ベトナム・ホーチミン市の中心部にある戦争証跡博物館は、世界から年間約100万人が来館。ベトナム戦争の残酷さ、悲惨さを体感できます。戦闘機類、銃器類の実物展示の他、ピューリッツアー賞受賞の戦場カメラマン沢田教一、「飛び散った体」で知られる石川文洋の写真。 1973年にピューリッツァー賞を受賞した、「戦争の恐怖」という有名な写真があります。 ベトナム戦争で爆撃を受けて裸で逃げる9歳の少女の写真で、1度見ると忘れられない印象深い写真ですが、彼女が大人になったときの写真が紹介され、話題を呼んでいました。 ベトナム戦争に関する資料が多く展示されているホーチミンの戦争証跡博物館。戦争当時のかなり生々しい写真や武器、世界中の反戦運動の様子などの中から特に印象に残った展示物を紹介します。 戦時中や戦後の被害にあった方々の生々しい写真が多く飾られており、ほとんど写真を撮ることを忘れて資料に見入ってしまいました。, 今回は、そんな衝撃的な博物館の内部の様子と、特に印象的だった展示物についてご紹介します。, アメリカを主とする資本主義国が南ベトナムを、ソ連を主とする社会主義国が北ベトナムをそれぞれ支援したことから、冷戦を背景に持った代理戦争とも言われています。, 1973年にはアメリカがベトナムから撤退し、1975年には南ベトナムが負けたことで終戦を迎えまていますが、当時米軍が使った枯葉剤などによる被害は2019年現在にも繋がっているなど、後世にわたって多大な問題を生むことになった戦争です。, 戦争証跡博物館は、戦争で使われた大きな兵器などが展示されている建物の外部と、写真や武器、資料が展示されている建物内部とに分かれています。, こちらは世界中で起こっていたベトナム戦争に対する反戦運動の様子を写した写真たちです。, 当時東京に住んでいた金子徳好さんは、ベトナム戦争中の北爆が開始された頃から約8年間、毎日このゼッケンをつけて職場まで通勤していたそうです。, 下半身が繋がった双子として有名なベトちゃんドクちゃんの写真なども展示されています。, 文字として理解していた情報も、こうやって写真で見るとあまりにも生々しく、強い衝撃を受けました。, 『サイゴン政府のベトナム軍も韓国軍も米軍も私にはすごく優しい。「敵」を見つけた途端、容赦ない人間に変貌する。』, ここで言われている「敵」とは、北ベトナムの一般市民からすれば「味方」であり「すごく優しい」存在でもあるはず。, その影響によって荒廃した土地(南北ベトナムのちょうど境界にあった場所)の様子です。, この写真を撮った人が19年後に再びこの地を訪れた時、この少年は全身麻痺が進んでしまい、会話もできないほどになっていたらしい。, 2019年現在、ダイオキシンの除染作業は進んでいるようですが、いまも枯葉剤によって身体に何かしらの影響を受けている被害者の数は100万人以上もいるそうです。, 他国の事情に介入し、世代を超えて被害をもたらすことになったアメリカの罪は結果として重すぎるものになってしまいましたね…。, イラク戦争時もそうでしたが、むやみに他国に干渉することがいかに危険なことかを改めて教えてくれる展示物でした。, こちらはベトナム戦争を追っていた写真家の石川文洋さんが、実際に使用していたNikonのカメラです。, 石川さんの写真も多く展示されているからか、施設内は日本語で書かれた資料も多く、非常に見学しやすい環境でした。, 他の場所で代わりに展示されているといったこともないので、事前にネットなどで工事の情報などは入手しておきましょう。, たった40年ほど前に大きな内戦があったとは思えないほどの発展を続けているベトナム。, ホーチミンを訪れた際にはぜひ戦争証跡博物館に足を運び、戦争から現在へと続くベトナムの歴史をのぞいてみてください。, 本記事ではベトナム最大の都市ホーチミンから、カンボジアの首都プノンペンへバス移動した時の様子をお伝えします。国境越えをする際の注意点や、飛行機よりも陸路移動がおすすめな理由、実際に利用してよかったバス会社や料金についても解説しています。, ベトナム戦争終結の象徴として知られるホーチミンの統一会堂。内部では北ベトナム軍が侵入してきた戦車が展示されていたり、南ベトナムの大統領が邸宅として使用していた当時の様子を見て回ることができます。本記事ではそんな統一会堂の見どころや見学時の注意点について述べています。, ホーチミンから日帰りで行くことができる人気のメコン川クルーズ。本記事ではそんなメコン川クルーズの現地ツアーに参加した時の様子をお届けします。ツアーのデメリットや注意点、おすすめの予約方法についても紹介しているので、最後まで要チェックです。, ベトナム・ホーチミンにあるタンソンニャット国際空港からタクシーを利用する際に巧妙な窃盗の被害にあったので、その時の状況と手口を公開します。UBERやGrabなどの配車サービスを利用している方も要注意です。同じような被害に合う方が少しでも減りますように。, 首都をしのぐベトナム最大の街ホーチミン。フランスの植民地時代やベトナム戦争を経て、複雑な歴史の跡を残す街となりました。本記事ではそんなホーチミンを観光する際に訪れるべき見どころスポットとおすすめの食べ物たちを紹介していきます。. そんな中、ベトナム国内だけで200万人近い人々が犠牲になったこの悲惨な過ちを二度と繰り返してほしくないと願いを込め、ベトナム戦争に関する写真や保管物を展示しているのがこちら「戦争証跡博物館 … ベトナム戦争が激化すると現地での取材を強く希望しましたが受け入れられず、休暇をとって自費で取材に向かいました。この写真が好評を得たため、はれてupiの特派員としてベトナムで取材することに … 沢田教一(さわだ きょういち)は1961年、UPI通信東京支社に入社しました。ベトナム戦争が激化すると現地での取材を強く希望しましたが受け入れられず、休暇をとって自費で取材に向かいました。この写真が好評を得たため、はれてUPIの特派員としてベトナムで取材することになったのです。, 沢田はベトナムで、命知らずのカメラマンとして有名になりました。前進するアメリカ軍部隊を撮ろうとして地雷原に踏み込んだこともあります。あるとき、攻撃下にある川の土手に登り、2人の母親が対岸から子供たちを連れて水のなかを歩いて渡ってくる姿を撮影しました。家族は村から逃げてきたのです。女性たちは爆撃の意味を理解していました。村は南ベトナム解放民族戦線が基地にしていたために米軍の爆撃を受けている。つまり、爆撃の手が緩むことはない、と。, 「安全への逃避」との題で新聞に掲載されたこの写真で、沢田教一の名は一躍知れ渡りました。そして、1966年のピュリツァー賞を勝ち取ったのです。また、他の多くの賞も受賞しました。, 沢田はその後、香港支局に移ったのち、再びベトナムに戻ります。1970年10月28日、カンボジアの取材中に国道2号線で襲撃を受けた沢田は、帰らぬ人となりました。, 米国内で発表された優れた報道・作品に授けられる「ピュリツァー賞」。時代を映す報道写真集の決定版に、2015年までの最新受賞写真を加えた改定版。, Q:おたふく風邪のワクチン認可は史上最速といわれていますが、その期間は次のうちどれでしょう。. 【ホンシェルジュ】 ベトナム戦争は、ベトナムだけでなくアメリカやソ連など、各国の思惑がまじりあう複雑な背景から生じた戦争でした。世界中の国々に大きな影響を及ぼしたこの戦争をわかりやすく解説し、おすすめの本をご紹介します。 | Emmy(本の虫、歴史好きライター)