新実「ニュースで死者が出ていると言っています」 All Rights Reserved. 麻原「(遠藤に対して)サリンはつくれるか」 麻原「(石川に対して)お前はそこまでやる必要はない」 麻原「それだったら、島田さんのところには爆弾を仕掛け、青山には火炎瓶を投げたらいいんじゃないか」, 千代田線の我孫子発代々木上原行き(列車番号A725K[注 8]、JR東日本常磐線から直通[注 9])は、散布を林郁夫[注 2]、送迎を新実智光[注 3]が担当した。当該編成はJR東日本松戸電車区(現・松戸車両センター)所属の203系マト67編成(クハ202-107以下10連[注 10])であった。, マスク姿の林郁夫は千駄木駅より入場し、綾瀬駅と北千住駅で時間を潰した後、先頭1号車(クハ202-107)に北千住駅(7時48分発)から乗車した。8時2分頃、新御茶ノ水駅への停車直前にサリンのパックを傘で刺し、逃走した。穴が開いたのは1袋のみであった[26]。列車はそのまま走行し、二重橋前駅 - 日比谷駅間で乗客数人が相次いで倒れたのを境に次々に被害者が発生し、霞ケ関駅で通報で駅員が駆け付け、サリンを排除した。当該列車は霞ケ関駅を発車したが更に被害者が増えたことから次の国会議事堂前駅で運転を打ち切った(その後、回送扱いとなり、松戸電車区へ移動)。サリンが入っているとは知らずにパックを除去しようとした駅員数名が被害を受け、うち駅の助役と応援の電車区の助役の2人が死亡し、231人が重症を負った。, 丸ノ内線の池袋発荻窪行き(列車番号A777)は、散布を広瀬健一[注 11]、送迎を北村浩一[注 12]が担当した。当該編成は営団中野検車区所属の02系第16編成(02-116以下6連)であった。, 広瀬は2号車 (02-216) に始発の池袋駅(7時47分発)から乗車し、茗荷谷駅か後楽園駅停車時に3号車(02-316)に移動、ドアに向かって立ち、御茶ノ水駅到着時サリンを散布した[26]。中野坂上駅で乗客から通報を受けた駅員が重症者を搬出し、サリンを回収したが、列車はそのまま運行を継続し終点荻窪駅に到着。新しい乗客が乗り込みそのまま折り返したため、新高円寺駅で運行が停止されるまで被害者が増え続けることとなった。また、広瀬自身もサリンの影響を受け、林郁夫によって治療を受けた。この電車では1人が死亡し、358人が重症を負っている(2020年、後遺症により更に1人死亡した)。, 丸ノ内線の荻窪発池袋行き(列車番号B701)は散布役を横山真人[注 13]、送迎役を外崎清隆[注 14]が担当した。当該編成は営団中野検車区所属の02系第50編成(02-150以下6連)であった。, 横山は5号車 (02-550) に新宿駅(7時39分発)から乗車し、高架駅である四ツ谷駅進入時にパックに穴を開けサリンを散布した。穴が開いたのは1袋のみであった[26]。列車は8時30分に終点池袋駅に到着。その際、本来ならば駅員によって車内の遺留物の確認が行われるが、どういうわけかこの時は行われず、折り返し池袋発荻窪行き(列車番号A801)として出発した。本郷三丁目駅で駅員がサリンのパックをモップで掃除したが、運行はそのまま継続され、荻窪駅到着後に再び荻窪発池袋行き(列車番号B901)として池袋駅に戻った。列車は新宿駅に向け運行を継続した。列車はサリン散布の1時間40分後、9時27分に国会議事堂前駅で運行を中止した。同線では約200人が重症を負ったが、この電車は唯一死者が出なかった。, 日比谷線の中目黒発東武動物公園行き(列車番号B711T[注 15]、北千住駅から東武伊勢崎線へ直通[注 16])は、散布役を豊田亨[注 17]、送迎役を高橋克也[注 18]が担当した。当該編成は東武春日部検修区所属の20000系第11編成(21811以下8連[注 19])であった。, 豊田は先頭車両 (28811) に始発の中目黒駅(7時59分発)から乗車し、ドア付近に着席、恵比寿駅進入時サリンのパックを刺した[26](ニュースやワイドショーなどで、当該車両のドア脇に転がったサリンのパックが撮影された写真が用いられている)。六本木駅 - 神谷町駅間で異臭に気付いた乗客が窓を開けたが複数の乗客が倒れた。神谷町駅に到着後、乗客が運転士に通報し、被害者は病院に搬送された。その後、後続列車が六本木駅を出たため、先頭車両の乗客は後方に移動させられ、列車は隣の霞ケ関駅[注 20]まで走行したのち、運行を取り止めた。この電車では1人が死亡し、532人が重症を負っている(後に、事件翌日に心筋梗塞で死亡した1人についても、サリン中毒死と認定された)。サリンの撒かれた車両には映画プロデューサーのさかはらあつしも乗り合わせていた。また当時共同通信社社員の辺見庸が神谷町駅構内におり、外国人1人を救出した[27]。, 日比谷線の北千住発中目黒行き(列車番号A720S[注 21])は、散布役を林泰男[注 22]、送迎役を杉本繁郎[注 23]が担当した。当該編成は営団千住検車区所属の03系第10編成(03-110以下8連、両端の1・2・7・8号車は5扉車[注 24]。)であった。, 他の実行犯がサリン2パックを携帯したのに対し、林泰男は3パックを携帯した。また、3パックの内1パックが破損し、二重層のパックの内袋から外袋内にサリンが染み出ていた。彼は北千住7時43分発中目黒行きの3号車 (03-310) [注 25]に上野駅から乗車した。そして、秋葉原駅で実行犯のうち最も多くの穴を開けサリンを散布した。乗客はすぐにサリンの影響を受け、次の小伝馬町駅で乗客がサリンのパックをプラットホームに蹴り出した。この状況下で一般乗客のとっさの判断を責められるものではないが[注 26]、後にサリンによる被害が拡大することになってしまった。, サリンのパックを小伝馬町駅で蹴り出した当該列車は、サリンの液体が車両の床に残ったまま運行を継続したが、5分後八丁堀駅停車中に再度パニックに陥り、複数の乗客が前後の車両に避難し始めた。8時10分に乗客が車内非常通報装置を押すと列車は築地駅で停車し、ドアが開くと同時に数人の乗客がホームになだれ込むように倒れた(この時の救出時の光景がテレビで中継された)。列車は直ちに運転を打ち切った。この光景を目撃した運転士が指令センターに「3両目から白煙が出て、複数の客が倒れている」と通報したため「築地駅で爆発事故」という憶測が続いた。, 小伝馬町駅ではサリンのパックが出されたことで、A720Sの後続列車である、八丁堀・茅場町・人形町・小伝馬町で運転を見合わせた4つの列車と、小伝馬町駅の手前で停止し、小伝馬町駅に停まっていた列車を人形町駅の手前まで退避させた後に小伝馬町駅に停車した列車の5列車も被害を受けた。小伝馬町駅では5列車が到着し、うち2列車が小伝馬町駅で運転を打ち切ったため、狭いホームに多数の乗客が下ろされ、列車の風圧などでホーム全体に広がったサリンを多数の乗客が吸引する結果となり、当駅では4人が死亡した。, これにより、本事件で最多となる6列車が被害を受け、8人が死亡し2,475人が重症を負った。, 事件後、実行犯らは渋谷アジトでテレビを見て事件の発生を確認し、新実智光は死人が出たことを知ると大はしゃぎしたという[28]。使った傘など証拠品は多摩川で焼却した後、実行犯らは第6サティアンに帰還して麻原に報告した。麻原は、「ポアは成功した。シヴァ大神、すべての真理勝者方も喜んでいる。」「これはポアだからな、分かるな。」と、あくまで事件はポアであったことを強調した。そして、「『グルとシヴァ大神とすべての真理勝者方の祝福によって、ポアされてよかったね。』のマントラを1万回唱えなさい」と命じ[16][29]、おはぎとオレンジジュースを渡した[30]。, 麻原「今回はごくろうだったな」 Gerhard Schraderが殺 ... プによって生物・化学剤の前駆物質入手が厳しく規制され、テログルー プの生物・化学兵器開発や製造はきわめて困難な状況 ... 一般市民への歴史上初の化学剤テロ. LESSONS SPANNING HALF A CENTURY. 麻原「そうかもしれないな。今年の1月に関西大震災[18]があったから、強制捜査がなかった。今回もアタッシェが成功していたら強制捜査はなかったかな。やっぱりメッシュが悪かったのかな」 井上「それだったら青山(南青山総本部)に仕掛けたらいいんじゃないでしょうか」 第一次世界大戦後(1930年)ドイツ人化学者Dr. 石川「強制捜査が入ったら私が演説をしますので足などをピストルで撃ってもらって、そうすれば世間の同情を買えるのではないでしょうか」 化学兵器(かがくへいき)とは、毒ガスなどの毒性化学物質により、人や動植物に対して被害を与えるため使われる兵器のこと。化学兵器禁止条約では、毒性化学物質の前駆物質や、それを放出する弾薬・装置も含むものとしている。リシンや細菌毒素などの生物由来の毒性物質を用いる場合は、化学兵器ではなく生物兵器に分類されることが多い。 地下鉄サリン事件(ちかてつサリンじけん)は、1995年(平成7年)3月20日に東京都で発生した同時多発テロ事件である。警察庁による正式名称は、地下鉄駅構内毒物使用多数殺人事件(ちかてつえきこうないどくぶつしようたすうさつじんじけん) 。日本国外では「英:Tokyo Attack」と呼ばれることがある 。世界でも稀に見る大都市圏における化学兵器を利用した無差別テロ事件であった。 厚生労働省は14日、化学テロが発生した際に、医師以外の消防隊員らが解毒剤の自動注射を打つことを認める報告書をまとめ、ようやくわが国の化学テロ対策も国際水準に近づくことになりました。ここに至るまでに声を上げ続け、実現への端緒を開いた危機管理の専門家で軍事アナリストの小川和久さんが、主宰するメルマガ『NEWSを疑え!』でその経緯を伝えています。小川さんは、今回の前進を評価しつつも、縦割り行政や官僚の思い込みが問題解決の道を阻んできたこと、これまでも同様のことが起こっていたことを指摘し、総括を求めています。, 「地下鉄サリン事件から25年目。この間、日本国民は形だけの化学テロ対策を信じ、危険にさらされ続けてきました。それが今年2月、心ある政治家と志をもつ厚労官僚によって国際水準の化学テロ対策が実現。近く展示訓練も行う方向です。やればできる。やらないのは政治にリーダーシップがない証拠」, 「厚生労働省は14日、化学テロでサリンなどの有毒物質が散布された際、医師以外の救急隊員らが解毒剤の自動注射を打つことを認める報告書をまとめた。同省は2020年東京五輪・パラリンピックを控え、化学テロ発生時の迅速な治療体制づくりを進める。   通常時は、解毒剤の注射は医療行為に該当し、医師や看護師以外は医師法違反になる。報告書は、自動注射を打てる対象者として、化学テロが発生した際に汚染地域(ホットゾーン)で救急搬送に当たる消防隊員や警察官、自衛官らを想定。治療には早期の解毒剤投与が必要である点などを挙げ、『非医師等による自動注射器の使用が許容される必要がある』とした」(11月14日付時事通信), しかし、なぜ24年後のいままで国際水準の化学テロ対策が実現しなかったのか、その点に踏み込んだ報道はありませんでした。これは、日本のマスコミが一片の問題意識すら備えていないことの証明でもあるのですが、事情を知る者の一人として簡単に経緯を述べさせていただきたいと思います。, 今年2月12日、私は大口義徳厚労副大臣の部屋で浅沼一成厚生科学課長、山本史医薬品審査管理課長と4人で話し合いました。その結果、その場で解毒剤の確保、自動注射器の導入などが決まったのです。, 私は危機管理の専門家の一人として、機会を見ては化学テロ対策の不備を指摘してきました。いくら化学防護服に身を固めていても、現場に入ってすぐ被害者に解毒剤を注射しなければ手遅れになるからです。そのためには、解毒剤の確保や自動注射器の導入とともに、消防・警察・自衛隊など関係者が注射できるようにしなければなりません。, ところが、この面の担当省庁である厚労省側は医師法、薬事法などを理由に、「できない」を連発してきたのです。ほかの関係省庁も、この問題を解決するために動こうとはしませんでした。, そこで、2014年秋に総務省消防庁の坂本森男長官が設けた『大規模イベント開催時の危機管理等における消防機関のあり方に関する研究会』(非公開)の機会に、厚労省から消防庁に出向していた医系技官(医師)にしつこく問いただしました。この研究会が2020年の東京オリンピックとパラリンピックのテロ対策を目指していたことはいうまでもありません。, コロナ不況を読み解くには?株式投資のプロが選んだ「厳選推奨銘柄」を無料で利用する方法, 今後のマーケット動向はどうなる?無料で使える株式投資のプロ直伝「厳選推奨銘柄」とは, 年末年始の17連休案は「空気読めてなさすぎ?」菅内閣の盲点とは【2020-2021】.