イラン・イラク戦争中の1985年、テヘランに取り残された日本人215人を救出したトルコ航空機の元機長、オルハン・スヨルジュさん(87)が2月24日、イスタンブールで死去した。イラン・イラク戦争が始まった1985年3月17日、イラクのサダム 1985年の「テヘランからのトルコ航空による日本人救出」の出来事を出来るだけ多くの人々に語り伝えよう、その事によって、日本とトルコの友好の絆を発展させる一翼を担いたいと思う様になりました。 文/幸福実現党・政務調査会チーフ 小鮒将人 イラク・フセイン大統領が突然、「48時間後に撃墜宣言」!前回は1890年、紀伊半島沖で発生したトルコ船の海難事故、そしてその救助に当たった日本人の対応 … 地球史探訪: トルコによるイラン在留邦人救出(下) トルコはテヘランの自国民に陸路をとらせて まで、日本人救出を優先させた。 転送歓迎 H22.09.05 38,538 Copies 3,331,345Views 1.「日本人の搭乗希 … 2010年以後、日本とトルコの交流がこれまでになく頻繁に行われました。私もその交流に入らせていただきましたので、1985年の「テヘランからのトルコ航空による日本人救出」の出来事を出来るだけ多くの人々に語り伝えよう、その事によって、日本とトルコの友好の絆を発展させる一翼を担いたいと思う様になりました。それを実現する為には、今、自分の周りにいる人達だけでは無く広く目を向けて行かなければいけないとの思いに至りました。, そこで、日本とトルコの友好の活動をされている団体などとの出会いを増やしたいと思い、幅広くコンタクトする事を始めた結果、KC会、日本トルコ友情コンサート実行委員会、トルコ航空日本支社、早稲田トルコ・ホリックサークル、クリエーターズユニオン、ユヌス・エムレトルコ文化センターなど大変多くの方々との出会いが有りました。, この多くの出会いの中でも、早稲田大学トルコ・ホリックサークルの皆さんからは2011年2月に体験談を話す機会をいただいたことから、5月には「早稲田大学トルコデー」で体験談を話させていただきました。, そして、2011年11月3日から6日には、10月23日にトルコ東部ヴァン県で発生した大地震で被災された人達の為にと、早稲田大学トルコ・ホリックサークルの募金活動に一緒に入らせていただきました。それと前後して、日本・トルコファン倶楽部など多くの日本・トルコ友好の活動をされている方々との出会いが有りました。, 私は、2008年に初めて日本とトルコの友好の関係の成り立ちを知る迄は、トルコの隣国のイランに十数回出張したにもかかわらず、トルコに関しての認識は、イランには結構多くのトルコ人が仕事をする為に来ている、という位で、それ以上の事を知る機会は有りませんでした。, 2008年に、エルトゥールル号の遭難事故から始まった、日本・トルコ友好の歴史を知った事から、在日トルコ大使館、串本町、兵庫県国際交流協会、トルコ文化センター、NHK和歌山放送局、和歌山県の向山さんとも出会い、そして、2011年9月、遂に日本・トルコ協会の会員にさせていただきました。この様に、日本とトルコの友好関係向上の活動をしている団体と出会い、本当に多くの日本人はトルコが好きでトルコの事を広めたいと活動している事を知りました。 この様な人達の心、長年に亘る行動が私の命を助けてくれた訳で言わばこの方達もまた私の命の恩人なのです。ですから、何とか恩返しが出来る様にしたいと思っています。, また、これ迄に交流をさせていただいている多くのグループに加え新たに、大島小学校、数社の新聞社、PHP研究所、経団連若手・中堅層勉強会、牧門堂、東奥日報社、富士通ファミリ会などますます交流の輪が広がって来ています。この出会いをさせていただいた多くの人達と日本トルコ友好の絆を広げて行きたいものです。更には、イラン戦友会の皆と協力して、トルコ航空で助けられた日本人が手を結び、活動が出来たらどんなに嬉しいか判りません。, もしこのホームページが、下のようにカラーで表示されていない場合には、こちらをクリックしてください。, 「海難1890」は第39回日本アカデミー賞で2部門の最優秀賞を受賞いたしました!これからも「特定非営利活動法人 エルトゥールルが世界を救う」は、トルコと日本の時空と民族を越えた相互協力の精神をテーマとした映画製作を通して、アジアから世界平和へのアピールを発信しています。, 『イラン・イラク戦争 奇跡の救出劇「~日本・トルコ友情物語~ -沼田凖一さん編-」』, 特定非営利活動法人「エルトゥールルが世界を救う」Kar amacı gütmeyen organizasyon "Ertuğrul Dunyada Barışa". HageOyaji通信  第167話 <小さな歴史の物語> トルコでは小学校の教科書で「トルコ人を救った日本」というテーマであの事件が紹介されていると言うのです。つまり、テヘラン空港の件は、「トルコの恩返し」だったというわけです。 その後、1996年には新潟県柏崎市にトルコ文化村が トルコ航空:日本人救出の元機長が死去、87歳. 日本人215人を救助したトルコ航空の元機長死去 イラン・イラク戦争中の1985年、テヘランに取り残された日本人215人を救出したトルコ航空の元機長、オルハン・スヨルジュ氏が2月24日に死去していたと「小さく」報じられています。 和歌山県・串本町 資料: トルコ軍艦「エルトゥールル号」遭難 平成18(2006)年1月、小泉首相はトルコ公式訪問の事前説明で、トルコ航空によるテヘラン在留邦人救出事件の話を聞いて感激します。 そして、その年5月17日にテヘランで、トルコ航空の元総裁、元パイロット、元乗務員たち11名の叙勲を行ないました。 イラン・イラク戦争中の1985年、テヘランに取り残された日本人215人を救出したトルコ航空機の元機長、オルハン・スヨルジュさん(87)が先月24日、イスタンブールで死去した。 1985年3月12日の毎日新聞夕刊は「テヘラン爆撃 イラク軍報復 市民5人が死亡 日本人の大多数が住む地区」と伝える。「2軒隣の中庭に爆弾が落ちた」と話す縣正樹さん(62)の住んでいた家は、窓ガラスが割れたり壁が崩れたりし、住める状態ではなくなった。83年からイランの首都テヘランの日本人学校に赴任していた縣さん。妻や子供と地下に避難した際、ずっと大人の悲鳴やうめき声が聞こえていたという。「 … イラン・イラク戦争中の1985年、テヘランに取り残された日本人215人を救出したトルコ航空機の元機長、オルハン・スヨルジュさん(87)が先月24日、イスタンブールで死去した。トルコと親交のある和歌山県が1日、発表した イラン・イラク戦争中の1985年、テヘランに取り残された日本人215人を救出したトルコ航空機の元機長、オルハン・スヨルジュさん(87)が2月24日、イスタンブールで死去した。, イラン・イラク戦争が始まった1985年3月17日、イラクのサダム・フセインが「今から40時間後に、イランの上空を飛ぶ飛行機を打ち落とす」と世界に向かって発信したとき、イランに住んでいた日本人は、慌ててテヘラン空港に向かったが、どの飛行機も満席で乗ることができなかった。当時日本の航空会社はテヘランに乗りえれておらず、日本政府は対応できず空港にいた日本人はパニックに陥った。 前回は1890年、紀伊半島沖で発生したトルコ船の海難事故、そしてその救助に当たった日本人の対応に、多くのトルコ国民が感動をしたエピソードをお伝えしました。, 今回は、映画「海難1890」に関して、事故からおよそ100年後、1985年(昭和60年)に中東テヘランで実際に起きた出来事についてお伝えいたします。, 1985年当時、中東ではイラン・イラク間の戦争が長期化していました。当時、石油ビジネス関連の商社マンを中心に約二百数十名人がイランの首都テヘランに居住していたと言われています。, さて、イラクのフセイン大統領は、戦争の膠着状態を打破する事を意図したのか、1985年(昭和60年)3月17日、突然、以下のような宣言を公表しました。「今から48時間を過ぎれば、イラン上空を通過する全ての航空機を無差別に攻撃する。」, 日本人を含め、テヘラン駐在の外国人にとって、この「宣言」は寝耳に水でした。諸国の駐在員は、制限の期日までに帰国の途に就こうとします。, しかし、当時、日本・イラン間の航空便が就航していない日本人には、帰国の手段がありません。駐イラン大使は日本政府に対して緊急に、飛行機の手配を依頼しました。, 依頼を受けた日本政府(当時は中曽根首相・安倍外務大臣)は、まず自衛隊機の派遣を検討しましたが、自衛隊法の制約で海外に飛ぶことが不可能ということが分かりました。, [その後、自衛隊法は改正され、現在では同様の事態が発生した時には、自衛隊機による救助は可能], イラン行きを志願するパイロットも出て、順調に出発する準備が進められたのですが、なんと、当時の労働組合が「乗務員の安全が確保されない状態では出発できない」という理由で、出発を拒否したのです。, 戦争の中、しかも48時間後には撃墜される可能性がある危険な空域を飛ぶことには、大きなリスクがあります。, 組合としての判断は「安全第一」というものでしたが、これも戦後一貫して「平和憲法」を奉じてきたために、リスクを冒すという発想がなかったのかもしれません。同じ日本人として、実に残念な判断でした。, イランに駐在する日本人達が脱出する手段は、他の国の力を借りるしか手段が残されませんでした。, それも極めて望みの薄いもので、時間がどんどん経過していく中、日本人たちの絶望がいかに大きなものであったのかが推測されます。, まず、欧米諸国の航空機会社に依頼して、一人でも多くのチケットの確保を目指しますが、相手は欧州人優先の判断で、ごくわずかに入手できたにすぎませんでした。, そこで、当時の野村豊駐イラン大使は、最後の頼みとして、トルコのビルレル大使を訪れ、トルコ政府に緊急便の依頼をしました。当時イランには、600人あまりのトルコ人がおり、とても日本の支援ができる状態ではなかったので、もともと諦めていたのです。, 一方、トルコ政府に対しても、「商社」のルートを通じて、当時のオザル首相にも同様の依頼を行いました。日本人にとっては、ほとんど可能性のない希望でした。, しかし、トルコ側は、日本人が直面した事態の深刻さを理解し、直ちに臨時便の手配を承諾したのです。, その時にトルコのビルセル大使が日本を助ける理由として語った事が、「これは、エルトゥールル号の恩返しなのです」というものでした。, トルコでは「エルトゥールル号の海難事故」については、教科書にも掲載されるなど、100年前に日本人が心を尽くしてトルコ人を救助した逸話を忘れていなかったのです。, そして、先人たちが日本から受けた恩を返す機会だと、快く救助の手を差し伸べてくれたのです。, このように、トルコ政府の決断によって、「緊急の」旅客機1機が出発しましたが、1機だけでは、すべての日本人を救助することができないことが分かりました。, そこで、トルコ側は、もう一機の「定期便」も、日本人のために使ってもらう事を提案しました。, 当時、イランに駐在していたトルコ人は、自らが乗り込む予定だった飛行機を諦め、自動車に分乗して、母国トルコに向かったのです。, かれらもこの決定について、「100年前の恩を返そう!」と一致し、ほとんど異論は出なかったと言われています。, このトルコによる救助によって、制限時間以内に、帰国を希望する全ての日本人が無事に日本に帰ることができました。, 国際政治の判断には、国益と国益とのぶつかり合いの中で、冷徹な判断が求められるものですが、今回のエピソードのように魂と魂がふれ合う温かみがあることも分かりました。, そうした意味で、日本人として、先人たちの偉業を再認識し、日本人としての誇りを取り戻す一方、日本人を誇りに思っている国もあることを忘れない事も大切だと感じました。. エルトゥールル号遭難事件 – Wikipedia. 1985年3月19日、テヘランから私を含む215人の日本人を救出したのが、トルコ航空だった事から、なぜ日本が救援機を出さなかったのかについて暫くの間論議が有りました。ここに、1985年4月3日の参議院 … テヘランには大勢のトルコ人がいる。トルコ政府としてはまずはトルコ人を救出すべきなので、その対策で頭が一杯である。外国人である日本人救援のことまで頭が回らないのが実情なのに、何を言ってい …   タイムリミットの1時間15分前、トルコ航空の飛行機が到着し、日本人216名全員を乗せて成田に飛び立った。なぜ、トルコ航空機が来てくれたのか、日本政府もマスコミも知らなかった。この時、元駐日トルコ大使のネジアティ・ウトカン氏は次のように語られた。「エルトゥールル号の事故に際して、日本人がなしてくださった献身的な救助活動を、今もトルコの人たちは忘れていません。私も小学生の頃、歴史教科書で学びました。トルコでは子どもたちでさえ、エルトゥールル号の事を知っています。今の日本人が知らないだけです。それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空機が飛んだのです」, エルトゥールル号の遭難というのは明治23年(1890)の出来事で、横浜を出港したオスマン帝国の軍艦がその2日後に和歌山県沖で台風に煽られ約600名が遭難事故にあいました。生き残った69名を串本町の住民が献身的に介助し、また、多くの遺体を引き上げて丁重に葬りました。そして明治天皇以下国民あげて全国から弔慰金が寄せられ、トルコの遭難者家族に届けられました。これが日本とトルコの友好関係の礎になったといえます。, この事実は今でもトルコの教科書に載せられ子供たちに教育されています。1985年のトルコ航空による日本人救出は、トルコの教育がもたらしてくれたといえますが、同時に私たちは先人たちにも感謝するべきです。, イラン・イラク戦争中の1985年、テヘランに取り残された日本人215人を救出したトルコ航空機の元機長、オルハン・スヨルジュさん(87)が先月24日、イスタンブールで死去した。トルコと親交のある和歌山県が1日、発表した。在イスタンブール日本総領事館によると、病死とみられる。, イラクがテヘラン空爆を開始した際、日本の航空機が就航しておらず、脱出のために空港に押し寄せた在留日本人が孤立。トルコ政府が救出のため特別機2機を派遣した。スヨルジュさんはこのうち1機の機長。その功績で06年、旭日小綬章を受章した。【岸本桂司】, リンク