シャダイカグラの競走馬データです。競走成績、血統情報、産駒情報などをはじめ、50万頭以上の競走馬・騎手・調教師・馬主・生産者・レースの全データがご覧いただけます。 シャダイカグラの掲示板です。競走成績、血統情報、産駒情報などをはじめ、50万頭以上の競走馬、騎手・調教師・馬主・生産者の全データがご覧いただけます。 エルコンドルパサー×メジロドーベル . マックスジョリー(1990年4月26日 - 1997年4月22日)は、日本の競走馬・繁殖牝馬。1993年に桜花賞とオークスでともに3着の成績を残し、1994年より繁殖牝馬となったが、1997年の初産駒である牝駒の出産の際に死亡した。, 1990年、北海道浦河町の酒井牧場に生まれる。父は前年に桜花賞優勝馬シャダイカグラを出していたリアルシャダイ、母は1987年の二冠牝馬マックスビューティで、その初年度産駒であった。同期生産馬には後にエリザベス女王杯に優勝、さらにダート戦線で活躍し「砂の女王」と称されるホクトベガがいた。牧場時代、マックスビューティの子である本馬は「マコ」[2]、タケノファルコンの子であるホクトベガは「タケコ」と呼ばれて育った[3]。, 競走年齢の3歳に達した1992年、母も管理した伊藤雄二厩舎へ入り、同年8月に函館開催の新馬戦でデビュー。やはり母に騎乗した柴田政人を鞍上に、2着に4馬身差を付けての逃げきりで初戦勝利を挙げた[2]。続くクローバー賞ではスタートで立ち後れて道中最後方から進み、インターマイウェイの2着となる[2]。その後は重賞の函館3歳ステークスを除外され、10月にサフラン賞へ出走。2着に4馬身差をつけての2勝目を挙げ、クラシック候補に挙げられた[2]。しかし、競走4日後に右前脚の剥離骨折が判明し休養[2]。3歳時に重賞タイトルはなかったが、『優駿』1993年2月号に掲載された'92年度のフリーハンデでは、3歳牝馬チャンピオンのスエヒロジョウオーなどと並んで3歳牝馬トップの53kgが与えられていた[4]。, 翌1993年3月の復帰戦・アネモネステークスでは逃げたヤマヒサローレルを捕らえきれなかったものの2着となり、クラシック初戦・桜花賞への優先出走権を得た[2]。, 4月11日の桜花賞では、前哨戦のチューリップ賞を勝ったベガが1番人気に支持され、マックスジョリーは2番人気となった。スタートが切られると柴田マックスジョリーは先行するベガをマークしながら進み、最後の直線でユキノビジンと並んでかわしにいったものの、ベガ、ユキノビジンにクビ、クビ差の3着と敗れた。なお、マックスジョリーとの「幼なじみ対決」が注目されたホクトベガは5着であった[5]。, 牝馬クラシック二冠目・オークス(5月23日)では、桜花賞から800m延びる2400mという距離が血統的に向くとみられ、ベガに迫る2番人気となった[6]。レースでは桜花賞と同じように好位でベガをマークしながら進んだが、最後の直線では同馬に遅れ、さらにいったん先頭に立ったユキノビジンもかわせず、桜花賞に続き3着となった[6]。, その後は秋に備えて社台ファーム千歳で休養に入ったが、この最中、3歳時に骨折した患部に骨片が残っているのが見つかり、除去手術が行われた[7]。これにより復帰予定は延び、母が2着に敗れた牝馬三冠最終戦・エリザベス女王杯への出走は不可能となる。エリザベス女王杯はホクトベガが三冠を目指したベガを退けて優勝した。その後、マックスジョリーは5歳となった1994年夏に札幌での復帰を視野に入れていたが、その最中に腸骨を骨折し、復帰を断念[3]。故郷・酒井牧場で繁殖入りした。, 初年度にはラストタイクーンと交配されたが流産[3]。2年目にはデインヒルと交配され無事に受胎した。翌1997年4月22日、マックスジョリーは牝馬を出産したが、この際に子宮大動脈破裂を生じ、そのまま死亡した[3]。8歳没。牧場では腸骨の骨折が出産に影響するのではないかと危惧していたといい、それが現実化した形となった[3]。なお、19日前の4月3日には、国内ダート戦線で無敵を誇っていたホクトベガが国外遠征のドバイワールドカップ競走中に骨折、安楽死処分となっており、酒井牧場には悲報が相次ぐことになった[3]。, マックスジョリーは酒井牧場が基礎牝馬として考えていたマックスビューティの唯一の牝駒であったことから、その遺児であるデインヒル産駒・ビューティソングは大事をとって競走馬としては使われず[8]、繁殖牝馬となった。2014年、その第8仔であるココロノアイがアルテミスステークスを制し、マックスビューティの子孫から初めての重賞勝利馬となった。, 以下の内容は、netkeiba.com[9]およびJBISサーチ[10]に基づく。, 父リアルシャダイはアメリカ産で、フランスのドーヴィル大賞(G2)を勝つなど8戦2勝[11]。引退後に日本で種牡馬入りし、1993年にはリーディングサイアーにもなった[12]。産駒は菊花賞や天皇賞(春)を勝ったライスシャワー[13]など長距離レースを得意とした馬が多く、とくに1995年の第111回天皇賞(春)では産駒が3着までを独占している[14]。母の父としてもアドマイヤジュピタやイングランディーレなどの重賞勝ち馬を輩出している[15]が、後継種牡馬の最有力候補と目されていたライスシャワーが現役中に死亡したうえ、後継種牡馬となったその他の馬も中央競馬の重賞勝ち馬を1頭も出せず産駒成績は低迷、父系としてはほぼ断絶している。, 母マックスビューティは桜花賞と優駿牝馬(オークス)の2冠を獲得するなど、中央競馬で19戦10勝[16]。, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=マックスジョリー&oldid=73925185. シャダイカグラ . シャダイカグラの血統表の競走馬データです。競走成績、血統情報、産駒情報などをはじめ、50万頭以上の競走馬・騎手・調教師・馬主・生産者・レースの全データがご覧いただけます。 シャダイカグラ 産駒一覧 シャダイカグラ[1]は、日本の競走馬、繁殖牝馬。おもな勝ち鞍は1989年の桜花賞、ローズステークス、ペガサスステークス。同年のjra賞最優秀4歳牝馬を受賞。主戦騎手は武豊。武 … シャダイカグラ は、日本の競走馬、繁殖牝馬。おもな勝ち鞍は1989年の桜花賞、ローズステークス、ペガサスステークス。同年のJRA賞最優秀4歳牝馬を受賞。主戦騎手は武豊。武に初の牝馬クラシック優勝をもたらし、「ユタカの恋人」とも呼ばれた 。 マルゼンスキーをつけると、 マイル路線で無敵になる産駒多数出ます。 メジロドーベル . 3冠配合にしておくことが条件。 世界でも楽勝。 僕の場合、 1986年産 シャダイカグラ(1989年ペガサスステークス、桜花賞、ローズステークス) 1988年産 イブキマイカグラ(1990年デイリー杯3歳ステークス、阪神3歳ステークス 1991年弥生賞、nhk杯) 1989年産 日本軽種馬協会が運営する国内最大級の競馬情報サイトjbisサーチの、シャダイカグラの繁殖牝馬情報:牝系情報に関するページです。競馬に関する膨大なデータを手軽に検索・入手できます。 マルゼンスキーをつけると、 マイル路線で無敵になる産駒多数出ます。 メジロドーベル . 牝馬の活躍馬も少ない。しかしながら、リアルシャダイはシャダイカグラという桜花賞馬を出し、また、ランフォザドリームという重賞ウイナーを輩出した。そこで今回、牝馬のリアルシャダイ産駒の血統について考察してみた。 主な産駒 ※括弧内は各馬の優勝競走。 gi競走優勝馬. マルゼンスキー×シャダイカグラ . リアルシャダイ (Real Shadai、1979年5月27日 - 2004年5月26日) は、アメリカ合衆国で生産されたサラブレッド競走馬、種牡馬。, 1981年から1982年までフランスで競走生活を送り、G2競走のドーヴィル大賞典に優勝した。ほかジョッキークラブ賞(フランスダービー)、サンクルー大賞でそれぞれ2着の成績がある。通算8戦2勝。競走馬引退後の1984年より日本で種牡馬となり、桜花賞優勝馬シャダイカグラ、阪神3歳ステークス優勝馬イブキマイカグラ、GI競走3勝を挙げたライスシャワーなどを輩出した。1993年度日本リーディングサイアー。長距離向きの馬を数多く輩出する種牡馬としても知られた。, 1979年、アメリカ合衆国ケンタッキー州レキシントンのノースリッジファームによる生産[1]。父ロベルトはヨーロッパで走り、1972年のダービーステークスなどG1競走を3勝、母デザートヴィクスンもベルデイムステークスでのレコード勝ちなど数々の大競走を制し、本馬が誕生した年にはアメリカ競馬の殿堂に加えられた[2]名牝馬であった。祖母デザートトライアルも12勝を挙げており、その他の近親にも数々のステークス優勝馬がいた[3]。, 1歳時の1980年7月、キーンランドで行われたセリ市に上場され、日本から参加していた競走馬生産者の吉田善哉に36万ドルで落札された[1]。将来の日本での種牡馬入りを前提とした落札であり、特に吉田の経営になる社台グループの主力種牡馬・ノーザンテーストを父に持つ牝馬との配合を見越したものだった[4]。本馬の祖父・ヘイルトゥリーズンから連なる系統の種牡馬は、ノーザンテーストの父・ノーザンダンサーの血を受けた牝馬との和合性の高さを示して勢力を伸ばしたが[5]、本馬の場合、血統の相性以上に重視されたのが繋(つなぎ[注 1])の形であった。本馬は繋が硬く、極端に立った形をしており、逆に寝た形が多く、ときに柔らかすぎる繋を持つ馬も出していたノーザンテーストの欠点を中和すると考えられたのである[4]。, 競走年齢の2歳に達した1981年11月にフランスへ送られ、ノーザンテーストの競走馬時代も手掛けたジョン・カニントン・ジュニア厩舎へ入る[3]。2歳時は2戦したが勝利を挙げることなく、休養を挿んだ翌1982年4月にマロニエ賞で初勝利を挙げた[3]。続くオカール賞では直線で鋭い伸び脚を見せて3着となり、G1競走初出走のジョッキークラブ賞(フランスダービー)では3番人気に支持された[3]。レースでは先行策から最後の直線で先頭に立ったが、残り200メートルでアサートにかわされ、同馬から3馬身差の2着となった[3]。続くサンクルー大賞も先行策から3着と敗れるが、秋に出走したドーヴィル大賞典では後方待機策から最後の直線で鋭く伸び、2着ノーアテンションに1馬身半差をつけて重賞初勝利を挙げた[3]。なお、ノーアテンションも後に種牡馬として日本へ輸出され、GI競走3勝のスーパークリークなどを輩出した。, フランス競馬の最高峰・凱旋門賞では3歳牝馬アキーダの5着と敗れたが、1番人気に推されたアサートやオールアロングなどに先着している[3]。のちリアルシャダイはアメリカへ戻されチャーリー・ウィッティンガムの管理下へ移ったが、アメリカでは一度も出走することなく、1983年11月に種牡馬入りのため日本へ送られた[3]。, 社台ファーム早来(のち社台スタリオンステーション)で繋養されたリアルシャダイは、初年度産駒からミュゲロワイヤル、フリートークといった重賞勝利馬を輩出、1989年には2年目の産駒シャダイカグラが桜花賞に優勝し、産駒のGI競走初勝利を挙げた。その後も数々の活躍馬を輩出し、1993年には日本リーディングサイアーとなった[4]。吉田が交配を見越していたノーザンテースト牝馬からも阪神3歳ステークスの優勝馬イブキマイカグラなど数々の活躍馬が生まれた[4]。, 母親に似た仔を出す傾向があったが、自身からも発達した後躯を伝える特徴があり、産駒が備えた鋭い瞬発力の源になっていたともされる[5]。他方、前述の硬く立った繋が強く遺伝した場合には大きな故障が増え、GI競走で3勝を挙げながら競走中の故障で安楽死処分となったライスシャワーなど、産駒に「悲劇の名馬」「未完の大器」といった類が続出する原因ともなった[4]。, また特筆されるのは長距離競走での強さである[4]。1991年から1996年8月まで集計されたリアルシャダイ産駒による2300メートル以上での成績は、勝率が全種牡馬平均の8.8パーセントに対し17.1パーセント、全勝利に占める2300メートル以上の割合は同3.2パーセントに対し、14.2パーセントであった[4]。勝った3つのGIがすべて長距離競走だったライスシャワーは「最後のステイヤー[注 2]」とも称された。また、リアルシャダイを母の父に持つイングランディーレ、アドマイヤジュピタもそれぞれ長距離GI競走の天皇賞(春)を制しているが、この「母の父リアルシャダイ」は長距離GIにおける「定番」の血統ともなっていた[6]。, リアルシャダイは2000年の種付けを最後に種牡馬生活から退き、以後は社台スタリオンステーションで功労馬として余生を送った[7]。2004年5月26日、右後脚に発症していた蹄葉炎により衰弱し死亡[7]。25歳没。死後の2009年、社台スタリオンステーションにノーザンテーストと共に馬像が建立された[8]。, 吉田善哉と親しかった山野浩一は、リアルシャダイの訃報に接して自身のブログに次のように綴った[9]。, おそらく吉田善哉さんにとって最も思い入れの深い馬の1頭だっただろう。この馬を買うとすぐにフランスに入厩させ、あえてシャダイの, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=リアルシャダイ&oldid=78822581, 後藤正俊「サラブレッド 新しい日本の血統 - 世界最高レベルに達した日本の種牡馬の個性を掴む」.