本拠地:大邱; 2018年のシーズン終了時点で、kbo発足当時から存続する球団としては唯一シーズン最下位の経験が無い。 ただ最近は成績が低迷している気が…。 新型コロナウイルス関連の投稿は当分の間厳禁といたします。詳しくはこちらをご覧ください。, https://wiki.chakuriki.net/index.php?title=KBOリーグ&oldid=1580819, 1982年にOB(→斗山)、MBC(→LG)、ヘテ(→起亜)、サムスン、三美(→青宝→太平洋→現代)、ロッテの6球団で開幕。, 1986年にピングレ(→ハンファ)、1991年にサンバンウルが加盟し、8球団体制へ拡大。, プロ化の背景には当時の全斗煥政権がスポーツやエンタメを振興し体制への不満をそらそうとした「3S政策」があったとされる。, 1990年代中盤からNPBやメジャーリーグで活躍する選手たちが登場、さらにアジア通貨危機の影響を受け、人気が低迷。, 2000年代後半から、WBCや北京オリンピックでの韓国代表の好成績の影響もあり観客動員が復調。, 2007年に現代が解散したが、翌2008年にウリ(→ヒーローズ→ネクセン→キウム)、2013年にNC、2015年にKTが加盟。, ロマック(DeNA)、ナバーロ(ロッテ)、ロサリオ(阪神)が良い例。例外はタイロン・ウッズ(横浜→中日)あたりか?, 1982年から1989年まではMBC青龍(MBCブルードラゴンズ)というチーム名だった。, 1980年代後半は低迷を続け、毎年のように監督が交代。親会社(MBC)の経営陣も球団の運営に熱意を失い、1989年のシーズン終了後、LGグループに球団を売却した。, LGは元々、親会社のラッキーゴールドスター(韓国ではラッキー金星)グループの頭文字(Lucky Goldstar)を取ってLGとしていた。, 1994年にツインズがリーグを完全優勝すると、親会社のラッキーゴールドスターグループは長すぎて呼びづらかった(元々韓国語の発音に向いていなかった)グループ名を、憶えやすく呼びやすいようにLGへ変更することを決定、グループ傘下企業の名前も全てLGの名前に統一した。, 韓国シリーズを9回制覇する強豪チームだったが、アジア通貨危機の影響で2001年に起亜自動車に球団を売却。, 親会社が変わった直後はなかなか勝てず古参ファンに「チーム名を変えろ」などとボロクソに叩かれていた。, しかしアルファベットでは戦死(Kill In Action)を意味する略語と被りこれまた縁起が悪いと指摘する声もある。, 2018年のシーズン終了時点で、KBO発足当時から存続する球団としては唯一シーズン最下位の経験が無い。, 親会社のハンファは当時「韓国火薬」という名前だったため物騒なイメージが付かないよう子会社の乳製品メーカー名を使っていた。, なおピングレ時代の1989年には強力打線に「ダイナマイト打線」という愛称が付けられていた。, 元ヤクルトの宮城弘明が在籍していたが、実はスカウトが宮城を在日コリアンと偽って入団させていた。, 当時の韓国球界はコーチを除いて在日コリアンでなければ入団が不可能だったとはいえ…現在だったら国際問題。, ウリ・ヒーローズ→ヒーローズ→ネクセン・ヒーローズ→キウム・ヒーローズ(←いまココ)。, 日本なら運営会社名と同じ「ソウルヒーローズ」で固定するという話が出ても不思議ではない気がする。, チームが低迷していたため、セーブのチャンスがなかなか回ってこなかったが、それでも1勝0敗8セーブ、防御率0.86と中々の成績を残した。, 「ダイノス」というチーム名は昌原市のある慶尚南道で恐竜の化石が多く出ていることにちなむ。, マスコットは魔法使いがモチーフと思われるがどう見ても初代ポケモンの「ゆうれい」にしか見えない。, しかし翌1984年からはまた低迷、1985年のシーズン途中に青宝食品が球団を買収し、青宝ピントゥスに。, ピントゥス時代はチーム名(ピントとは馬の一種のこと)にちなみリリーフカーが馬車だった。, 青宝食品は1987年に倒産。化粧品会社の太平洋化学に買収され、1988年からは太平洋ドルフィンズに。, 現代グループが買収してからは強豪チームになったが、ソウル・水原へのどっち付かずな対応が仇となり、2007年に解散。, 1996年は2位・1997年は3位と良い成績を収め、本拠地球場の周りにダフ屋が現れるほどだったが…。. サムスン・ライオンズ 韓国最大の大手企業グループであるサムスングループが親会社。本拠地は、当時の李秉喆(イ・ビョンチョル)オーナーの出身地で、サムスングループの発祥の地でもある大邱に定め、今日に至っている。 1* 2018年3月30日、サムスンの本拠地開幕戦となるネクソンヒーローズ戦を観戦しました アクセスは最寄りの大公園駅の5番出口を出たら目の前が球場みたいな便利な場所にあります サムスン・ライオンズ(朝鮮語: 삼성 라이온즈、英語: Samsung Lions)は、KBOリーグに所属する大韓民国のプロ野球チームである。ホームタウンは大邱広域市で、同市の大邱サムスン・ライオンズ・パークを本拠地としている。韓国を代表する企業グループのサムスングループ傘下。1982年のKBO創設メンバー6球団の一つで、韓国シリーズ17回出場の強豪チーム。, チーム名の韓国語での発音に忠実な日本語表記は、サムソン・ライオンズであるが、日本では親会社のサムスングループに合わせ、サムスン・ライオンズと呼ばれている。また、サムスングループは1998年以降の日本展開において「三星」という表記を使わず、カタカナの「サムスン」を使用してきたことから、チーム名もカタカナ表記として統一する。, 韓国最大の大手企業グループでもあるサムスングループの「(株)第一企画」が親会社で球団の社名は「(株)サムスンスポーツ」。本拠地は、当時の李秉喆(イ・ビョンチョル)オーナー(サムスン電子創始者)の出身地で、サムスングループの発祥の地でもある大邱直轄市(現:大邱広域市)に定め、今日に至っている。スタジアムは、球団創設時より北区の大邱市民運動場野球場を使用していたが、老朽化のため2016年より、新球場である壽城区の大邱サムスン・ライオンズ・パークを使用している。球団事務所は、球場内に設置されている。なお、大邱だけでなく、2012年7月に完成した慶尚北道浦項市の浦項野球場を準本拠地とし、2012年8月14日から16日まで初の1軍公式戦を開催し、2013年以降も時折1軍、2軍ともに公式戦を開催している。二軍の本拠地は、慶尚北道慶山市珍良邑にある慶山ボールパークである。, 韓国プロ野球草創期から親会社の莫大な支援をバックに強豪として君臨してきた。2018年シーズン終了時点で、KBO発足当時から存続する球団としては唯一シーズン最下位の経験がない。2019年シーズン終了現在、累積勝利、ポストシーズン及び韓国シリーズ出場回数で最多を記録しており、現存球団及び過去に韓国野球委員会に所属したすべての球団に対して累積対戦成績で勝ち越している。1997年から2008年までの12年連続ポスト・シーズン出場の記録は韓国プロ野球史上最長である。一方で韓国シリーズ及び他のポスト・シーズンでは敗退も多く、韓国シリーズ17回出場で優勝は半分以下の7度であり、韓国シリーズ出場を競うプレーオフでも12回出場で5勝7敗と負け越している。シリーズ初優勝も韓国プロ野球創設メンバーの中では一番遅い2002年と、後発のハンファ・イーグルスよりも遅かった。そのためポストシーズンでの敗退が重なるたびに、親会社の支援をバックにするフロントの現場への干渉が度を越してしまい、1990年代中盤は3年連続ポストシーズン進出失敗の低迷期を迎えた。1990年代後半から莫大な予算を投入して、フリーエージェント獲得、大型トレード、大物外国人選手獲得などチーム強化に成功すると、2002年にはついに悲願の韓国シリーズ優勝を達成した。, 1990年代後半から2003年までは、日本球界にも在籍した李承燁が中心選手として活躍していた。, 1980年代は、第1回の1982年を含めて韓国シリーズに4度出場するも当時少数精鋭で最強戦力を誇ったヘテ・タイガースなどに阻まれ、準優勝は4度にとどまっていた。2002年まで前後期リーグ統合優勝で韓国シリーズなしで優勝を決めた1985年が唯一の優勝であった。, 1986年以降、韓国シリーズが必ず開催されるようにルールが改正され、1990年代まで読売ジャイアンツ出身の新浦壽夫(韓国名:金日融)、広島東洋カープ出身の金城基泰(韓国名:金基泰)らが在籍していた。2001年にはバルビーノ・ガルベス(元読売ジャイアンツ)、ベン・リベラ(元阪神タイガース)も在籍していた。, 2004年は韓国シリーズに進出し、現代ユニコーンズと史上初となるシリーズ第9戦までもつれ込む熱闘を繰り広げたが敗北。, 2004年シーズンオフには新監督に宣銅烈が迎えられ、現代から強打の外野手でもある沈正洙(シム・ジョンス、2003年に53本塁打)、韓国を代表する名ショートの朴鎮萬(パク・チンマン)をFAで獲得する等の大型補強を行った。, 2005年より春季・秋季キャンプは日本の沖縄県恩納村の赤間ボールパークで実施している。シーズンは中日ドラゴンズからマーチン・バルガスも移籍しレギュラーシーズン優勝、韓国シリーズも4連勝で優勝しアジアシリーズに進出したが、決勝戦で千葉ロッテマリーンズに敗れ、準優勝に終わった。, 2006年シーズンはレギュラーシーズン優勝、韓国シリーズでもハンファ・イーグルスを4勝1敗1引分で退け、2年連続の韓国シリーズ優勝を果たした。韓国シリーズ2連覇はヘテ・タイガース(1986年-1989年、1996年-1997年)、現代ユニコーンズ(2003年-2004年)についで3チーム目。前年に続きアジアシリーズに出場したが予選リーグ最終戦で台湾のLa Newベアーズに逆転で敗れ予選で敗退、3位に終わった。, 前年までの韓国シリーズ2連覇を支えた選手たちに衰えが見られた2007年はレギュラーシーズンを4位で終えると準プレーオフに廻り、ハンファに1勝2敗で敗れて3連覇はならなかった。2008年もレギュラーシーズン4位に終わったが、史上最長となる12年連続のポストシーズン進出を決め、準プレーオフではレギュラーシーズン3位だったロッテ・ジャイアンツに3連勝し、斗山ベアーズとのプレーオフに進出したが敗れた。, 2009年は崔炯宇などの若手野手が主軸として更なる成長を遂げたものの、抑えの呉昇桓の戦線離脱など投手陣に不安があり、ロッテとの4位争いに敗れ5位で13年ぶりにポストシーズン進出を逃した。, 2010年はレギュラーシーズン2位で2年ぶりにプレーオフ進出を決めた。一方で長年チームを支えてきた梁埈赫が引退し、9月19日に韓国プロ野球史上最も盛大な引退試合が行われた。プレーオフでは斗山ベアーズを3勝2敗で下し、4年ぶりに韓国シリーズ進出を決めたがSKワイバーンズを相手に1勝もできず、4連敗してしまった。12月末に宣銅烈監督が突如辞任した。, 2011年からは柳仲逸が監督として就任した。この年は守護神の呉昇桓の復活もあり、5年ぶりにレギュラーシーズン優勝を果たした。韓国シリーズではSKに4勝1敗で勝利し、5年ぶりの韓国シリーズ優勝を果たした。アジアシリーズでは予選リーグを2勝1敗の2位で通過、決勝で日本の福岡ソフトバンクホークスを5-3で破り初優勝を飾った。, 2012年より李承燁が9年ぶりに復帰することとなり、2年連続レギュラーシーズン優勝により3年連続韓国シリーズ出場を決め3年連続で韓国シリーズで対戦したSKを破り、2連覇を達成した。同年のアジアシリーズにも韓国シリーズ優勝チームとして出場したが、台湾のLamigoモンキーズに敗れグループリーグで敗退した。, 2013年は韓国プロ野球史上初となる3年連続レギュラーシーズン優勝を達成、4年連続韓国シリーズに出場し、斗山を下して球団史上初の韓国シリーズ3連覇を達成した。なお、レギュラーシーズン戦、韓国シリーズともに3年連続優勝は韓国プロ野球史上初である。だが、3年連続出場となった2013年のアジアシリーズでは準決勝でオーストラリアのキャンベラ・キャバルリーの前に敗れた。, 2014年は韓国プロ野球史上初の4年連続レギュラーシーズン優勝・韓国シリーズ優勝(ネクセン・ヒーローズに勝利)を達成した。2015年は韓国プロ野球史上初の5年連続レギュラーシーズン優勝を達成したが、韓国シリーズでは斗山に敗れた。2016年は7年ぶりにポストシーズン進出に失敗して球団史上最低の9位(10チーム中)に終わり、柳仲逸から金翰秀に監督交代となった。, 2017年も2年連続9位で球団史上初のシーズン勝率3割台と低迷し、同年限りで李承燁が現役を引退したため10月3日に引退試合が開催された。2018年は6位、2019年は8位でシーズン終了後に許三榮監督が就任した。2020年は2年連続8位で、球団史上最長となる5年連続ポストシーズン進出失敗となった。, KBO初年度の1982年から名称変更を行っていない。他に名称変更を行っていないチームはロッテのみである。, 1982年より本拠地として使用してきた大邱市民運動場野球場が老朽化したため、2016年より大邱広域市東部の寿城区の大邱サムスン・ライオンズ・パークに本拠地を移転した。新しく建設されたこの球場において,西日がきついなどの理由で以前の本拠地と同じようにサムスンは3塁側ベンチを使用している。, 専用練習場は大邱広域市の東隣・慶山市に慶山ボールパークがあり、そこで2軍の試合も開催している。, 権永浩(クォン・ヨンホ、在籍年度1982-1989)- 韓国で100セーブを記録した最初の投手, 張孝祚(チャン・ヒョジョ、在籍年度1983-1989)- 韓国プロ野球史上最多タイの首位打者4度、引退後は三星のスカウト・コーチを務めたが2011年死去。.