守備では捕手部門で最多失策[95]、盗塁阻止率も.224とリーグワースト2位だった[96]。クライマックスシリーズファーストステージでは全3試合に先発出場した。第1戦では西武を9回1失点に抑え勝利した。第2戦は3回に自身はパスボールし、1イニング7失点させて4回で交代させられ敗戦の一因となった。第3戦はフル出場し9回2失点に抑えてファーストステージを突破した。打撃では6打数無安打だった。ファイナルステージでも全3試合に先発出場したが3連敗でCS敗退した。第1戦では吉川光夫から2打数2安打だったが得点には繋がらず8回に代打を出されて交代した。, 2013年は開幕から抹消されることなく一軍で過ごしたが、9月11日の対西武戦の2回に十亀剣から左側頭部に死球を受け救急車で運ばれ、福岡市内の病院で打撲と診断された[97]。翌日9月12日の同カードには先発出場したが、脳震盪のような症状で吐き気を催し途中交代した[98]。ソフトバンク移籍後最多となる112試合に出場。レギュラーシーズンでは96試合に先発出場し、フル出場した33試合では29勝4敗、6完封勝利だった。盗塁阻止率は.297(リーグ3位)と前年よりも改善した[99]。, 2014年は開幕2カードは新加入の鶴岡慎也にスタメンを奪われたが、鶴岡が4月5月に打率1割台と打撃不振のため徐々に先発出場が増え、7月下旬からは完全に奪い返し正捕手へと戻った。6月3日の対巨人戦の6回に自打球を左膝に当て途中交代、翌6月4日に左膝打撲のため出場選手登録を抹消された[100][101]。6月14日に最短で一軍へ復帰した。7月26日のオリックスとの首位攻防戦では4回同点の場面で東明大貴からバックスクリーン左へ勝ち越しツーランホームランを放ち、これが決勝打となりチームは首位を奪回した[102][103]。10月2日、2位オリックスとの両チームの優勝がかかったシーズン最終戦では2回一死二三塁の場面でディクソンから先制の犠牲フライを放った。フル出場し10回1失点のリードで松田宣浩のサヨナラ打を呼び、2011年に続きチームのリーグ優勝決定の瞬間のマスクを被った。レギュラーシーズンでは95試合に先発出場し、フル出場した41試合では35勝5敗1分、7完封勝利だった。クライマックスシリーズファイナルステージでは全6試合に先発出場し、打っては14打数6安打、打率.429だった。10月20日第6戦では5回に鍵谷陽平からダメ押しのソロ本塁打を放つなど3打席3出塁で、守ってはフル出場し9回を1失点に抑え、CS突破に貢献した。日本シリーズでは全5試合に先発出場した。守備では8回6失点で代打を出された第1戦以外はフル出場し、残り4試合は阪神打線を2失点以下に抑えた。10月28日第3戦では1点リードの4回一死二塁の打席で藤浪晋太郎の7球目のカットボールに空振り三振したが、阪神捕手の鶴岡一成がボールを一塁側へ逸らした隙に振り逃げを成立させ、二塁走者の吉村裕基が一気に本塁を陥れてチームは貴重な追加点を挙げた[104]。10月30日第5戦は守っては9回無失点のリードで阪神打線を完封し、自身3度目となる日本一決定の瞬間のマスクを被った。同試合の9回表は1点リードでデニス・サファテと一死満塁の場面を作ったが、続く西岡剛をファーストゴロに打ち取り、一塁手の明石健志が本塁へ送球しフォースアウト、ここで細川は一塁へ送球したが西岡の体に当たってボールは転がり、その間に二塁走者の田上健一は本塁を踏んだ。冷静にプレーを見ていた主審の白井一行は西岡の走塁を守備妨害と判定し、これにより併殺完成でゲームセットを宣告し、ソフトバンクの日本一が決定した[105]。また、3回守備時には一死一塁からマートン、二死一塁から上本博紀の二盗をいずれも阻止し、1イニングで2度の盗塁阻止が日本シリーズ新記録となった[106]。シーズン中の8月29日に2度目のFA資格を取得したが[107]、11月6日に翌年の残留を明言し[108]、12月16日の契約交渉で3,600万円アップの年俸1億円で更改し、2年契約を結んだ[109]。, 2015年は2月中旬の春季キャンプから故障が相次ぎ(ブルペンで投球を受けた際に右手親指を痛め、当初は打撲と診断されたが、3月2日に福岡市内の病院で再検査の結果、中手骨骨折が判明した[110][111] ほか(4月11日のウエスタン・リーグ対広島戦で先発マスクを被って一旦実戦に復帰[112])、4月22日に首の痛みを訴え再びリハビリ組へ戻った[113]。)59試合に終わった。本塁打が0本だったのは2002年以来だった。, 2016年には、レギュラーシーズンの一軍公式戦49試合、チームがリーグ2位で迎えたCS5試合でスタメンマスクを任された。その一方で、チームが日本ハムとのCSファイナルステージで敗退した後に、球団からバッテリーコーチへの就任を打診。現役続行を希望していた細川がこの打診を固辞した[114] ことから、10月24日には事実上の退団が発表された[115]。12月2日付で、NPBから自由契約選手として公示[116]。, 2016年11月15日に、地元球団の東北楽天ゴールデンイーグルスとの間で、捕手として契約を結んだことが発表された[117]。背番号は68。, 2017年には、正捕手の嶋基宏や若手投手へのサポート役として、公式戦の開幕から一軍に帯同した。左ふくらはぎを痛めたため、4月30日に出場選手登録を抹消された[118]が、6月下旬に一軍へ復帰。同月28日に故郷の青森県内で29年振りに開かれたNPB一軍公式戦(はるか夢球場の対オリックス戦)で移籍後初めてのスタメンマスクを任されると、7回裏の第3打席で一軍公式戦での移籍後初安打を放った[119]。レギュラーシーズンには、一軍公式戦20試合に出場。通算打率は.100(20打数2安打)ながら、8月3日の対西武戦(メットライフドーム)でこの年唯一の本塁打を放ったほか、チームのレギュラーシーズン3位で迎えた古巣(西武およびソフトバンク)相手のCSにも、捕手として出場した。シーズン終了後の12月7日に、推定年俸2,000万円(現状維持)という条件で契約を更改。契約更改時点の年齢は37歳で、西武時代のチームメイトでもあった40代の松井稼頭央がこの年限りで退団(コーチ兼任で西武へ復帰)したことによって、チームの現役最年長選手になった。, 2018年には、一軍公式戦への出場がわずか2試合で、2打数ノーヒットに終わった。球団では、10月5日に細川へ戦力外を通告するとともに、コーチへの転身を打診。しかし、細川がNPB他球団での現役続行を希望したため、退団に至った[120]。, 2018年12月6日に、千葉ロッテマリーンズが細川を1年契約で獲得した[121]。背番号は55。獲得に至った背景には、金澤岳の現役引退(二軍バッテリーコーチ就任)に伴って、ベテランの捕手が不足していたことが挙げられる。ちなみに、進退に悩むあまり小学校6年生の長男に相談したところ、長男から「東京ディズニーランドが近くなる」という理由でロッテへの加入を後押しされたという[122]。, 2019年には、いわゆる「抑え捕手」(試合終盤の守備要員)としての起用を中心に、一軍公式戦で楽天時代の2シーズンを上回る37試合に出場。打撃面では、7月16日に古巣の対西武戦(メットライフドーム)で一軍公式戦2年振りの安打を放つなど、通算で6打数2安打ながら打率.333を記録した。シーズン終了後の11月29日に、推定年俸1,600万円(前年から100万円増)という条件で契約を更改[123]。更改時点の年齢は39歳で、この年までロッテの二軍打撃コーチ兼内野手として現役生活を続けていた福浦和也が43歳で引退(コーチ職に専念)したことから、2020年シーズンをパ・リーグの現役最年長選手として迎えることも決まった[124]。, 打率.200前後と安定感はないものの、ボールにバックスピンをかけて飛距離を出す長打力が持ち味で[125]、打球方向のほとんどがレフト方向へ向かうプルヒッター。2006年シーズン中盤からランナーの有無に関係なくバントの構えからヒッティングに切り替えるバスター打法を取り入れた。フォーム改造後は三振を大幅に減らし、本塁打も増え「恐怖の8番打者」として注目を集めたが、シーズン打率は1割台に終わった。2007年は通常の打法に戻し、以降は打法の変更を繰り返し2008年、2009年は三振率が再び3割を越えた。2010年には再びバスター打法に取り組むが打率が低迷し、取りやめると打率が向上し、3試合連続本塁打を記録する好調を招いた。5年連続20犠打を二度記録しており、34犠打を記録した2011年には犠打成功率.921を記録するなど得意としている[126]。, 2010年にはリーグトップの守備得点を記録している[127]。打者の苦手コースを突く慎重なリードが持ち味[128]、野村克也は「パ・リーグで一番キャッチャーらしいキャッチャー」と高く評価しており[129]、ワールド・ベースボール・クラシック日本代表の選抜においても、本大会で正捕手を務めた城島健司よりも細川が適任であると考えていたという[130]。ブロックも上手く、本塁での相手選手からの体当りにもボールを離さない。捕球に関してはソフトバンク移籍後の2011年に杉内俊哉、森福允彦が評価している[131]。肩も強く、盗塁阻止率が1割台に落ちたのは2011年のみで、それ以外のシーズンは全て2割以上を記録している。プロ入り以来、配球の研究熱心さには定評があり、電話帳の厚さを越えるほどのメモを残していたが、2008年度から『感性のリード』へシフトした[60]。, 西武時代は演歌歌手の氷川きよしに顔が似ていたため愛称が『きよし』だったこともある[60]。入場時の応援曲も同歌手の『きよしのズンドコ節』を採用していたこともあった。, 2014年1月6日に東奥日報第9回東奥スポーツ賞の東奥スポーツ大賞を受賞した[132]。, 2008年7月19日千葉ロッテ 対 埼玉西武テキスト速報 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト, 2008年10月21日埼玉西武 対 北海道日本ハムテキスト速報 | 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト, '09 WORLD BASEBALL CLASSIC 日本代表 第一次登録メンバー候補選手 - 日本野球機構オフィシャルサイト, '09 WORLD BASEBALL CLASSIC 日本代表メンバー - 日本野球機構オフィシャルサイト, 2012年度 パシフィック・リーグ 【盗塁阻止率(捕手)】 リーダーズ(守備部門), 2013年度 パシフィック・リーグ 【盗塁阻止率(捕手)】 リーダーズ(守備部門), http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/11/16/kiji/K20161116013735050.html, http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20170430-OHT1T50106.html, “【楽天】細川、故郷・青森で初安打!移籍後6打席目の快音に地元ファンから大きな拍手”, http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20170628-OHT1T50156.html, https://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20181005-OHT1T50118.html, https://www.nikkansports.com/baseball/news/201911290000469.html, “ロッテ・細川が100万円増1600万円で更改、来季はパ最年長「筋肉を戻したい」”, https://www.sanspo.com/baseball/news/20191129/mar19112914170006-n1.html, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=細川亨&oldid=80364197, 1000試合出場:2012年7月16日、対オリックス・バファローズ13回戦(福岡Yahoo! オールスターゲームに自身初となるファン投票1位で選出された[51]。7月31日第1戦は守備のみの途中出場、8月1日第2戦では先発出場した[52]。9月24日にマジック1で迎えた対千葉ロッテ戦で4回3点ビハインドから涌井秀章が里崎智也に押し出し死球、代わった三井浩二もフリオ・ズレータに押し出し死球、7点ビハインド二死一三塁で登板した許銘傑もベニー・アグバヤニの腕に当て同イニング3度目の死球を与えた事で、ベニーが興奮してマウンドへ向かい、止めに入った細川を首投げして両チームの乱闘に発展し、ベニーは退場となった[53]。細川は負傷により交代し、試合後左肩の脱臼が判明した[54]。これにより3試合欠場し、リーグ優勝を決めた9月28日のマスクを被る事はできなかった。最終的にレギュラーシーズンでは128試合に先発出場し、フル出場した77試合では55勝20敗2分、8完封勝利(完封引き分け1試合)だった。守備面ではリーグワーストの捕逸8を記録したものの、捕手として12球団トップの133試合に出場し、自身初となる三井ゴールデン・グラブ賞を受賞した[55]。 ロッテの正捕手・田村龍弘捕手(26)の1軍復帰は来週以降の見通しとなった。2 25日、井口監督が「まだ(1軍に)上がれる状態ではないので、今週(の昇格)はないと思います」と話した。 9月9日の日本ハム戦(ZOZOマリン)で右手に死球を受け負傷退場。� JAPANドーム初打点となった[80]。5月29日の対横浜戦で、2回第1打席にクレイトン・ハミルトンの初球を捉えてソロ本塁打を放ち、これが移籍後初本塁打(本拠地初)となった[81]。7月5日の対西武戦の初回一死三塁の場面で中島裕之のサードゴロで本塁狙った三塁走者浅村栄斗を本塁でブロック成功しアウトにしたが交錯により左膝を痛め、2回表に田上秀則を代打に送られて負傷退場した[82]。7月6日に出場選手登録を抹消され、福岡市内の病院で精密検査を受けた結果、左膝内側半月板損傷と診断された[83]。7月28日に一軍へ復帰した。8月4日の対オリックス戦の5回同点無死一二塁の場面で西勇輝から顎に死球を受けて出血、西は危険球退場となり、自身は山崎勝己を代走に送られて負傷退場し病院へ直行した[84]。顎を4針縫合したが翌日8月6日の西武戦には先発出場した[85]。8月27日の対楽天戦試合前のシートノック中に右ふくらはぎに違和感を訴え[86]、1回裏の守備で山崎と交代し、同日右ふくらはぎの筋挫傷で出場選手登録を抹消された[87]。9月19日に一軍へ戻り、同日の対オリックス戦で先発出場した。9月27日の2位日本ハムとの直接対決では2回一死一三塁の場面で止めたバットにボールが当たりブライアン・ウルフから先制のタイムリー内野安打を打って勝利に貢献した。9月29日同カードでは6回1点ビハインド一死三塁の場面でダルビッシュ有から同点の犠牲フライを打った。10月1日の対西武戦は9番捕手で先発出場し、岩嵜翔、ブライアン・ファルケンボーグ、馬原孝浩をリードし、9回完封リレーでチームのリーグ連覇に貢献した[88][89]。リーグ優勝決定の瞬間にマスクを被ったのは自身初である。レギュラーシーズンでは84試合に先発出場し、フル出場した46試合では40勝5敗1分、11完封勝利だった。開幕から両エースとも組んだが、和田毅は先発3試合で0勝1敗、杉内俊哉は4試合で0勝2敗だったため、5月中旬以降2者の先発マスクは山崎勝己に奪われた。和田は8月3日以降再びコンビを組み8月17日から4試合連続の完封(リレー)勝利で5連勝した。他のスタメンマスクでは先発転向1年目の攝津正と組み11勝、最多勝を獲得したD.J.ホールトンと組み14勝、3年間未勝利の岩嵜翔とはプロ初勝利を含む5勝するなど結果を出した。打撃では1本塁打と大きく数字を落とした一方、犠打は自己最多の34犠打を記録した。守備では盗塁阻止率.183だったが無失策を記録し[90]、3年ぶりにベストナイン[91] と三井ゴールデングラブ賞[92] を受賞した。クライマックスシリーズ(CS)ファイナルステージでは全3試合に出場。11月3日第1戦はフル出場し9回2失点のリード、打撃では3回に初球で犠打を決めて内川聖一の先制2点タイムリーを呼んだ。11月4日第2戦は8回2失点のリードだった。11月5日第3戦は11回同点から守備で出場し、2回無失点のリードでサヨナラ勝利を呼ぶなど3試合全ての勝利に絡みCS突破に貢献した。日本シリーズでは11月12日第1戦で先発出場し和田毅を8回1失点とリードし、代打を出され同点で交代した。第2戦は8回同点で守備から出場したが馬原孝浩が森野将彦に勝ち越し打を許し敗戦。11月15日はフル出場し9回2失点のリード、打撃では3安打の猛打賞で、鈴木義広からダメ押しとなるソロ本塁打も放ち、これが日本シリーズ初本塁打・初打点となった[93]。11月16日第4戦はフル出場し9回1失点のリードで勝利に貢献した。11月17日第5戦では7回1点リード一死一二塁の場面でチェン・ウェインからバスターでタイムリー打を放ち、守ってはフル出場して中日打線を完封した。11月19日第6戦は代打で交代するまで8回2失点に抑えたが敗戦した。11月20日第7戦では8回から守備で出場して2回を無失点に抑えて完封勝利し、球団の8年ぶりの日本一の瞬間にマスクを被った。アジアシリーズ予選リーグでは11月25日の対統一セブンイレブン・ライオンズ戦にフル出場し、3回にライアン・グリンからライト前安打で出塁して同点の走者として生還した。11月26日の対サムスン・ライオンズ戦では先発出場し、2回一死三塁からバスターを仕掛け李宇善から左中間を深々と破るタイムリー二塁打を放った。守備では途中交代するまで8回無失点のリードだった。11月29日のサムスンとの決勝戦ではフル出場したが、5回に岩嵜翔が崩れ、川﨑宗則のタイムリーエラーも重なり、チームを1イニング5失点させて敗戦の一因を作った。, 2012年は開幕を一軍で迎えて正捕手として出場していたが、打率.156と不調だったこともあり6月30日に二軍再調整となった[94]。7月14日に再昇格し正捕手へ戻ったが、打率は2割に届くことなく終わった。レギュラーシーズンでは82試合に先発出場し、フル出場した46試合では27勝3敗、8完封勝利だった。同年も攝津正(同年最多勝)との相性が良く、先発マスク時に14勝した。打撃では打率.157と、西武時代の2003年からの正捕手定着後以降最低を記録した上、出塁率も2割に届かず極度の打撃不振に陥った。