つれづれベースボール。 2020 All Rights Reserved. 今回は千葉ロッテマリーンズの歴史に残る名ピッチャーを紹介する。, ”サンデー兆治”こと村田兆治は、まず外せないだろう。マサカリ投法から繰り出されるフォークボールで三振の山を築き、最多奪三振を4度記録している。 当記事では、2019年ドラフト会議の変更点を分かりやす …, プロ野球ファンであれば、「田澤ルール」という単語を聞いたことがあるかもしれません。 管理人のつれボーです。 1983年には、ヒジの故障で現在では当たり間のようになっているトミージョン手術を受けた。リハビリ期間を経て1985年に本格復帰。故障箇所への影響を考慮して、当時としては珍しい中6日の登板が続くが、それが日曜日だったこともあり”サンデー兆治”と呼ばれるようになったのだ。 歴代の名ピッチャーたちを知りたいと思ったことはないだろうか? 今回は千葉ロッテマリーンズの歴史に残る名ピッチャーを紹介する。 「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」 以降もルーキーイヤーの松坂大輔との投げ合いなど、人々の記憶に残る熱闘を見せてくれた黒木知宏。このような数々の熱闘が”魂のエース”と呼ばれる所以となった。, 前身のチームを含めて、千葉ロッテマリーンズの名ピッチャーは成績よりも人々の記憶に残るような投球を見せてくれた選手が多いようだ。 野球をこよなく愛する一般人代表を自負しております。 開幕延期で「野球ロス」になっているファンの方々に少しでも心の隙間を埋めていただきたく、Full-Count編集部では“夢のベストナイン”選考をツイッターにて限定アンケートで実施。 絶対的エースだった金子、2018年の開幕投手も務め、金子と並んで先発ローテーションの軸であった西が同時に退団します。, そのあとの開幕投手を務めたのが山岡泰輔です。 中継ぎとしての起用が多く、勝利数や奪三振数で目立った成績を残しているわけではない。タイトルは1973年の最高勝率ただ1つだが、この最高勝率を取るためには規定投球回への到達が必要だった。中継ぎ登板の多い八木沢荘六は、規定投球回に達していなかったため、10月に入ってから先発登板。その登板でなんとプロ野球史上13人目の完全試合を達成する。この登板で規定投球回にも届き、最高勝率のタイトルも獲得したのだ。 血液型:A型, 1948年(昭和23年)5月15日生まれ、兵庫県尼崎出身。大阪学院大学高校を経て、1966年のドラフト会議で4球団から1位指名を受け、抽選の結果交渉権を獲得した阪神タイガースに入団しました。, 阪神に在籍した9年で424試合に登板し、先発として276試合マウンドに上がりました。防御率2.45、159勝、14セーブを記録しています。先発やロングリリーフとして投げ続け、70年の投球回数は337.2回でした。また、68年には26完投を記録するなど在籍した9年で147完投を記録しています。, 豪速球と小さく鋭く曲がるカーブを武器に活躍し在籍9年で最多勝2回、最優秀防御率1回、当時表彰はなかったもののリーグトップの奪三振数を6年連続で記録しています。73年には今でもプロ野球の歴史で唯一となる延長戦ノーヒットノーランを達成しています。, 71年のオールスターゲームでは9者連続奪三振を記録し、その試合で本塁打を放っている江夏投手。記録にも記憶にも残るサウスポーが阪神タイガース史上歴代最強の投手ではないでしょうか。, 00年代に阪神のエースとしてシーズン20勝を挙げるなど活躍した井川慶投手には様々なエピソードがあります。, 連勝中は髪を切らない験担ぎを実行したところ20勝を挙げた03年は夏場に12連勝を記録し、帽子から溢れんばかりの長髪になり、同級生のヤクルト・五十嵐亮太投手に「いい加減切れば」と説教をされました。, 趣味が多く将棋やラジコン、パソコン、アニメなど多趣味であり、将棋は親善大使に任命されました。サッカーも好きで、スポーツ番組で昭和の怪物・江川卓さんに目標とする選手を聞かれサッカーブラジル代表のロナウジーニョ選手と答えたこともありました。, その他にも不思議なエピソードが多い井川投手ですが、阪神在籍時には86勝を挙げてMVPや沢村賞を受賞するなど球界を代表する左腕エースでした。, ・阪神タイガースの先発投手は小山正明投手や江夏豊投手、井川慶投手が多くのシーズンでチーム勝ち頭だった。, ・中継ぎでは藤川球児投手や久保田智之投手、抑えでは藤川投手がチームトップの成績を複数シーズンで記録している。, ・歴代で一番年俸が高かったのは、09年シーズンの藤川球児投手と14年シーズンの呉昇桓投手の4億円。, ・江夏豊投手は先発完投型の投手で、阪神在籍9年で通算159勝を記録している阪神タイガース歴代最強の投手である。, 阪神の歴代ショート(遊撃手)一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!, 阪神タイガースの歴代キャッチャー(捕手)一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!, 阪神タイガースの歴代サード(三塁手)一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!, 阪神タイガースの歴代ファースト(一塁手)一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!. Copyright© 外国人投手ながら、近年の阪神を支えたエースと呼べるでしょう。, 2020年開幕投手は2019年にオリックスからFA入団した西勇輝が公表されていますが、新たなエースとしての活躍に期待がかかります。, 大瀬良は2018年に最多勝のタイトルを獲得するなど、「強いカープ」の躍進に貢献してきています。, 2020年も大瀬良が開幕投手を務めることが公表されており、球界を代表する投手への成長が期待されます。, 近年は大野、小笠原、笠原と若手投手が開幕投手を務めてきましたが、エースとして期待がかかるのが大野です。, 2019年には最優秀防御率を獲得し、ノーヒットノーランを記録するなどエースとして十分な実績を残し、2020年開幕投手にも指名されています。, 近年は小川が開幕投手を務めることが多くなってきていますが、石川、小川に代わるエース級投手が現れてくれないことがヤクルトの課題です。, 2020年開幕投手は未公表ですが、石川、小川に加えて高橋奎二の名前も挙がっています。, 松坂大輔→西口文也→涌井秀章→岸孝之→牧田和久→菊池雄星と、誰もが知る投手で開幕投手のリレーをつないで来たのが西武です。, ただし、彼らのうち西口以外はみなメジャーリーグ移籍やFA移籍で他球団へ流出してしまっているのです。, メジャー移籍した菊池の後を継いだのが多和田で、2018年に最多勝を獲得する活躍を見せましたが、2019年に自律神経失調症を発症。, 2020年開幕投手は2019年に活躍を見せた助っ人外国人のニールが発表されていますが、西武にとってはあまり経験のない絶対的エース不在の状態となっています。, 2000年台は斉藤和巳、杉内俊哉、和田毅と、安定感抜群の投手を擁したソフトバンク。, 2012年~2016年は5年連続で摂津正、そして近年は千賀滉大と、しっかりとエース級の投手を育ててきています。, 24勝無敗の驚異の記録を残してメジャーリーグへ渡った田中将大が開幕投手を1回しか務めていないのは意外でしたね。, 2010年から5年連続で成瀬が、2015年からは4年連続で涌井が開幕投手を務めるなど、開幕投手を固定してきたのがロッテです。, 2019年には石川が開幕投手を務めましたが、2020年は楽天からFA入団した美馬が開幕投手を務めることが発表されています。, 5度の開幕投手を務めたダルビッシュ、2度の開幕投手を務めた大谷と、日本を代表するスーパースターを輩出してきた日ハムですが、その他の開幕投手は固定できずにいました。, 大谷の退団後は有原、ロドリゲス、上沢と開幕投手を務めてきましたが、有原が2019年に最多勝を獲得するなど、エースの立場を確立してきています。, オリックスに転機が訪れるのが、2018年のシーズンオフです。 西の伝統球団として長い歴史を持つ阪神タイガースではこれまで多くの投手が登板してきました。, 今回は伝統ある阪神タイガースの歴代投手の成績や最高年俸などを調べ、阪神タイガース歴代最強の投手についてリサーチしました。, 1950年以降、そのシーズンの主な先発・中継ぎ・抑えの選手を一覧表にしてみました。, 50年代は6人の投手が挙げられます。50年は内山清投手と梶岡忠義選手の2人がチームトップの12勝を挙げ、翌年からは「ミスタータイガース」と呼ばれた藤村富美男選手の実弟である藤村隆男投手がエースの働きをしました。52年には25勝を記録し、翌53年も21勝を記録しました。, 54年は藤村投手と2年目の小山正明投手が勝ち頭となり、小山投手はその後58年に24勝、59年には20勝を記録する活躍を見せました。55年はルーキーの西村一孔投手が22勝を挙げる活躍を見せましたが肩を痛め、56年と57年は大崎三男投手が抜群のコントロールを武器にチームトップの勝ち星を挙げました。, 小山投手は60年代も活躍して60年と62年、そして63年に20勝以上を記録し、62年は沢村賞を受賞しました。同時代に2本柱としてチームを牽引した村山実投手は61年に24勝をマークすると65年と66年には最多勝と最多奪三振、沢村賞を2年連続で獲得しました。, 63年シーズン終了後に小山投手が大毎にトレードで移籍すると翌年はジーン・バッキー投手が29勝を挙げて最多勝を獲得、小山投手の穴を埋める活躍を見せました。, 60年代後半からは豪腕サウスポーが力を発揮します。江夏豊投手はプロ2年目の68年に25勝挙げ最多勝を獲得すると69年には勝利数は減りましたが防御率1.81を記録して最優秀防御率に輝きました。, 引き続き江夏投手がチームトップの勝ち星を挙げ、68年から5年連続で最多奪三振のタイトルを獲得し、73年には再び最多勝を獲得しました。江夏投手は75年限りで阪神を去りますが、この時期に阪神先発陣を引っ張ったのは74年に15勝を挙げた古沢憲司投手と江夏投手とのトレードで南海から加入した江本孟紀投手でした。江本投手は移籍1年目に15勝マーク、翌77年は江本投手と並び古沢投手もチームトップの勝ち星を記録しました。, 79年は「江川事件」で巨人から移籍してきた小林繁投手が22勝で最多勝と沢村賞を獲得しました。, 小林投手は80年、81年、83年とチームトップの勝ち星を挙げ阪神先発陣を牽引しました。80年はその小林投手と並び、サウスポーの山本和行投手も15勝を挙げ、徐々に中継ぎでの起用が増えていきますが82年と86年にもチーム最多勝となりました。, 83年はプロ9年目の工藤一彦投手、84年はルーキーの池田親興投手、85年はリッチ・ゲイル投手が活躍しました。86年からはメジャーリーグで2桁勝利の経験があるマット・キーオ投手が獅子奮迅の活躍を見せ、入団1年目から開幕投手を務めて3年連続で2桁勝利をマークしました。, 90年代前半は様々なタイプの投手が活躍しました。サイドスローから落差の大きいフォークを武器に野田浩司投手が11勝を記録、ナックルボールの使い手だった猪俣隆投手が91年に9勝をマークしました。92年は変則サウスポーの仲田幸司投手が14勝を挙げ最多奪三振を獲得、93年は本格派左腕の湯船敏郎投手が12勝を挙げました。湯船投手は97年も10勝を挙げてチーム最多勝を記録しました。, 94年はエースナンバーを背負ったルーキーの藪恵市投手が9勝を挙げ新人王に輝き、藪投手はその後もチーム最多勝を3回記録しました。95年は竹内昌也投手が10勝、96年はサイドスローの川尻哲郎投手が12勝を挙げる活躍を見せました。チームの低迷もあり先発投手の勝ち星が伸びなかったこともあり、99年は藪投手とダレル・メイ投手の6勝が最多でした。, 00年は川尻投手が10勝を挙げましたが翌年以降は低迷し、代わって若い力がチームを牽引しました。01年は4年目サウスポーの井川慶投手が3年目の福原忍投手と並び9勝挙げると翌年からは毎年2桁勝利を記録して、優勝した03年は20勝を挙げてMVP、沢村賞、最多勝、最優秀防御率を獲得しました。, 2年ぶりの優勝を果たした05年は同じサウスポーの下柳剛投手が37歳シーズンで最多勝を獲得し、この最多勝獲得はプロ野球史上最年長記録でした。下柳投手は井川投手がメジャーリーグに挑戦した07年もチームトップの勝ち星を挙げ、08年は安藤優也投手、09年は能見篤史投手が13勝を記録しました。, 10年はロッテで新人王獲得経験のある久保康友投手が14勝を挙げ、11年と12年は能見投手とランディ・メッセンジャー投手がWエースとして活躍しました。メッセンジャー投手は毎年安定した成績を残し、阪神在籍10年で通算98勝を挙げ、14年は最多勝のタイトルを獲得、13年と14年は最多奪三振にも輝きました。, 15年は藤浪晋太郎投手、17年は秋山拓巳投手の若い2人がチーム最多勝となり、19年はオリックスからFAで移籍してきた西勇輝投手が10勝を挙げました。, 続いて中継ぎ投手の一覧です。最優秀中継ぎのタイトルが創設された1996年からの表になります。05年にホールドポイント(ホールド+救援勝利)が導入されるまでは登板数が一番多い投手を掲載しています。, 90年代で6度の最下位を経験した阪神中継ぎ陣を支えたのは右のサイドスローの葛西稔投手、同じくサイドスローの伊藤敦規投手、スクリューボールが武器の弓長起浩投手、左のサイドスロー遠山奨志投手の4人でした。, 特に葛西投手と遠山投手はピッチャーとファーストを交互に務める野村克也監督の秘策「遠山・葛西スペシャル」の当事者であり、プロ野球ファンを驚かせました。, 伊藤投手は00年に自己最多となる71試合に登板、01年は伊藤投手と遠山投手が最多登板となりました。遠山投手はサイドスローから繰り出すシュートを武器に巨人の四番だった松井秀喜選手を完全に抑え、「ゴジラキラー」として活躍しました。, 02年は4年目の金澤健人投手が50試合に登板して5勝を記録、03年はオーストラリア出身で左のサイドスロー投手のジェフ・ウィリアムス投手がセットアッパーと守護神を務め、54試合で防御率1.54と抜群の安定感を誇りました。04年は前年に先発から転向した安藤優也投手が最多登板となりました。, ホールドポイントが採用された05年は勝利の方程式「JFK」の一角を担った「F」の藤川球児投手がプロ野球記録となる17試合連続ホールドを記録するなど活躍し、最優秀中継ぎのタイトルを獲得しました。藤川投手が2年連続で最優秀中継ぎを獲得すると07年からは「K」の久保田智之投手が最優秀中継ぎを獲得して、07年は現在でもプロ野球記録である90試合登板を果たし、「J」のウィリアムス投手も登板数を重ねていきました。, 09年はスコット・アッチソン投手がセットアッパーを務め、藤川投手との勝利の方程式は鉄壁でした。, 11年はルーキーながら榎田大樹投手がセットアッパーを務めて62試合に登板し、36ホールドポイントを記録、翌年もチームトップのホールドポイントを挙げました。13年は安藤投手、14年からの2年は福原忍投手のベテラン2人が要所を締め、16年は中日からFAで入団した髙橋聡文投手が20ホールドポイントをマークしました。, 17年は前年に守護神を務めたマルコス・マテオ投手がセットアッパーを務め、桑原謙太朗投手と最優秀中継ぎのタイトルを分け合いました。桑原投手は翌年もチームトップの37ホールドポイントを記録、19年はピアース・ジョンソン投手が防御率1.38と抜群の安定感で抑えの藤川投手へ繋ぐ役割を果たしました。, 74年からセーブがプロ野球に導入され、導入当初は現在のように最終回だけ投げる投手は少なく、ロングリリーフをして結果的にセーブを記録するケースが多くありました。また、先発の合間にリリーフをこなす選手も多く、そのため登板数に比べて投球回数が多い選手が目立ちました。, 導入初年度の74年は江夏豊投手が先発と兼任して8セーブを挙げ、75年はリリーフ専門で安仁屋宗八投手が66試合に登板して7セーブを記録、ロングリリーフもこなしたことから規定投球回に到達し最優秀防御率のタイトルを獲得しました。, 76年と77年は山本和行投手、78年は10試合先発登板があった江本孟紀投手がチーム最多セーブ数を記録しています。79年は先発と兼任で池内豊投手が13セーブをマークしました。, 池内投手は80年もチーム最多セーブを記録し、81年は中田良弘投手と大町定夫投手の2人が8セーブをマークしました。82年からはリリーフ専門で山本投手が活躍し、82年と84年には最優秀救援のタイトルを獲得しました。山本投手とダブルストッパーとして中西清起投手も活躍し、85年に19セーブで最優秀救援に輝きストッパーの役割を果たしました。, 中西投手が先発に転向した89年は近鉄から加入した住友一哉投手が7セーブを挙げました。, 90年は中田投手、91年は久保康生投手が6セーブを挙げました。92年はルーキーイヤーに50試合に登板した2年目の田村勤選手がリリーフの一角を担い、翌年には22セーブを記録しました。94年は故障の田村投手に代わり前年オフに阪急からトレードで移籍した古溝克之投手が抑えを務め、2年間で37セーブをマークしました。, 96年は台湾出身の郭李建夫投手が抑えを務め、97年は葛西稔投手が中継ぎと兼任で起用され、98年からの2年は150キロを超える速球が武器のベン・リベラ投手が抑えに定着し、98年はチームが低迷する中27セーブを記録しました。, 00年は葛西投手が抑えを務めることが多く、01年はロッテ時代に最優秀救援のタイトルを獲得した経験のある成本年秀投手が務め、20セーブを記録しました。翌年はマーク・バルデス投手が加入し、22セーブを挙げましたがジェフ・ウィリアムス投手の加入により1年で退団し、そのウィリアムス投手はセットアッパーと抑えの両方で起用されました。, 05年は久保田智之投手、06年からは藤川球児投手がチーム最多セーブを記録し、藤川投手は07年に最多セーブを獲得しています。, 10年代前半も引き続き藤川投手が起用され、11年に2度目の最多セーブを獲得、藤川投手がメジャーリーグに挑戦すると13年は久保康友投手の不振によりシーズン途中から福原忍投手が務めました。