ルバ・オベイド. ジッダ:毎年、大学留学のため日本に渡ったサウジアラビア人学生が、多様で実務的な経験を身につけ帰国している。日本の大学を卒業した彼らは、官民を問わず労働市場で大いに活躍している。, ハッジ・ウムラ省(旧巡礼省)で最高戦略企画責任者を務めるアムル・アルマッダ博士は、2013年に日本の大学を卒業した。, ハッジ・ウムラ省では現在、顧問も兼務しており、またジッダのキング・アブドゥルアズィーズ大学の電気・コンピュータ工学部では、助教授も務めている。, 2008年から2013年まで日本に滞在したアムル・アルマッダは、修士号と博士号を取得しており、日本での経験は人生を一変させるものであったと述懐している。, 日本ではサウジアラビアと異なる文化に触れることで、内容の濃い経験を積むことができ、研究や仕事、私生活の面で影響を受けたという。, サウジアラビアは、自国の何千人もの学生に奨学金を提供し、世界中の教育機関に留学生を送り出している。, アムル・アルマッダによれば、サウジアラビア人の多くは欧米など他国の生活様式に慣れ親しんでいるという。「生活様式にある程度の共通点があります」とアルマッダはアラブニュースに語る。「メディアや映画などの情報源を通して欧米の文化に慣れ親しんでいるので、向こうでも生活の変化に戸惑うことはほとんどありません。一方日本では、言語、生活様式、公共のモラル、社会習慣、働き方、医療制度など、何もかもが違います」, アムル・アルマッダは、大阪大学で知能システム学の修士号・博士号を取得したほか、キング・アブドゥルアズィーズ大学では電気電子通信工学の学士号を取得している。, 2008年には、ロボット工学とエンジニアリング・サイエンスにおける研究成果や国際的な活躍が認められ、日本の大学院への奨学金を日本政府から授与されている。, 「ロボット工学と人工知能には大変興味があり、国際ロボット競技会にも参加していました」とアルマッダは言う。, 複数の国から奨学金の申し出があったが、ロボット工学で世界の先を行く日本を選んだとのことだ。, 「文化に大きな違いがあったおかげで、日本語学習は捗りました。日本で自分の新しい個性を発見できたのも、こうした経験あってこそです」, 日本での滞在中に人間として成長を遂げたアルマッダは、問題の解決・管理能力を身につけただけでなく、健康な生活様式を取り入れ、さらに知識やスキルを研ぎ澄ますことができた。, アルマッダにとって、日本での生活に適応することは容易ではなかったが、人生における貴重な教訓を得ることができたという。「言語と文化の違いという課題があったおかげで、将来の日常生活で何か問題が起きても、スムーズに対処し解決しようと思う原動力が芽生えました。変化に順応し、どんな場面でも解決策を見つけられる能力が身についたのです」, 新しい国に移り住み、現地の生活様式に適応し、修士号と博士号を取得したアルマッダは、もはやどんな課題に直面しても困ることはないと言う。「私の人生には、手に負えない問題などもうありません」, アルマッダはわずか6ヶ月で、高等教育を始めるのに必要な日本語能力を身につけた。「日本人は全く英語が話せません。私が滞在した当時は特にそうだったので、留学生は日本語でやり取りすることを迫られていました。教員とも日本語で会話し、日本語を教える講義すら日本語で行われていました」, 「新しいことを学んだら、講義室を出てすぐに使いました。この方法は日本語能力を伸ばすのにとても役立ちました」, アニメや映画を通じ、事前に日本文化に関する知識をつけていたアルマッダは、かなりの量の語彙や表現を覚えていた。「そのおかげで、日本語の引き出しが既にできていました」, 加えて、日本語が難しい言語でないのは助かったという。「話し言葉と書き言葉に違いがないのです。また、私にとって全く新しい言語体系だったので、学習がさらに捗りました。既存の知識を土台にしたり、引き合いに出す必要がなかったからです。フランス語より簡単でした」, 「大学のオリエンテーションで、勤務時間について上司に尋ねて返ってきた答えは、私の日本での生活を端的に表していました」, 上司の返事はこうだった。「日本に来た君は、目の前にいる人たちと共に8割の時間を過ごすことになる。彼らを日本での家族と捉えてほしい。私は上司として君の父親のようなものなので、君がすることを全て把握しなければならない」, 上司は続けた。「実家で父親に見せるのと同じ敬意を、私にも見せてほしい。兄を敬うように、先輩を敬ってほしい。それに加え、弟と同じように、後輩の面倒を見てもらいたい。これが私たちの働き方であり、私たちのやり方だ」, 最初は奇妙に聞こえたが、後に、日本で生活する上であらゆる面に通じる、現実的な助言であることに気付いたと、アルマッダは言う。, 日本以外の国でも職務経験や教育を経てきたアルマッダだが、日本文化には感傷的な愛着を感じたという。「日本での滞在中、日本文化に対して故郷のような帰属意識を感じていました」, アルマッダは続ける。「日本人は公共の倫理をとても重んじます。高齢者を敬ったり、身の回りの清潔を保ったり、誰にでも挨拶をしたり、他人のプライバシーを尊重したり、話し方のマナーを守ったりなど、倫理の基本に立ち返れば、私たちの文化や宗教に根付いた習慣と一致していることが分かります」, 日本人の受け答えの仕方や対人関係は、仕事への依存や生活様式の性質にも影響を受けており、アルマッダは人混みの中にいても、距離感や孤独感を感じていた。, 「例えば、アラブ人は雑談やユーモアが大好きですが、日本人は全くそうではありません」とアルマッダは言う。, 「私たちなら、忙しい日々で生じる心配事や不満を他人と共有し、その話で盛り上がります。知ったばかりの人でもお構いなしです。社会的に問題ない行為なのです」, 日本人は違います。友達であっても、対人関係には必ず通り抜けできない厳密な境界線が引かれています。「雑談したり日頃から活発的に振る舞うのに消極的なのは、仕事の性質が原因です」, アルマッダによれば、留学生と社会を隔てているのは言語ではなく、生活様式の違いだという。文化的な差異により、他人に何を期待するかも日本では異なると、留学生たちは感じている。「日本人は、感情の交わし方や、人間関係に何を期待するかが違います」, 「この境界線を乗り越えることはできますが、アラブ文化のような人間関係までには発展しません」とアルマッダが語る。, 自然もまた、アルマッダが日本で経験した中で特筆すべき点の一つだ。「日本で生活すると、四季折々の自然の美しさに触れることができます」, 「自然の多様性と、それにまつわる思い出やエピソードは、あらゆる点で日本ならではの体験でした」, 「研究を始めた頃は、トヨタやホンダなど大企業と共同で、莫大な予算のプロジェクトに取り組んでいました」, 「統合的な環境で研究するなかで、自分の能力を実感し、試し、活用することができたのは、日本が与えてくれた恩恵の中でも特に素晴らしいものです」, また、学生が職場環境を信頼してくれたおかげで、自分のポテンシャルを存分に試すことができたという。, サウジアラビアに帰国後、幅広く実務的な経験が身についたアルマッダは、引く手あまたであった。キング・アブドラ石油研究センター、サウジアラビア研究・出版会社、ミスク財団など、複数の官民の研究機関に勤務した。, 現在は大学教授を務めているが、その間にも複数の研究機関の職を兼務してきた。直近の例はハッジ・ウムラ省だ。, 日本の働き方を身につけたアルマッダは、同僚に対して大きく特徴的なアドバンテージを手に入れた。, 「日本には、欧米と大きく異なる、日本流の企業経営と産業が根付いています」とアルマッダは言う。, 「日本で働いたからこそ身についたのは、学位の類よりも、日本流のやり方によるところが大きかったと思います」, アルマッダが働いた日本流の環境では、事務作業もプロジェクトも取り組み方が違っていた。サウジアラビア市場では新しい勤務モデルだ。「多様な職歴や実務経験が身につく環境は、サウジアラビアにも必要です」とアルマッダは述べる。, サウジアラビアでの職務経験と、欧米の勤務体系に関する知識は、アルマッダの経験をより幅広いものにした。, 「何事にも困難はつきものですが、Vision 2030に定めた通り、国が求めているのはイノベーションと発展です。Vision 2030の目標は、世界中から最適な答えを探り出し、サウジアラビアに持ち帰ることです」, © 2020 SAUDI RESEARCH & PUBLISHING COMPANY、利用規約に従い、当サイトの内容、テキスト、画像等の無断転載・無断使用を禁止します。, アムル・アルマッダ博士は2008年から2013年まで日本で暮らし、修士号と博士号を取得した, 次期首相と目される日本の菅氏、COVID-19の痛み緩和のための給付金追加もあり得ると発言. 日本とサウジアラビアの関係(アラビア語: العلاقات السعودية اليابانية‎、英: Japan–Saudi Arabia relations)では、日本とサウジアラビア間の二国間関係を指す。日本とサウジアラビアは1955年6月7日に正式に国交を樹立した[1]。, 日本とサウジアラビアの交流は、イスラム教の聖地であるメッカ巡礼に始まる[10]。1909年には山岡光太郎が日本人として初めてメッカ巡礼を行い、その後1924年には田中逸平が、1935年から1939年には郡正三、鈴木剛、細川将、山本太郎、榎本桃太郎がメッカ巡礼を行っている[10]。, 日本とサウジアラビアの最初の公式な接触は1938年、サウジアラビアの駐英公使であったハーフィズ・ワフバ(アラビア語版)が東京の代々木モスク(現東京ジャーミイ)の開堂式に伴い日本を訪れたことで実現した[10]。翌1939年、駐エジプト公使の横山正幸がサウジアラビアを訪問、リヤドのアブドゥルアズィーズ・イブン・サウード初代国王に拝謁した[10]。横山の訪問目的の一つにはサウジアラビアの石油獲得があり、商工技師の三土知芳が随行したが、すでにアメリカ合衆国と親密な関係を築いていたサウジアラビアとの交渉は不調に終わっている[11][12] 。, 1953年、日本政府は経済使節団をサウジアラビアへと派遣。1954年にはサウジアラビア国内でサンフランシスコ講和条約が批准され、翌1955年に国交が樹立した。これにより両国の関係が進展、日本が石油利権を手にする足がかりとなった。1957年には利権協定を締結、1958年にはアラビア石油が設立された。翌年には石油の試掘が開始され、翌々年となる1960年に試掘に成功した。, 1960年、スルターン・ビン・アブドゥルアズィーズ(英語版)交通相が日本を初訪問、1971年5月には国賓としてファイサル第三代国王が日本を初訪問した[13]。サウジアラビアと日本の二国間関係をさらに強化するため、両国はその後も度々互いの国を定期的に訪問している。, サウジアラビア王族と日本の皇族の間の関係はその後も進展、1981年には皇太子明仁親王と皇太子妃美智子(いずれも当時)がサウジアラビアを訪問した[14]。, 昭和天皇の崩御に伴い1989年2月に行われた大喪の礼、及び1990年11月に行われた明仁天皇即位の礼には国王名代としてナウワーフ・ビン・アブドゥルアズィーズ・アール=サウード(英語版)王子が出席[15]、1994年11月には皇太子徳仁親王・皇太子妃雅子(いずれも当時。令和時代の天皇・皇后)がサウジアラビアを訪問している[16]。, 1997年、当時の内閣総理大臣橋本龍太郎がサウジアラビアを訪問、ファハド・ビン=アブドゥルアズィーズ第5代国王と会談を行った。, 1998年には、4月にリヤード州知事であるサルマーン・ビン・アブドゥルアズィーズ・アール=サウード王子(後の第7代国王)の来日に続いて、10月にはアブドゥッラー・ビン・アブドゥルアズィーズ皇太子(後の第6代国王)が日本を訪問、当時の内閣総理大臣小渕恵三と会談を行い、人材育成、教育、環境、文化・スポーツ、医療などの分野で協力を行う「21世紀に向けた日・サウジ協力共同声明」に署名した[17][18]。, 2001年、日本の外務大臣河野洋平が3つの分野でサウジアラビアとイニシアティヴ(通称 : 河野イニシアティヴ[19])を結ぶことを表明した。3つの分野とはイスラム文明世界との対話促進、水資源開発、幅広い政治対話の促進である。, 2003年5月には小泉純一郎内閣総理大臣(当時)がサウジアラビアを訪問、日本とサウジアラビアにエジプトを加えた3カ国で相互対話を行う「日アラブ対話フォーラム」 (The Japan Arab Dialogue Forum[20]) が設立され、3カ国間で定期的に会合を行っている[21][19]。, 2011年3月に起きた東日本大震災の際には、サウジアラビア政府より国営の石油会社であるサウジアラムコを通じて2千万ドル相当の液化石油ガス(LPG)が提供された[22]。, 2013年4月には安倍晋三内閣総理大臣がサウジアラビアを訪問[23]、サルマーン皇太子(後の第7代国王)及びアブドゥッラー国王との会談の後「日本とサウジアラビアとの間の包括的パートナーシップの強化に関する共同声明」を発表、その後中東政策演説を行った[24]。, 2016年9月1日、安倍首相が来日したムハンマド・ビン・サルマーン副皇太子(後の皇太子。第7代国王サルマーンの息子)と会談を行った。同年4月にサウジアラビアで閣議決定されたばかりの経済改革計画「ビジョン2030」[25]を踏まえて、これを日本の成長戦略と連動させて両国の経済成長へと繋げるべく閣僚級の「日・サウジ・ビジョン2030(アラビア語版)共同グループ」を立ち上げて具体的な協力ついて議論することで意見を一致させた[26]。, 2017年3月12日、サルマーン国王が羽田空港着の特別機で来日し、サウジアラビア国王の訪日としては約30歳年長の兄ファイサル国王による1971年の訪日以来、実に46年ぶりの来日となった[27]。, 日本とサウジアラビア間のこのような特別な関係は二国間貿易にも影響を及ぼしており、日本はサウジアラビアにとってアメリカ合衆国に次ぐ世界第二位の輸出相手国となっている。また、日本はサウジアラビアから原油の総輸入量の約30%を調達しており、サウジアラビアは日本にとって最大の原油供給国となっている[22]。, 対サウジアラビアの貿易輸出入額は2012年時点で以下のようになっている。日本への主要輸出品目は原油、石油化学製品、液化石油ガス(LPG)、日本からの主要輸出品目は自動車や電気機械などの機械機器となっている[22]。, 日本とサウジアラビアの両国は1975年に経済技術協力協定を締結している。この中には両国の合意内容の履行を監視するためのサウジアラビア・日本共同委員会の設立も含まれている。また、2009年には航空協定が、2012年には租税条約が締結されている[22][28]。, 1999年に「日・サウジアラビア青年交流計画」が開始され、日本とサウジアラビア両国の青年団が毎年相互に訪問を行っている[22][29]。, 2005年には日本とサウジアラビアの国交樹立50周年を記念して、高等教育セミナーや生け花デモンストレーション、空手専門家派遣など様々な記念事業が行われた[30]。, 2011年4月、日本はサウジアラビアの国民祭典であるジャナドリヤ祭に唯一の主賓国として招待され日本館を出店、日本館には30万人以上が訪れた[31]。, サウジアラビアでは空手や柔道などの日本武道への関心が高く[32]、全国大会も開催されている[33]。2012年5月3日、空手の「日本大使杯」が在サウジアラビア日本国大使館とサウジアラビア空手連盟の協賛により開催された。優勝者と入賞者には在サウジアラビア王国日本国大使館の特命全権大使である遠藤茂大使からトロフィーとメダルが授与された。多くのサウジアラビア人が参加したこの大会にはサウジアラビア空手連盟のイブラーヒーム・アブドルラフマーン副会長とフムード・ビン・サウード事務局長も同席、同大会は日本とサウジアラビア間のスポーツ交流促進に貢献した[34]。空手の日本大使杯は毎年開催されており[35]、2013年4月26日にも開催されている[36]。また、2011年と2013年には国際交流基金を通して空手家の土屋秀人がサウジアラビアで空手の指導を行っている[37]。, また、競馬分野では、富士ステークス(正式名称 : サウジアラビアロイヤルカップ富士ステークス)はサウジアラビアロイヤルカップとの統合により生まれたGIII競走であり、リヤド馬事クラブの理事長も務めるアブドゥッラー国王からの優勝杯が寄贈されている[38]。, サウジアラビアでは、2005年9月下旬(ヒジュラ暦1426年9月の始まりに相当)から2015年7月中旬(ヒジュラ暦1436年9月の終わりに相当)までのヒジュラ暦の毎年9月、世界各地の暮らしや歴史、若者の考え方、教育などを敬虔なムスリムとしての手本にするために紹介するテレビ番組「ハワーティル(アラビア語版)」(アラビア語: خواطر‎, Khawāṭir / Ḫawāṭir)が放映されていた。同番組は毎年ヒジュラ暦9月の1ヶ月を区切りとしてシーズンごとに特集を組む形式であったが、ヒジュラ暦1430年9月に相当する2009年8月下旬から始まったシーズン5(アラビア語版)は1ヶ月間まるごと日本の特集であった。また、シーズン5のロゴとして、「ハワーティル(のシーズン)5」を意味するアラビア語の文字 «خواطر ٥» と並んで「改善」という文字がそのまま使われていた[39]。そのせいか、ウェブ上などでハワーティルが改善を意味するアラビア語であるとする誤解を目にすることもあるが、ハワーティルは「思考」や「発想」などを意味するアラビア語「ハーティラ」(アラビア語: خاطرة‎, Khāṭirah / Ḫāṭirah)の複数形であり、改善という意味ではあり得ない。尚、同番組の後継番組として、2016年6月上旬(ヒジュラ暦1437年9月の始まりに相当)より「クムラ(アラビア語版)」(アラビア語: قُمرة‎, Qumrah / Qomrah[40])が放映されている。, 日本人による初めてのメッカ巡礼から第二次世界大戦の終結まで(1909~1945年), 日本放送協会『あの時、世界は… 磯村尚徳戦後史の旅<2>』1979年、日本放送出版協会。本書は, 三土は帰国後に「『サウード、アラビア』国ニ於ケル石油『コンセッション』問題」と題した報告書を政府に提出した(, ‫خواطر 5 - الحلقة 1 - صباح الخير يا مسلمين‬ - YouTube, 日本や欧米の慣習で考えると大使が一国で13年の任期を務めることは非常に長く感じるが、サウジアラビアの外交慣習では決して異例のことではない。具体的に、駐英大使を26年務めた, Report for Selected Countries and Subjects | International Monetary Fund, MOFA: The Japan Arab Dialogue Forum (Overview), サウジアラビア:2030年までの経済改革計画「ビジョン2030」を発表 | 公益財団法人 中東調査会, 安倍総理大臣とムハンマド・ビン・サルマン・サウジアラビア副皇太子との会談 | 外務省, ハワーティル シーズン5 - 第1回 - イスラム教徒たちよ、こんにちは! - YouTube (, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=日本とサウジアラビアの関係&oldid=76381282.