埼玉西武ライオンズ ストアオンラインの公式Twitterアカウントです。たくさんのグッズ情報をお届けします♪ また、「Lions」のロゴも一新される ことが2009年1月1日、公式ホームページにて発表された。それに伴ってユニフォームのデザインも一新。基本デザインは西鉄ライオンズ時代のユニフォームデザインを踏襲しており、ホーム用は白地に紺の前掛けライン。 6月27日、伊原監督からの申し入れによる正式に監督辞任と、7月1日付での球団本部付アドバイザーへの就任を発表した(田辺の監督代行職はそのままである。)[50]。, 9月22日の対ソフトバンク戦(西武ドーム)に敗れ、7年ぶりにシーズン負け越しが決まり[51]、9月27日には5年ぶりのBクラスが決まった[52]。10月2日、来季より田辺が正式に監督に就任することが発表された。途中加入のメヒアは中村と共に2リーグ制後初となる「同一チーム2人本塁打王」となるものの、総合成績は5位に終わる[53]。 ドラフトでは高橋光成を指名。また、投手陣の補強でエスメリング・バスケス、ウェイド・ルブラン、ミゲル・メヒア、郭俊麟を獲得した。, 開幕より中村・メヒア・森友哉などをそろえた打線により、チームは1991年以来24年ぶりの開幕5連勝を飾った[54]。交流戦では中村が期間中に8本の本塁打を放つ[55]など10勝6敗2分の3位となり[56]、交流戦以降はソフトバンク、日本ハムとの首位争いとなり前半戦を3位でターンした。しかし、後半戦になると失速、のちに球団ワースト記録となる13連敗を喫し最大11もあった貯金がなくなってしまった。連敗中は抑えを髙橋朋己から牧田和久に配置転換した。8月29日、対楽天戦に3-2で勝ち、球団通算4500勝を達成した[57]。2リーグ制分立後に発足した球団では最速で、巨人・阪神・中日・オリックス・ソフトバンクに次いで6チーム目[58][59]。また、1950年の2リーグ制後に4500勝を記録したのは巨人に次いで2球団目[60]。終盤はロッテとのCS進出争いとなり、西武が先に3位でシーズンを終えるがロッテが逆転し最終順位は4位となりCS進出を逃した上、球団としては34年ぶりの2年連続Bクラスとなった[61]。秋山翔吾がシーズン216安打の日本記録を樹立した。この年に西口が現役を引退。, 開幕から中継ぎに再転向した牧田の好投やメヒアら打撃陣の好調により一時は首位に立つが、岸孝之の故障離脱やその他先発陣の不調、両リーグ最多の失策数を記録する守備の乱れが響き、5月5日には最下位に転落してしまう。これらを受けて2軍投手コーチの森慎二を1軍投手コーチに昇格、先発要員としてフェリペ・ポーリーノとブライアン・ウルフを緊急獲得した。しかし9月11日のソフトバンク戦で2年ぶりの負け越し、9月21日のオリックス戦で3年連続のBクラスが決まった。シーズン最終戦で田邊監督の退任が正式発表され、後任にはOBの辻発彦が就任。金子侑司が自身初の盗塁王を獲得した一方、4年ぶりに失策数が3桁に到達(失策数101はセ・パ12球団ワースト[62])・外国人先発投手が19戦連続未勝利を記録するなど課題の多く残るシーズンとなった。また、2005年の球団創設から2015年まで年間対戦成績で一度も負け越しがなかった楽天相手に初めて負け越した[63]。この年はオリックス戦のみ勝ち越してパ・リーグ全球団に負け越しは免れたがCS争いには加われず4位に終わった。オフに長年主力として活躍した岸孝之がFAで楽天に移籍した[64]。, 1月16日、本拠地である西武ドームの名称をネーミングライツによって3月1日から『メットライフドーム』にすることを発表[65]。4月中旬以降、5月上旬の一時期に4位となったほかは8月末まで3位を保ち続けた。この間、7月21日から8月5日にかけて西鉄時代以来59年ぶりとなる13連勝を達成した[66]。8月31日に2位の楽天との直接対決を制して2位に浮上すると[67]、その後はシーズン終了まで2位を維持した。西武のAクラス入りは2013年以来4年ぶり。外崎修汰が3年目でレギュラー定着し、シーズン中盤からは打撃不振の中村、メヒアに代わって山川穂高が4番に座った。エースの菊池雄星がリーグ最優秀防御率および最多勝を達成[68]、新人の源田壮亮が56年ぶりとなる新人でのフルイニング出場を達成し新人王を受賞[69]、秋山翔吾が打率.322で首位打者となった。クライマックスシリーズではファーストステージにおいて3位の楽天と対戦し、第1戦ではエース菊池が完封し10-0で大勝するが第2戦・第3戦で敗れ、1勝2敗で敗退となった。オフに野上亮磨がFAで巨人へ、牧田和久がポスティングシステムでサンディエゴ・パドレスへそれぞれ移籍した。一方で、楽天を退団した松井稼頭央がテクニカルコーチ兼外野手として15年ぶりに復帰した。, 所沢への球団移転以来40周年の記念に当たる年で、様々な催しや事業が実施される[70]。中でも最大の事業は2017年末から2021年春にかけて予定されている西武ドームや二軍施設とその周辺の大規模な改修・再整備である[71][72][73][74]。4月17日には東京ドームで初めて主催ゲームも行われた[75]。4月21日、本拠地で開幕から8連勝となり球団初の記録となった[76]。また、貯金が10となり開幕18試合以内での到達は、1954年、1955年に続く63年ぶりの球団3回目となった[77]。4月22日にロッテに勝ち、本拠地西武ドームで開幕から9連勝と球団記録を更新して貯金を11とし[78]、最終的に本拠地での連勝を12まで伸ばした[79]。4月25日にソフトバンク戦で5試合連続9得点を挙げて、パ・リーグ新記録を達成した[80]。また、14年ぶりの4月に2度目の5連勝となった[81]。強打で首位の座を一度も譲らず、9月半ばから勢いが加速、9月14日の楽天戦から12連勝で一気にマジックを減らし、9月30日、マジック1としていた首位西武は日本ハムに敗れたがマジック対象チームである2位のソフトバンクもロッテに負けたため、10年ぶり22度目のパ・リーグ優勝が決まった[82]。1、2位が同日に敗れて優勝が決まったのは2010年パ・リーグのソフトバンクと西武以来[83]となり、開幕から首位のまま優勝したのは2リーグ制では1953年の巨人、1962年の東映、1997年のヤクルトに続く4例目の記録だった。771得点、191ホームラン、2割7分3厘の打率と攻撃面はリーグトップを記録した一方で防御率4.27と636失点、84エラーはいずれもリーグワーストで、この内防御率が最下位で優勝したのは2001年の大阪近鉄バファローズ以来となった。, その後、クライマックスシリーズファイナルステージで2位のソフトバンクと対戦するが、4.27の防御率とアキレス腱だった投手陣が5試合で合計44失点と壊滅。初戦で敗れ2戦目で勝利したが3戦目から5戦目まで3連敗を喫し、アドバンテージ1勝を含めた2勝4敗で敗れた。辻監督は試合後に行われたシーズン最終戦セレモニーで、「まさか今日2018年シーズンが終了するとは考えてもいませんでした」と3連敗で敗れ去ったことを悔しがり涙を流し続けた[84]。松井稼頭央、藤原良平、坂田遼、福倉健太郎が現役を引退し、オフにFAで浅村栄斗が楽天に、炭谷銀仁朗が巨人に移籍。また、菊池雄星がポスティングシステムでシアトル・マリナーズに移籍した。, 内海哲也をFAの人的補償で獲得したが、その内海を含めて開幕前に先発陣に故障者が相次いだ。開幕以来一度も首位を譲らず優勝した昨季とは異なり、開幕戦最初からソフトバンク3連戦で3連敗を喫し、リーグ最下位からのスタートとなった。しかし、令和に入ってから、5月1日に山川がパ・リーグの令和初ホームランを打ち、5月5日に今井が令和初の完封勝利を果たした。7月9日に首位とのゲーム差が最大8・5まで開いたが、8月に入って打線が奮起。9月11日、ソフトバンクとの首位攻防戦に勝って初めて首位に立ち、9月24日、マジックを「2」としていた西武は対ロッテ戦(ZOZOマリンスタジアム)に勝利し、2位のソフトバンクが東北楽天に2-4で敗れたため、2年連続23度目のリーグ優勝を果たした。浅村や菊池、炭谷と主力の離脱でチーム状況は決して万全とは言えなかったが、そんな前評判を覆し、12球団トップの756得点[注 23]をあげる圧倒的な打力を武器に優勝を勝ち取った。パ・リーグの2連覇は2014 - 2015年のソフトバンク以来、球団では1997 - 1998年以来となった[85]。なお、この年の5月1日に元号が平成から令和に改元されたことで、プロ野球史上初めて元号をまたいだ連覇となった。山川穂高120打点、中村剛也123打点、森友哉105打点で球団史上初の100打点トリオを形成し、パ・リーグでは2003年のダイエー(ソフトバンク)以来の快挙となった。さらに山川が本塁打王(2年連続)、中村が打点王(4度目)、森が首位打者(初)、金子が盗塁王(2度目)、秋山が最多安打(4度目)と6部門中5部門で西武がそれぞれトップを占め、打撃タイトルを総なめにした[86]。しかし、勇躍臨んだソフトバンクとのCSファイナルステージだったが、3連敗を喫し、第4戦では今宮に3本の本塁打を許すなど、1勝もできぬまま4連敗(アドバンテージ1勝を含む)。シーズン756得点の強力打線は、わずか13得点とふるわず、ソフトバンクバッテリーにことごとく、その長所を消された。一方、防御率がリーグワーストの4・35と泣きどころである投手陣は、この短期決戦でも4戦32失点(自責29)、防御率7・25と試合をつくれず、短期決戦巧者のソフトバンクから主導権を奪えなかった。昨年と同じソフトバンク相手に、計1勝8敗と、全くふるわない短期決戦でのもろさが際立ち、本拠地4連敗という屈辱的“逆スウィープ”で2年連続の下剋上を許し、日本シリーズ進出を逃した[87]。来季から3軍制を導入することを発表した。オフに中日から自由契約の松坂大輔が14年ぶりに古巣へ復帰し、秋山翔吾が海外FAでシンシナティ・レッズに移籍した。, 今季は開幕から主砲の山川穂高が打撃不振に陥り、新戦力のコーリー・スパンジェンバーグも開幕直後は低調だった。また、シーズン中盤には中村剛也が死球を受け故障離脱、昨年首位打者の森友哉がシーズン全体を通して打率2割5分前後にとどまるなど昨年までの強力打線は影を潜めた。さらに課題の先発投手陣も昨年チーム最多勝のニールを筆頭に軒並み防御率4点台から5点台と不調で夏場には借金生活に入り、8月には5位まで後退する。しかし、シーズン後半になると救援投手陣で7回森脇亮介、8回平良海馬、9回増田達至の必勝リレーが確立し、シーズン終盤の接戦を落とさなかったことで10月下旬には借金を完済し、Aクラスでシーズン終えたが、ロッテとの直接対決の末、敗れて3位となり、CSを逃した。楽天とロッテは勝ち越したが、今季のチーム防御率が最下位であり、ソフトバンク、下位の日本ハムとオリックスに負け越す等三連覇を逃す原因となった。, ※1982年度は日本ハムとのプレーオフを制して優勝。2004年度はレギュラーシーズン2位ながらプレーオフで3位・日本ハムを2勝1敗、1位・福岡ダイエーを3勝2敗でそれぞれ破り優勝。, 1965年からは小倉球場(現:北九州市民球場)、1973年からは藤崎台県営野球場を準本拠地として試合を開催し、いずれも1978年まで使用された。, なお、西武は本拠地(西武ライオンズ球場→西武ドーム)での試合開催率が高く[注 25]、特に1993年までの15年間では西武球場で全ての主催試合を行ったのが1982年から1986年と1989年から1993年の計10年間あり、それ以外の5年間も地方球場開催は平和台のみだったが、1994年以降は徐々に地方開催を行うようになった。特に2000年から2008年までの間は長野オリンピックスタジアムでの開催が毎年続けられたほか、1996年からは群馬県立敷島公園野球場でも2、3年に1回開催しており、渡辺久信監督在任時期は同監督の出身地ということもあってほぼ毎年開催されていた。また、2008年からは埼玉県営大宮公園野球場でも毎年主催試合を行っている(参照:埼玉西武ライオンズ主催試合の地方球場一覧)。なお、球団名に「埼玉」が付いてからは埼玉県外での公式戦主催試合は減少傾向である。, 「地平を駈ける獅子を見た」と同時期に発表された(同曲シングルレコード盤のB面に収録)応援歌「LET'S GO LIONS」(作曲・編曲:長戸大幸)もあるが、現在演奏される機会は少なくなっている[注 33]。, 球団創設70周年に当たる2020年には、広瀬香美がカヴァーした「吠えろライオンズ」が6月9日にリリースされた。リニューアルにあたり、歌詞が「西武ライオンズ」から「埼玉西武ライオンズ」に改められている[117]。, なお、ホームラン編集部制作の「12球団全選手カラー百科名鑑」(日本スポーツ出版社→廣済堂出版→廣済堂あかつき)では、各球団を紹介する際に球団歌を掲載するのが基本であるが、西武に関しては応援歌である「吠えろライオンズ」の方を掲載している。, また文化放送が「文化放送ライオンズナイター」用の挿入歌としてばんばひろふみ・梶原しげる(当時同局アナウンサー)が歌う「Vのシナリオ〜吼えろライオンズ」という楽曲が1985年ごろに発表されているが、現応援歌の「吠えろライオンズ」とは同名異曲である。, ライオンズのマスコットキャラクターは、埼玉移転後に制定された以下の2体である。どちらもデザインは手塚治虫が手掛けた。詳しくは当該項目を参照されたい。, なお、太平洋・クラウン時代は黄色い顔のライオンをペットマークに使用[注 35]。また、西鉄時代もライオンをデザインしたペットマークを使用。当時のジャンパーの胸部にワッペンが張り付けられていた。, ドーム化前の西武球場は雨天中止が多く、後半の試合日程が厳しくなるケースもあった。そのため本拠地を所沢から都心である東京の台場に移転してドーム球場を建設しようという案が浮上した。しかし、当時既に東京都を保護地域とする球団が3球団[注 36]もあり、全ての球団の承諾を得る必要があったことや移転に対する地元所沢近辺のファンの猛反発、多額の建設費用の捻出、グループ企業の西武鉄道からの利用客減少への懸念の意見が出たため困難となり、結局は西武球場に屋根をかけドーム化させた。, 西武による買収以降、当時の堤義明オーナーが「西鉄とわれわれは別の球団」と宣言した[119]ことに現れるように、2007年までは福岡時代の歴史を極力消す傾向にあった。, 球団の公式記録は全て埼玉移転後の記録のみが扱われて発表され、1950年の球団創立以来の通算記録は全く回顧されなかった[注 37]。また、福岡時代に在籍したが、埼玉移転の前に退団して西武ライオンズへの在籍経験がない選手などは球団のOBとして認められず、顕彰や始球式などは基本的に行われなかった[注 38]。このような扱いに対して福岡時代のファンの反発も強かった。, しかし、2005年に堤が西武鉄道株をめぐる証券取引法違反で失脚し、2007年に後藤高志がオーナーが就任すると球団の歴史に対する扱いが変わることとなる[119]。2008年は西武球団創設(埼玉移転)30周年(30シーズン目)と西日本鉄道創業100周年が重なることから、6月から8月の試合で西鉄時代のユニフォームを着用し、連動して西鉄→太平洋→クラウンまでの福岡時代の歴史を回顧する「ライオンズ・クラシック」企画が豊田泰光監修の下で展開された。西鉄時代のユニフォームは基本的に実施期間内の西武ドームでの主催試合で着用したが、西鉄時代の本拠地だった福岡(現在の福岡ソフトバンクホークス本拠地である福岡Yahoo! 埼玉西武ライオンズ: 会社名 株式会社西武ライオンズ 創設 1950年1月 (70年前) ( ) 今シーズン 2020年の埼玉西武ライオンズ: ロゴデザイン: イニシャルマーク 所属リーグ: パシフィック・リーグ. 胸のロゴはSeibu、その上に小さくSaitamaと入っている。どことなく大人びた雰囲気のデザインでありながら、歴代のライオンズを象徴する黒(西鉄)、青(西武)、レジェンドブルー(埼玉西武)の3色を襟と袖口のラインに入れた野心作でもある。 !|埼玉西武ライオンズ, 7/19(金)~「ライオンズ フェスティバルズ 2019」は期間限定“令王≪レオ≫”ユニフォームで、新時代“令和”初の王座をつかみ獲る!|埼玉西武ライオンズ, ライオンズ70周年「SPIRIT of KING」が始動!70周年ユニフォーム発表&4/21東京ドーム開催を含む3試合でビジター外野除く来場者全員配布(※)|埼玉西武ライオンズ, 西武、2020年出陣式開催で“黄金期ユニ”披露 年間16試合で70周年シリーズ開催, 球団応援歌を初のリニューアル!「吠えろライオンズ LIONS 70th バージョン」歌い手は広瀬香美さん!ラッキー7を一緒に盛り上げてくれるファンクラブ会員も募集!, 西武ライオンズの先祖に“幻の球団歌” 1950年に1シーズンだけ存在「西鉄クリッパース」, “九州の礎を築いた群像 西鉄編 (10) ライオンズ 復興支えた栄光の「野武士集団」 創設の裏に白洲次郎、GHQ… (6/8ページ)”, http://sankei.jp.msn.com/economy/news/131217/biz13121722550025-n6.htm, 球団情報 | 西武ライオンズ (Internet Archive 2008年2月3日時点でのアーカイブ), “九州の礎を築いた群像 西鉄編 (10) ライオンズ 復興支えた栄光の「野武士集団」 創設の裏に白洲次郎、GHQ… (7/8ページ)”, http://sankei.jp.msn.com/economy/news/131217/biz13121722550025-n7.htm, “夜行高速バス 福岡〜横浜・池袋(大宮)線「Lions Express」 デザイン決定!”, http://www.nishitetsu.co.jp/release/2011/11_141.pdf, “[高速バス]福岡〜横浜・池袋(大宮)線「Lions Express」 12/8から運行開始”, http://www.nishitetsu.co.jp/release/2011/11_127.pdf, asahi.com:「本人、知らなかったことに」西武が偽装指示 早大会見 - ドラフト裏金, asahi.com:西武調査委が最終報告書 処分は連休明け以降に  - ドラフト裏金, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=埼玉西武ライオンズ&oldid=80363903, (1954年、1956年 - 1958年、1963年、1982年 - 1983年、1985年 - 1988年、1990年 - 1994年、1997年 - 1998年、2002年、2004年、2008年、2018年 - 2020年), (1956年 - 1958年、1982年 - 1983年、1986年 - 1988年、1990年 - 1992年、2004年、2008年), (1951年 - 1952年、1954年 - 1958年、1960年 - 1963年、1965年 - 1967年、1975年、1982年 - 2006年、2008年、2010年 - 2013年、2017年 - 2019年), (1950年、1953年、1959年、1964年、1968年 - 1974年、1976年 - 1981年、2007年、2009年、2014年 - 2016年), 連続Aクラス入り最長記録 25年[日本プロ野球記録](1982年 - 2006年), 1952年より正式なフランチャイズ制が敷かれる。なお、1950年は西日本パイレーツの本拠地としても規定されていた。, 西武球場の完全ドーム化は1999年。名称は第1期工事(スタンド外周部に屋根を架設する工事)が完成した1998年に「西武ドーム」に変更されている, 作者の手塚によると、堤オーナーから直接「引退中のジャングル大帝レオを球団マークとして復帰させてみる気はないですか」との連絡があり、さらに「子供のレオではなく、大人になってからのレオに衣服(ユニフォーム等)を着用させて使いたい」との意向も示され, 生え抜き選手での200勝投手は稲尾和久(276勝)、東尾修(251勝)がいる一方、2000本安打を記録した打者はいない(2019年レギュラーシーズン終了時点で栗山巧の1825安打が球団記録), 1951年 - 1972年 - 球団名が西鉄ライオンズへの変更に伴い「CLIPPERS」の部分を「LIONS」に変更。書体はその後数度にわたって変更されている。, 1973年 - 1976年 - 球団買収により、球団名が太平洋クラブライオンズへの変更に伴い、上が青・下が赤のセパレート型、間に白の細い線。上には太平洋クラブの社章。下には白文字の筆記体で「Lions」。, 1977年 - 1978年 - メインスポンサーがクラウンガスライターとなり、球団名がクラウンライターライオンズへの変更に伴い、上が赤・下が青のセパレート型と太平洋時代のものとは上下反対に、中心の白線が太くなる。中心の白地に青文字で「CROWN LIGHTER」の文字。上に王冠と「C」を模したクラウンのマークが入った。白文字の筆記体で「Lions」のロゴが大きくなる。, 1979年 - 西武グループが買収し、球団名が西武ライオンズへの変更に伴い、ライオンズブルー(水色)が地色。中央に手塚治虫デザインの「レオマーク」。上に白文字で「SEIBU」、下に白文字の筆記体で「Lions」。総合デザインはユニフォームを含めて, 2005年 - 2006年 - 二軍の球団名がインボイスに変更され、白地にインボイスのマーク。, 2007年 - 二軍の球団名がグッドウィルに変更され、白地にグッドウィルのマーク。, 1969年には背ネームが除外。番号がゴシック体風書体となる(公式戦使用終了後は練習用として使われ、西鉄最終年のみ在籍していた, 1970年には左袖に足を1本突き出すライオンのイラストワッペンを装着。ビジター用がブルーグレーに変更、また、ビジター用の胸のロゴが1951年から1958年途中まで使用されていた「NISITETSU」マークに変更される。, 帽子、アンダーシャツ、ストッキングがチームカラーのライトブルーとなり、袖、首、パンツに“太陽”と“草原”のイメージにより考案された赤、緑のラインが入る。, 背番号、胸番号の書体がゴシック体になり、パンツは腰ラインの入っていないベルトレスタイプになる。, ホーム用は、上下白で、胸ロゴ、胸番号、背番号はライトブルー。左袖にライトブルーの文字で, ビジター用は、上下ライトブルーで、胸ロゴ、胸番号、背番号は白。左袖には白文字でLionsのロゴが入った(1995年まで使用されたが、イースタンでは1996年まで使用された)。, 2002年からのビジター用は、ホーム用と同じくナイキの製造になり、大幅にモデルチェンジされ、ビジター用の上着の正面がグレー、脇・背中がライトブルーになり、パンツがグレーになる。胸のネームと番号は、発表時は白だったが、公式戦時にブルーへ変更された。また、札幌、長野での主催ゲーム用にサード・ユニフォームも登場した。ホーム用をアレンジしたもので、ネームと番号の縁取りが黒。番号のロゴは、ビジターと同じものを採用。ビジター用とサード用の帽子からは、緑の楕円がはずされた(ヘルメットは、ホーム用と同じ)。なお、3種類とも右袖にプライド・ロゴ(赤・緑の2色のホームベース型にLionsのロゴと日本一の回数の8個の星をあしらったもの)が入る。, ただし、キャップを除きこのユニフォームの使用は開幕戦からで、初年の春季キャンプ・オープン戦時は、上が新デザインを踏まえた紺のオリジナル仕様練習着、パンツおよびヘルメットは昨年までのライトブルーの時代のものを使用。, 1976年 - 基本的に前年と同じものを使用。帽子は同年の一軍と同じくTLマークを入れたものを使用。, 2005年 - 2006年 - 二軍の球団名がインボイスに変更され、帽子のマーク・ホーム用の西武百貨店マークがインボイス社の, 2007年に夏季特別企画として、7月10日から8月30日の主催ホームゲームで、特別ユニフォームと1979年から1996年まで使用されていたビジターユニフォーム(いわゆるライオンズブルー)の復刻版を使用。特別ユニフォームはフロント・わきの下の部分が水色、背中と肩の部分が白。胸ロゴの「LIONS」と背番号・胸番号は赤縁に白。背中にライオンの牙をモチーフにした赤い模様が入ったもの。, 2008年に交流戦限定ユニフォームを着用。肩から袖にかけての部分と脇からわき腹にかけての部分が白、それ以外の部分がライオンズブルー。右胸に所沢移転30周年記念ロゴのワッペン、肩の上には黒縁に白の☆、背番号の下に2008年のスローガン「No Limit!」をあしらったもの。, 2012年、球団の親会社である西武鉄道の設立100周年を記念し、全国の小中学生からユニホームのデザイン案を募集, 8月11日についてはライト外野自由以外のすべての入場者に対してレプリカユニフォームのプレゼントが行われた, 上述したとおり、好成績を残したことから8月27日、9月13日~9月21日の公式戦8試合での炎獅子ユニフォーム再着用が発表された。, 10月8日、4年ぶりに進出したクライマックスシリーズ(CS)に向けて、選手や監督からの要望により、CSファーストステージとファイナルステージ(進出の場合)で再々着用することが発表された(レギュラーシーズンと異なりファーストステージの対戦相手となる楽天はビジターユニフォームを着用するため同系色のユニフォームでの対決となる)。限定ユニフォームでCSを戦うのはクライマックスシリーズ創設以来初めてのこととなる。, 2000年:Hit!Foot!Get!