というような記事です。 その遺骨は昭和35年8月18日に愛知県幡豆郡幡豆町の三ヶ根山山頂付近に殉国七士廟が設けられ、その中の殉国七士の墓に遺骨が分骨されて安置されました。, 久保山斎場で焼かれたその他の戦犯とされた英霊の遺骨も、大きな骨は米軍が全部拾い集めて持っていってしまいますので、共同骨捨場から残った細かい骨と灰を飛田場長が丁寧に集めて、火葬場の片隅に掘った穴の奥にひそかに納めておいたそうです。巣鴨での処刑が打ち切られてから、飛田美喜久保山斎場長はここに供養塔を建てようと思いつきましたが、我が国がまだ占領されていた時の事ですので、何ごともマッカーサーの司令部に問い合わせなければなりません。許可願を出したところ、供養塔の建立は許可になったそうですが、塔の表に「供養塔」の三文字以外は絶対に書いてはならぬと指示があったそうです。また、建立者として、火葬場の職員の名前以外を書く事も許可にならなかったそうです。 ドンチャン。 博子さん、幹子さん四名様で来店。 珍しく記憶あり。 住所  新宿区赤城下町55 このサピオの記事に書かれているようなことは私の手元の本に書かれています。, 一部重複する事をご了承ください。 朝風呂に入ったあと、昼頃に大宮の駅からタクシーに乗り青葉園にいく。昨年も訪れたが、ここにはソビエト軍の毒牙にかかった従軍看護婦の方たちをお祀りしてある青葉慈蔵尊とともに、その右隣に卑劣なマッカーサーの復讐のための名ばかりの裁判によりフィリピン・ロスバニオスにて昭和21年2月23日に、その崇高な人格とりっぱな戦暦をもつ軍人らしからぬ不名誉な絞首刑にされた山下奉文大将の墓があります。, それどころか、本裁判は一点の曇りもない真実、完全な真実、なんの虚構もともなわない真実の光の中で行われた。, と書いていますが、これは詭弁であり、マッカーサー自身のそう思いたいという願望としか言い様のないことで、事実は屈折した精神をもつ彼自身が一番分っている完全な復讐裁判であったことは確かです。, 山下大将は昭和20年9月3日に降伏し、戦争犯罪者として起訴されました。裁判は10月29日に始まり真珠湾攻撃の前日にあたる12月7日に絞首刑の判決。そして昭和21年2月11日、紀元節の日にマッカーサーから処刑執行命令が出され、2月23日の初代アメリカ大統領ワシントンの誕生日であるワイントン・デーにマンゴーの木に作られた簡易処刑場で絞首刑にされます。迅速だけの復讐裁判です。命からがらフィリピンより部下を捨てて逃げ出したマッカーサーはこの間にも裁判を急げとせき立てます。自らの恥辱を晴らさんと復讐に燃えるマッカーサーにより、山下大将は軍人でありながら軍服を禁ぜられ、カーキ色のシャツ、ズボン姿で敵軍である米軍の作業帽をかぶせられ、欧米では一番恥ずべきものとされる絞首刑により処刑されました。そして、その遺体の埋葬場所は秘密にされたままです。 私もこの三好誠氏の著書により初めて知る事が出来ましたが、なぜ、このような事実が今まで報道されてこなかったのか。 ローレンス・A・フォールス・ジュニア中尉(航法士), ウォルター・ピスコール軍曹(エンジニア) 酔狂師さん来店。 三菱病院から医師が駆けつけ、必死で人工呼吸し生き返らせようとしたが、無駄に終わった。 (同九月九日), 先日、下記のような記事がありました。 『ちぇっ、戦争だぜ。野郎の殺し方を教えてやらあ』 サプライズな贈り物にナタリーは、それを『東条』と命名しました。> 同チームの調査団は7日から同島を訪れ、旧日本兵が集団で埋葬されているとみられる2カ所で遺骨の収集に当たった。>, 二千二百人が集団で埋葬とはどういうことか。 メイン州ホールデンにて銃や軍用品を売買するラルフ・マクラウド(Ralph McLeod)氏は二〇〇五年6月に発見し、日本に返すべきだと同業者から五十ドルで購入して、日本大使館に連絡した。 偵察隊の一人がそういうと、日本兵に煙草と火を与えた。煙草を吸い始めたとたんに、日本兵の頭部に腕が巻つき、喉元が一方の耳元から片方の耳元まで切り裂かれた。 (リンドバーグ日記六月二一日), 「小屋の壁のひとつに、絹地の日本の国旗が三枚かかげてあった。日本軍兵士の死体から取ったものだという。その一枚は記念品として一〇ポンド(三三ドル)の値打ちがあると、ある将校は説明した。日本軍将校の軍刀を所持する男は二五〇ポンドなら譲ってもよいといった」 「パイロットの頭から頭蓋骨を取り出したのは私です」一瞬耳を疑った。 デビット・A・パシフィックフィールド軍曹(ラジオオペレーター) 「特攻パイロットを探せ」(平義克己著 扶桑社 平成十七年刊) p二百五十一~二百五十二, <キッド(駆逐艦)は日本機を一機撃墜した。パイロットは落下傘で機内から脱出したが、キッドがそのパイロットを捕虜にしようと引き揚げた時にはすでに死亡していた。血気にはやる数人の乗組員たちは日本人パイロットの遺体をナイフできりつけ、耳を殺ぎ落としたり、首をはねたりなど、非道な行為にはしった。中には、下顎を頭蓋骨からはずし、それで装飾品をつくった者もいた。 記事にも多くのアメリカ軍の我が軍兵士に対しての醜い行為の証言が書かれている。 この老人は私の顔を見ながら言った。 今回が初めてギリギリブラザース勢揃い。 初めてのお客様Tさん二名様で来店。 引用終わり Kくん来店。 アクセス情報について | 個人情報 | 著作権 | 会社案内 | 朝日新聞出版 | ソノラマプラス | 朝日新聞デジタル | 広告掲載について | お問い合わせ Sさん二名様で来店。 『あるいは両手を挙げて出てきたのに撃ち殺されたのではね』 「戦争プロパガンダの嘘を暴く」(三好誠 展伝社 平成十七年刊)p百十八~百十九, 多くの国民が飢えている時に、主食その他で皇軍兵士と同量だったのです。 この男は、当時機械工のチーフであり、第一エンジンルームの責任下士官であった。彼が、パイロットの頭部を発見したのは、キッドがサンフランシスコ近くのハンターズポイント海軍修理工場に帰港した一ヶ月後だった。体当たりを受けてから二ヶ月以上後のことであった。頭部はかなり腐乱していたが、アルコールで洗い落とし、頭蓋骨だけ取り出し、船のマストに飾ったという。 写真はそのバカ女と旧日本帝国軍人の頭蓋骨。, その他にも、Wikipediaには「American mutilation of Japanese war dead」として 福岡のTさんの御紹介ということで、二名様来店。 ナベちゃん来店。 過去に書きましたが、他にも多くの日本兵の頭蓋骨トロフィーの事例が出てきます。 「野蛮な人間もいた。日本人の歯で作った腕輪は、彼らの歯を抜き取らなくては作れない」 Proudly powered by, http://www.sfgate.com/cgi-bin/article.cgi?f=/c/a/2009/08/15/MNPK195PD6.DTL, http://en.wikipedia.org/wiki/American_mutilation_of_Japanese_war_dead, http://www.collectorsdeck.com/index.php?main_page=product_info&cPath=92&products_id=99. アメリカにおいて大東亜戦争中の我が軍の兵士の遺骨がトロフィースカルとして扱われているという記事です。 もちろん御遺族に届けられた白い壷に納められた遺骨は、御本人のものも混ざっていることは間違いないという程度のものでしたが、マッカーサーによる酷い仕打ちを受けた御遺族にとりありがたいものだったには違いありません。, アメリカ軍による復讐裁判がほぼ終わった昭和24年4月フィリピンに独立を与え裁判の続行をゆだねました。そのフィリピン政府による6年間の続けられた裁判により93名の死刑が確定し、17名の死刑が執行されました。この17名の遺骨はのちに掘り返されて、御遺族の元に帰りました。これがBC級戦犯とされた方がたでは数少ない例です。後は私の知っている限りでは、金子啓蔵氏の御苦労により遺骨が御遺族の元へと帰された堀内豊秋大佐の例だけです。 以下引用 「どういう意味ですか?」 などが掲載されているが、これらの旧日本帝国軍人の御遺骨はどのようにアメリカ軍に扱われたか。 (リンドバーグ日記六月二一日), 「将校の話によれば、穴の中の遺体をブルドーザーにかける前に、何人かの海兵隊員が遺体の間に分け入り、ポケットを探ったり、金歯探しに棒で口をこじ開けたりした。金歯を仕舞い込む小袋を持っている海兵隊員さえいた。その将校はさらに、耳や鼻を切り落とされている日本兵の遺体を幾つも見たとも言った。『兵が耳や鼻を切り取るのは、面白半分に仲間に見せびらかすためか、乾燥させて帰還するときに持ち帰るためですよ。日本兵の首を持っている海兵隊員まで見つけましてね。頭蓋骨にこびりつく肉片を蟻に食わせようとしていたのですが、悪臭が強くなり過ぎたので、首を取りあげねばなりませんでした』。行く先々で聞かされる似たり寄ったりの話だ」 そのような箇所が何カ所もあったのです。 米軍兵による日本軍戦死者の遺体の切断(べいぐんへいによるにほんぐんせんししゃのいたいのせつだん)は、第二次世界大戦時、太平洋戦線においてアメリカ軍兵の一部が日本軍戦死者の遺体に対して行った戦争犯罪、猟奇行為。アメリカ軍より公式に禁止されていたと考えられているが、禁止令は戦場の兵士の間で常に遵守されていたわけではない。これらの猟奇行為がどの程度行われ、公的に認識されていたかは不明である。, 太平洋戦争において連合国軍は少なからず人種差別的表現をもちいており、アメリカ合衆国においては「戦闘員と民間人の区別をつけず日本人を皆殺しにせよ」と主張する者も多かった[4]。日本兵を人間扱いせず、動物として描くこともあった[5]。アメリカ軍人向け雑誌には、海兵隊の志願兵に「日本兵狩猟許可証」を「無料の弾薬と装備と給料」で出すと宣伝した[5]。また具体的な事例として、アメリカ海軍の代表的指揮官ウィリアム・ハルゼー・ジュニア提督は「ジャップを殺せ、ジャップを殺せ」をスローガンとしており、艦隊宛の通信文は「やつらを死なせ続けろ」と結ばれていた[4]。チェスター・ニミッツ提督宛の私信でも「もっと猿の肉を確保する」ための潜水艦の活動を提案した[4]。ハルゼーは新聞記者達に対して、日本を占領した暁には日本人女性全員に不妊手術を施すべきだと冗談まじりに語り、また昭和天皇の処刑もほのめかした[6]。日本側はこれらの言動を察知して、プロパガンダに利用した[7]。, ハルゼーの発言は冗談めいていたが、戦場では連合軍兵士による残虐行為が実際に行われていた。 <「これは状態の良いジャップです。ニューギニアビーチで死んだのを切り取ってきました」 と、武末氏は書いているが、近代、白人がやってきた事を考えれば容易に想像がつく事です。, http://www.bangordailynews.com/story/Greater-Bangor/Japanese-trophy-skull-finally-returning-home,152313, 「Japanese trophy skull finally returning home 」となっている。, そして記事には、words “1945 Jap Skull Okinawa”とその頭蓋骨に刻まれていた事が書かれている。 Copyright 2020 Asahi Shimbun Publications Inc. All rights reserved. アメリカ海軍魚雷艇三十四の甲板にて, 米兵が日本兵の頭部を煮ている写真 ちなみに、映画でも描かれていますが西中佐が肌身離さず持っていた愛馬ウラヌスの鬣は後に一九九〇年になってアメリカで発見され、返還されたそうです。