やっぱりシャルケはシャルケだった。 武藤嘉紀との“ロシアW杯組”3ショット写真も, 坂本勇人、3085安打・張本勲超えへ“必要3条件”は満たすが…最大の“不安要素”とは, 怪物・井上尚弥、“豪傑・パッキャオ”の域を目指し、次戦はWBO王者カシメロ? それとも…, 坂本勇人「31歳で2000本安打」への道を拓いた“2009年の屈辱” 後輩にも教わり極めた右軸打法, 年俸「120円」の42歳Jリーガーが月20万円の個人スポンサーを断ったワケ 監督は「考え方が違うんだよなあ」, 高校球児のダルビッシュ&イチローとの歓喜、見たことある? 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PROFILE. 内田篤人とシャルケの愛は永遠に。 2014年に想像していた引き際とは。 text by. Copyright (c) Bungeishunju Ltd. All Rights Reserved. 掲載情報の著作権は提供元企業等に帰属します。 会員限定のレアなプレゼントに応募できる! 「言わせろナンバー」のお題に投稿できる! NumberWebからのお得なメールマガジンが読める! 各種イベントに参加できる! などなど、サポーターズクラブ会員だけの特典が盛りだくさん。登録は完全無料ですので、ぜひお気軽に!! 内田篤人とシャルケの愛は永遠に。 2014年に想像していた引き際とは。 posted 2020/08/28 11:30 !』は、なぜ“立体的”に見えるのか? 「他で見たことない!」3つの表現法, <転身24年目>元SMAP森且行46歳、日本選手権初優勝 7年前に明かしていた「メンバーとの約束」, 神宮の珍事で嵐ファンと野球ファンが“場外乱闘”? 次々起こる“事件”経て、なぜか「アラフェス2020」観ることに, “奇跡のCS進出”ならず…それでもライオンズを陰で支えた西武鉄道の「野球ダイヤ」、特別な半年, 「ぶん殴られて痛いなんて未熟ですよ」プロ格闘家・青木真也が東大卒プロゲーマー・ときどにズバリ. new! 内田篤人とシャルケの愛は永遠に。2014年に想像していた引き際とは。 photograph by Itaru Chiba, 8月23日、鹿島の地で長きにわたる現役生活にピリオドを打った内田だが、ドイツ在住の筆者にとっては、やはりシャルケ時代のプレーが忘れられない。, 欧州チャンピオンズリーグでベスト4進出を遂げた2010-11シーズンのレギュラーで、右サイドでペルー代表ジェフェルソン・ファルファンと奏でたコンビネーションは相手の脅威となり、シャルケにとっては生命線のひとつだった。, 内田が走り出すとワクワクする。軽やかな走りで右サイドを鮮やかに駆け上がり、敵陣深いところでボールを受けると何かが起きそうな気がした。ファルファンをはじめとする右サイドでコンビを組む選手が気持ちよくプレーできるように、気配りに満ちたプレーでアクセントを加える。, さらには右SBの位置でボールを収めても、ゲーム全体の流れをコントロールしてしまう。チーム全体が不用意にボールを失うことが多くなると、ゆっくり流れを落ち着ける。攻撃のリズムが沈滞しているときは、FWへ鋭い縦パスを入れて変化を加える。プレーの選択肢が多く、インテリジェンスを備えた内田は、チームに欠かせない選手だった。, シャルケのファンもまた、内田を愛した。どんな時も、どんな試合でもクラブのために全力を尽くしてくれる選手だったからだ。, 内田の言葉通り、ギリギリのところで体を投げ出してボールをクリアした時は愛称の“ウッシー”コールがスタジアムを揺さぶる。, そんな内田も、加入直後は体の線が細く、強靭な相手選手に何度も吹き飛ばされていた。練習から激しいぶつかり合いが日常茶飯事のドイツで、大きく成長した。, シャルケでのデビュー戦後に、そう話していたことを覚えている。常にユニフォームを泥だらけにしながら、最後の最後まで必死で食らいついていく。そんな姿がファンの心を打たないわけがない。, 「僕はね、結果が出た時ほど静かなんです。感情を起伏させない。悪い時も落ちすぎない、いい時も上げすぎない。ふつーーーにやりたいから」, そんなことも言っていた。でも、気づいてはいた。飄々と受け答えしながら、その心がいつでも熱かったことを。, シャルケではスタメンから外れることもあった。監督と話をして、その理由を聞いて、自分のなかで答えを探した。ポジションを取り返すために何をするべきかという報道陣の問いには、こんな答えを残している。, 「普通に。一生懸命やる。それが普通だから。使われるかどうかは監督の決める事だから、練習を一生懸命やるだけ。……て考えたらめちゃめちゃラクなんだけど、そこに人間的な気持ちが関わるからね。ホント、機械だったらラクだけど」, 苦しくても、苦しさを顔に出したりはしない。納得のいかないことがあっても、誰かに不満をぶつけたりはしない。言い訳をせず、逃げ道を作らず、真正面から全力で取り組む。言葉にすることは誰にでもできる。でもそれを黙々とやり続けるのは至難の業だ。だが、それが彼にとっての当たり前だった。, 2014年、シャルケとの契約を2018年まで延長した直後に行われたアウクスブルク戦で、内田は改めてファンへの感謝を口にした。, この試合、内田は見事なドリブル突破からフンテラールのゴールをアシストし、チームを勝利に導く活躍を見せていたのだが、ファンはそのシーンだけではなく、球際で勝ったら“ウッシー”、試合が終わっても“ウッシー”と声援を送り続けていた。, 「やっぱり歓迎してくれているって感じで、契約更新したの。認めてもらえるというのは選手として幸せなことですから。このグラウンドで、この雰囲気のなかでやれるというのが契約更新した大きな要因。勝てない時期もあるけどさ、これ以上のスタジアムはないと思っているからね」, クラブへの愛があるから、契約延長にもサインをした。もしオファーがあったとしても、移籍金が発生して、クラブにお金が残る道を望んだ。それが恩義だと。, 「鹿島の時もそうだったけど、これだけいい経験をさせてもらって、タダでぴょんと出るのは違うと思った。シャルケより上のクラブは数えるほどしかないから。そんなクラブで移籍金ゼロで取ろうなんてチームはないと思うからね。タダなら取るってレベルだったら、行く必要がない。お金を払って取るほどの選手まで成長してないってことだから」, 膝の怪我さえなければ、もっと欧州で活躍できたかもしれない。多額の移籍金を残して欧州トップレベルのクラブに移籍、なんてこともあったのかもしれない。, 内田が現役最後の試合を終えた日、ポルトガルで開催されたCL決勝の舞台では内田の元同僚たちが奮闘していた。バイエルンにはノイアーとゴレツカ、パリSGにはドラクスラー、ケーラー、シュポ・モティン。シャルケ時代には同じチームで同じような景色を見ていた仲間が、世界のトップに立つためにギリギリの戦いを繰り広げていた。, ひょっとしたら、あのステージに内田が立っていたかもしれない。日本人最高位となるCLベスト4と決勝の間には、小さくない差が存在する。でも、いつの日か必ず。, タラレバを言ってもしょうがないが、タラレバでワクワクさせてもらえるのは、それはそれで夢のある話ではないか。内田は、僕らに夢を見せてくれる選手だった。, 自分の体を大事にするために、内田はある時から無理しすぎないことを大切にしていた。ある程度監督からの信頼を得て、試合にも継続して起用されるようになると、次の試合を考えることも大切だと口にするようになっていた。, 「一生懸命やるのも、評価を上げるために頑張るのも大事だけど。キッカーの採点を0.5上げるより(笑)、次の試合のことを考えないと。どれだけ長く、大事なときにしっかり力を出せるか。, 前は監督に信頼してほしいという思いがあった。でも今はある程度試合に出させてもらっているので、抑えられるときは抑える。怪我をしないように。昔、誰かに言われたんだよな。誰だっけな、オズワルド(・オリヴェイラ)だったかな。『お前は次の試合のこと考えてやっているのか?』って、1回だけ。若い時、20歳頃かな」, とはいえ、大事な局面では必ず全力を出す。一方で、どれだけ入念にケアしていても、怪我をしたり、怪我が悪化したりすることはある。, シャルケ時代に引退を決意してもおかしくないほどの怪我を負ったが。それでも可能性を手繰り寄せて走り続けてきた。その姿に、どれだけ多くの人が勇気をもらったことか。, 選手の評価というものは、人の生き方というものは、成績だけで決まるわけではない。ましてや誰かに定められるものでもない。だから、常にその時やるべきことに真正面から向き合って、その中でできることを見つけてきた。その中で培われた経験は選手としても、そして1人の人間としても、とても大きなものだったことだろう。, いろいろな苦難を乗り越え、いろいろな経験をしてきているからだろうか。内田篤人の言葉は温かい。, 鹿島で、シャルケで、ウニオン・ベルリンで、そして日本代表で彼の口から発せられるメッセージは、いつだって思慮深く、心に秘めた熱さがあって、そして周りの人への思いやりが込められている。, 2014年12月のCLグループリーグ・マリボル戦後だ。その時、鹿島の先輩に当たる中田浩二と柳沢敦の引退について報道陣に聞かれた内田は、神妙に話をしていた。, 「寂しいよ。俺なんか、あの人たちについてサッカーしていただけだからね、鹿島の時は。それで優勝させてもらって。そうやって、みんなから寂しいなぁって言われながら辞めていく選手って少ないじゃない。やめるとき、どういうふうにやめられるかなって」, あれから6年……内田は誰からも、いつまでも愛される選手として現役生活に別れを告げることになった。みんなから引退を惜しまれ、みんながもうあのプレーが見られないことの寂しさに胸を痛め、でも、ここまでの頑張りに最大限の敬意と感謝を込めた拍手を送りつづけた。, きっと、そんな内田に憧れて、その背中を追った選手が日本サッカー界に生まれてくることだろう。物語は続いていく。.