッカでバヌー・カアブ(英語版)と呼ばれるアラブ系の一族とリッカの戦いと呼ばれるものが起きて勝利した。後にバヌー・カアブはフーゼスターンへ移動した。バヌー・カアブが攻撃を行った理由は諸説ある。今日のクウェートの君主と国民の祖形として国史の重要な位置を占める。第一次サウード王国がクウェートに侵攻した際にアブドゥッラー・ビン・サバーハ・ビン・ジャービル・アッ=サバーハはイギリス東インド会社との関係を構築した。, 19世紀に入ると、オスマン帝国 (en:Egypt Eyalet) は支配の綻びを繕うために当地へ軍事介入を繰り返し(オスマン・サウジ戦争)、1871年にアブドゥッラー2世・アッ=サバーハはオスマン帝国バスラ総督となり、オスマンの庇護下(バスラ州は自治州)に入った。1899年サバーハ家のムバラク大首長は中東の植民地化を図っていたイギリスへ寝返り、イギリスの影響下に入り当地域を統治した。1899年イギリスの保護領となる。1913年にはオスマン朝とイギリス間で協定が結ばれ (en:Anglo-Ottoman Convention of 1913)、1914年にはイギリスの保護領となった。1914年イギリスの自治保護領となる。第一次世界大戦においてはオスマン朝は敗北し、イラク地域と共にイギリスの植民地となる。, 1919年、クウェート・ナジュド国境戦争(英語版)。1920年10月10日、en:Battle of Jahra。1922年、オカイル議定書。, 1930年代初頭、天然真珠の交易が最大の産業で主要な外貨収入源であったクウェートは、深刻な経済危機下にあった。それは当時、日本の御木本幸吉が真珠の人工養殖技術開発に成功、これによって日本製養殖真珠が世界の宝石市場に徐々に浸透し、クウェート、バーレーン沖合で採取される天然真珠の需要を駆逐したことがその主たる理由である[3]。それまでにイラク王国、バーレーンにおいて石油が発見されていたのでクウェートの首長、アフマド首長とクウェート政府は、新しい収入源を探すため石油利権をアメリカメロン財閥が保有するガルフ石油とイギリスのアングロ・ペルシャ石油(英語版)の設立した50/50合弁会社『クウェート石油(英語版)』に付与した。クウェート石油は1938年2月23日に、現在のブルガン油田となる巨大油田を掘り当てた。世界第二位の油田であるブルガン油田は1946年より生産を開始しており、これ以降は石油産業が主要な産業となっている。, イギリス支配からの独立は1961年のことである。1961年6月19日、イギリスから独立。7月1日、en:Operation Vantage。1962年、第1回クウェート国民議会選挙が行われた。, 湾岸危機直前の1990年1月には、1986年以降閉鎖されたままであった国民議会の再開を求めた民主化勢力が弾圧されるという事件も起きている。この弾圧を受けてクウェート国民の間で大規模な抗議デモが起こり、政府は国民議会を再開したという経緯がある。しかし、1990年の議会選挙は大半の議席が首長の任命制であったため、民主化勢力は選挙をボイコット。投票率も選挙が行われた年である85年の80%から、55%と低下した。, 以上のような経緯から、クウェートに対するイラクの主権を認めさせようする流れが常にあった。イラクが共和制になっても初代首相のアブドルカリーム・カーシムがクウェートの領有権を主張した。1980年代以降には、イラクの世論を受けたサッダーム・フセイン大統領が、クウェートはイラクの領土であり、イギリスによって不当に分離され、現在はアメリカ合衆国がそれを引き継いでいる旨を内外へ発信した。1990年8月2日のクウェート侵攻でイラクに一時併合される。侵攻直後にイラク傀儡の暫定政府の樹立が宣言され、共和制移行を宣言し国名をクウェート共和国としたあと、イラクに併合された。イラク統治下では同国のバスラ県の一部と、新たに設置された「クウェート県(英語版)」となった。一連の軍事制圧については国連において非難決議が出され、1991年1月にアメリカを中心とした多国籍軍とイラクとの間で湾岸戦争が勃発した。1991年2月26日、イラクによる占領から解放。, 女性参政権は、バーレーンやカタール、オマーンなど他の湾岸諸国が先に確立した。2005年、女性参政権獲得(選挙権は21歳から、被選挙権は30歳から)。2006年6月29日、第11回クウェート国民議会選挙が行われた。定数2の25選挙区で計50の議席を249人の候補者が争った。2005年の女性参政権獲得後初の選挙で、249人の候補者のうち28人が女性であったが、初の女性議員は実現しなかった。有権者数34万248人(女性は19万5,000人)、投票数22万3187人(投票率は65.6%)であった。[4]イスラム主義者を中心とする野党勢力が、改選前の29議席から33議席に増加し、過半数を占めた。7月1日、サバーハ首長は、野党勢力が伸張した国民議会選挙の結果を受け、内閣総辞職を受け入れた。, 2009年5月16日のクウェート国民議会選挙(定数50)で初の女性議員4人が誕生した。マアスーマ・アル=ムバーラク、サルワ・アル=ジャサール、アシール・アワディー、ローラー・ダシュティーの4人で、いずれも博士号を持つ教育や経済の専門家。アワディ議員は2009年秋、髪を覆うベールを着用しなかったとして罰金を科されたが、その後の訴訟で「ベール着用は女性個人の自由」との判断を勝ち取っている[5]。, 2012年2月の国民議会選挙では野党勢力が大きく勝ち越したがその後憲法裁判所により選挙無効が宣言され、野党がボイコットする中で12月1日に改めて行われた国民議会選挙は政府派の圧勝に終わった[6]。, 憲法によって立憲君主制を取っているが、首相以下、内閣の要職はサバーハ家によって占められており、実態は一族独裁による事実上の絶対君主制である。憲法に基づき首長(立憲君主制)、国民議会、内閣の三者を中心とした統治形態が取られているが、首長が議会を解散できる・首相を任免できるなど権限が強化されているため、これも建国当初から有名無実化している。, 元首は首長である。首長家であるサバーハ家には、ジャービル家とサーリム家という2つの分家が存在し、交互に首長を輩出する慣習が長く続いてきた。しかし2005年にジャービル家のジャービルが没してサーリム家のサアド世子が即位すると、新首長の健康問題を理由にジャービル家を中心とするサアド降ろしが行われ、結局サアドは退位させられて、ジャービルの弟で首相であったサバーハ・アル=アフマド・アル=ジャービル・アッ=サバーハが首長に即位した。サバーハは世子に弟のナワーフ(英語版)を指名しており、クウェートの支配体制はジャービル家により固められつつある。2020年9月29日、サバーハが薨去し、30日ナワーフが即位。, 議会制度の歴史は他の湾岸諸国よりも古く、1920年代の諮問議会まで遡るとされる。しかし、2009年現在も政党の結成が認められていない。, 言論・表現の自由も存在しない。2011年6月には、エジプト人の児童がクウェートの小学校で、「どうして先生の国では革命が起きないの?」と教師に質問しただけで民主化要求デモ煽動の廉により停学処分となっている。, 長らく近隣の湾岸協力会議の参加諸国と連携して国際関係を築いてきた。イラクとの関係は1990年のクウェート侵攻を機に断絶していたが、2010年以降は外交使節の交換が行われるなど回復しつつある。イランとの関係は、宗教上の軋轢から一線を画してきたサウジアラビアなどとは異なり一定の協調関係を築き[7]、時にはサウジとイランの橋渡し役を担ってきた。2017年6月、湾岸諸国がイランとの関係等を理由にカタールとの断交措置に踏み切ると中立的な立場を採った[8]が、翌7月には自国のテロ未遂事件の容疑者がイランへ逃げ込むとイランの大使館業務の一部閉鎖や大使館員の国外退去などの措置を行った[9]。, 1961年6月の独立時にはイラクがクウェートの領有権を主張していたため国際的な承認がほとんど得られない中で、日本とは同年12月に国交を樹立した。(欧米各国との国交樹立がなされたのは、1963年10月にイラクがクウェート独立を承認した後であった[10])。, 湾岸戦争の際、日本政府は1兆円を超える資金援助をしたが、戦後クウェート政府が発表した協力国への感謝リストから日本だけが外された。人的派遣をしなかったためではないかとも言われていたが、クウェート側による単純ミスであったことが判明している[10]。自衛隊は、湾岸戦争時にペルシャ湾にばらまかれた機雷除去作業に協力した。, 同国からは東日本大震災に際し、500万バレルの原油が無償援助されたことがある[11]。また、東日本大震災で被災した三陸鉄道ではクウェート政府の資金援助総額500億円から新車両3両を南リアス線に導入した[12]。また、アクアマリンふくしまの復興に300万ドルの復興支援金を送り、アクアマリンふくしまはその謝意を表すために「クウェート・ふくしま友好記念日本庭園」を整備した [13]。, 陸海空三軍を有し、さらに国家警備隊や沿岸警備隊も保持している。1990年のイラクによる侵攻時には、短時間で国土を占領されている。1991年の湾岸戦争時には脱出した一部部隊が自由クウェート軍として参戦した。湾岸戦争後はアメリカ軍が駐留し、2003年のイラク戦争時には出撃拠点となっている。, ケッペンの気候区分では、国土のほぼ全てが砂漠気候 (BW) であり、山地・丘陵などはなく、平地である。島嶼は9つあり、最大のブビヤン島は、本土と橋で結ばれている。夏季の4 - 10月は厳しい暑さとなり、さらにほとんど降水もないため、焼け付くような天気と猛烈な砂嵐が続く。ただし沿岸部は湿度が高く、サウナのようになる[14]。冬季の12月から3月は気温も下がり快適な気候となるため、避寒地として有名である。時折雷を伴った激しい雨が降り、道路の冠水が見られることもある。, IMFの統計によると、2015年のGDPは約1232億ドルであり[15]、静岡県とほぼ同じ規模である[16]。同年の一人当たりGDPは2万9982ドルである[15]。, 石油が主要産業であり、2016年現在の生産量は300万バレル/日を超える。世界第4位の埋蔵量がある[17]。そのため、レンティア国家の一つに数えられる。湾岸戦争により大きな被害を受けたが、1994年に戦前の水準まで回復した。原油価格の高騰による豊富なオイルマネーによって、産業基盤の整備や福祉・教育制度の充実を図っており、ほとんどの国民は国家公務員・国営企業の社員として働いている。石油収入を利用した金融立国や産業の多角化を目指して外国からの投融資環境を整備したため莫大な雇用が創出され、不足している労働力は周辺外国人が補っている。また、このような砂漠気候では農業は発達せず、食料は外国に大きく依存している[18]。失業率は1.2%と低水準。将来的には石油の枯渇が懸念されるが当面は高い生産量を維持可能であると予想されている。, 住民は、アラブ人(クウェート人)が45%、アラブ人(クウェート以外の地域)が35%、南アジア系(印僑)が9%、イラン人が4%、その他が7%である。2011年統計によると全人口のうちクウェート国籍は40%に過ぎず、60%を外国人労働者が占めている。他の湾岸諸国と同じように、インド人、パキスタン人、バングラデシュ人、エジプト人やフィリピン人が多い。, 宗教は、イスラム教が85%(内訳: スンナ派70%、シーア派30%)と最も多い。その他15%は、キリスト教、ヒンドゥー教などである。, 教育制度は小学校5年、中学校4年、高校3年、大学4年の、5・4・3・4制である。[19], クウェート市を中心に、2020年から運行開始予定の都市鉄道システムの建設計画がある。路線は1号線から4号線があり、5段階で建設予定。, 宮田律監修・レッカ社編著『日本人が知っておきたい「中東アラブ25カ国」のすべて』PHP研究所、2011年7月, Report for Selected Countries and Subjects, http://www.jiji.com/jc/c?g=int&k=2010012500037, http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20121202-OYT1T00553.htm, 中東はなぜ“親日”が多いのか 東日本大震災義援金の4割はクウェートからだった(2020年10月16日 デイリー新潮), http://www.jrc.or.jp/contribution/pdf/kaigaikyuenkin_uketuke.pdf, http://www.aquamarine.or.jp/exhibits/exhibit_19_kuwaitgarden.html, https://www.mofa.go.jp/mofaj/kids/kuni/kuwait_2015.html, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=クウェート&oldid=80005308, ダニエル・ヤーギン『石油の世紀(上)』日高義樹、持田直武共訳、日本放送出版協会、1991年.