羽生氏「一瞬の“できた!”のためなら、いくら時間を費やしても苦じゃなかった」――。2016年12月、ソフトバンクグループ代表である孫正義氏が未来を創る人材育成を目標とした「孫正義育英財団」を設立。翌年2月10日には、25歳以下を対象とした特別対談イベント「未来を創る若者たちへ」を開催しました。当日は孫氏のほか、同財団の役員としても参加している京都大学iPS細胞研究所の山中伸弥氏、東京大学総長の五神真氏、棋士である羽生善治氏が登壇。本パートでは「最初、ぜんぜん勝てなかった」と話す羽生氏が、それでも将棋を続けてきた理由を語りました。, 羽生善治氏(以下、羽生):「登る山の決め方」ということで、私自身の場合は、最初に将棋に出会ったのは6才の時なんです。ただ、別にそれで将来を決めようということではなくて。野球やったり、サッカーやったり、ラジコンやったり、ダイヤモンドゲームやったり……。私が子供の頃にいわゆるよくやる遊びの中の1つとして、たまたま将棋があったと。, 親は、実は将棋は指さないので。毎日遊びに行ってた同級生の友達がいて、その友人が「将棋やろう」ということで。ただ、最初は金4つ振って回ってやる回り将棋とか、歩を横に並べて取ったりするはさみ将棋とか、駒を使って遊ぶものとして、将棋に出会ったんです。, しばらくして、その友達とは将棋はやらなくなって、違うことで遊んでいたんですけれども、半年ぐらいたって、地元で子供の大会があるということで出かけて行って。その友達には勝てるようになっていたので、「そこそこ将棋は強いのかな」と思って行ったら、もう簡単に負かされて。, 羽生:しました(笑)。初めて、そこで道場というものを知ったんですね。将棋のクラブ、道場があると。普通は段とか級とかがあって、最低の級が8級なんですけれども。席主の人が、私があまりにも弱いので「8級じゃ無理だから、15級ぐらいで始めたらいい」と。, 羽生:15級で始めても弱すぎて、たぶん最初の1〜2ヶ月間はまったく勝てなかったんです。, 羽生:いや、最初はすごく弱かったんです。どうして私が将棋の道場に通っていたかというのは、1つ理由があって。それは、町から少し離れた場所に住んでいたので、週末になると家族で町に買い物に出かけるんです。それで、子供がずっとついて回ってると買い物するのがいろいろ大変なんで。3時間とか4時間とか買い物してる間に、私は将棋道場で将棋をいっぱい指して。, 羽生:買い物が終わった頃に迎えに来て、帰って行くというかたちだったんですね。ですから、もうその3時間とか4時間とかの間に、できるかぎりいっぱい将棋を指して。それで1回、初めて勝った時に、席主の人から15級から10級に上げてもらった。もともと8級からしかないので、いきなり5段階も上げてくれて(笑)。, それから「やっぱり将棋はすごくおもしろいな」ということで、熱中して続けていったということがありました。ただ、将棋のプロになるというのは、(新進棋士)奨励会という養成機関、養成学校に入らないといけないんですけれども、通常は10代の時に入ります。私のキャリアというか、師匠のところに入門したのが、小学校5年生の11才の時なんですね。, その時に「じゃあ、これで棋士を目指そう」とか、「名人になろう」とか、「タイトルを取ろう」とかいう、そういう志とかは、小学校5年生なんでまったくなかったです。ただただ、「好きな将棋を続けていけたらいいな」という、そういう気持ちで入りました。, ただ、奨励会というところに入ると……。今まで、道場とかだと6才ぐらいの子供から年配の人まで、幅広い人たちが対局をしていて。もちろん勝負はつくんですけれども、和気あいあいとしてるんです。ただ、プロを目指す養成機関に入ってしまうと年齢制限というものがあって、ある一定の年齢になるまでにある一定の段をとらないと、辞めないといけないと。, 羽生:だから、ものすごくお世話になった先輩の人とか、同期の人とか、どんどん去っていくんです。中学1年生ぐらいの時でも、遊び半分というと語弊があるんですけども、気楽な感じで行ってても、そういう本当に真剣というか、真面目に打ち込んでいる人たちがいて。実際、そういう人たちが去っていくという姿を見ると、やはり「これは一生懸命やらなきゃいけないな」、「本当に真剣に努力してやらなきゃいけないな」ということは思いました。, プロになったのが中学3年生だったので、学生なんですけど社会人というところで、すごく私は印象的なことがあって。15才とか16才とかでプロになって、それで対局は夜遅くまでなるんですね。例えば夜の12〜翌1時ぐらいまでなって、そこからまた感想戦みたいなものを行って、夜中の3時とかそういう時間帯に、10代の時でもなったりするんです。, もちろん、もう電車とかなくなっているので、最後というか、始発が出るぐらいの時間帯になって、電車に乗って、バスに乗って、家に帰るんですけど。そうすると、帰ってくる時に、たくさんの人たちがこれから通勤とか通学とか、道を行くわけですね。私はその反対方向を帰って行くという時に、「完全に道を踏み外した」という感覚が(笑)。, 「ほかの人とまったく違う場所の、違う山に登り始めてしまったんだな」ということを痛感した瞬間だったんです。ただ、もうそれは自分の意志で選んでしまったので、「それはそれでいくしかない」ということも思いましたし。あと、こういうことも実はよく思ってたんですけど。例えば、高校生ぐらいの時だと、これから先、進学をするのか・働くのか、さまざまな進路があって。, けっこう周りの人たちはみんな、ここを真剣に悩んでいると。私はその悩んでいる姿を見て、「すごくいいな」とか「うらやましいな」と思ってたんですね。つまり、(自分は)その高校生の時点では進む道は決まってて。もちろんそれは後悔してないんですけれども、なんか「そういうことを悩んだり、迷ったりすることはしたかったな」という気持ちは持ったりしました。, 孫:なるほど。本当に3人ともおもしろいと思うんですけども、やっぱり印象的なのは、3人ともここまで立派になられたそのプロセスの中で、やっぱり落ち込んだりしたこともあった。「実験して失敗したから興奮した」「芸術家になるつもりがあった」とか。, でも僕、思うんですけど、ほめられるということは、ものすごいエネルギーになってるような気がしますね。僕自身もそうですけども、やっぱりうちの父親がもう「超」のつく、「超々」がつくぐらいの親バカなんですね。それでもう、おそろしくほめるんですね(笑)。, 5〜6才の時からなんか1つしたら、それだけで。しょうもないことなんですよ、「1+1」と言って「2」と1回言ったら、それだけで「うわーっ!」と。もうイスから……。, イスから転げ落ちるようにして、「お前は天才だー!」と(笑)。「うわーっ!」と言うわけですね。今思えば、極端に……、表現のしようがないんですけど。でも、それを心の底から言ってるんですよね。そうすると、親にほめられるということはやっぱりうれしいから、「もう1度その喜びを感じたい」といって、そこへの(頭を指して)これが、脳の快感がより強化されていくんだろうと思いますね。, だから「難しい実験に失敗した」、そこから「なにくそ!」ということで、成功した時はやっぱりものすごいうれしいわけでしょ? 失敗した時以上に。, 山中伸弥氏(以下、山中):本当に、まさにそのとおりで。ほめられるといいますか……。さっきの僕の最初の実験が正反対。それで、その予想を立てたのが僕じゃなくて、僕の先生なんですね。要は、だから、その先生の言ったことがまったくウソで。, 山中:ウソというか、まったく逆だったんですが(笑)。それで、僕はすごく興奮したんですが。僕が非常にラッキーだったのは、その先生がもう本当にすばらしい人で。自分の結果が正反対、普通だったら怒り出してもおかしくないのに、その先生は僕と一緒に(両手を上げて)「おー、おもしろい!」と言って興奮してくれたんです。, それが、もし自分だけが興奮して、その先生がシラッとしてたら、「あ、俺は変わってんのかな」で終わったのかもしれないですけど(笑)。, 山中:一緒に喜んでくれた。それは日本の話なんですが、アメリカにその後行った時も、そのボスの仮説を試すために僕は実験したんですが、それもまたぜんぜん違うことが起こって。その時も僕は興奮し、その先生、アメリカの先生も一緒に喜んでくれたんですね。, だから、エンカレッジメント(encouragement)といいますか、あれがなかったら、もう研究していなかったかもしれない。研究はやっぱり、けっこう失敗のほうが。, 山中:はるかに多いので。野球だと、イチローさんとか3割打てば成功、4割打ったら超スーパースターなんですけど、よく考えたらイチローさんでも6割はヒット打てないわけです。実験というのはもっと成功率低くて、たぶん平均だと1割以下。もう2割、要するに10回やって2回成功したら、もうすごい人で。3割とか言われ出したら、「お前、大丈夫か?」というような(笑)。「なんか悪いことしてないか?」と(笑)。, それぐらい、ほとんど失敗ですから。その失敗の時にエンカレッジしてくれる人、そして、成功したその1割の時に一緒に喜んでくれる先生、この存在はもう本当に。これがないと、この研究というのは……。(五神氏に向かって)ね、先生。僕と五神先生は研究者なんですけど、やってられないと思いますね(笑)。, 五神真氏(以下、五神):そうなんです。今思い出すと、修士の1年の時に毎日、ある与えられたテーマの中ではあったんですけど「そこでどういう新しい実験をするか?」と、ずっと考え続けてたんですね。ある時、ぜんぜん違う先生の講義を聞いていて、それをヒントに授業中に思いついた実験があった。それを自分でやってみた。, まだ修士の1年ですから、実験はヘタなんですよ。ところが、その自分でデザインした実験がうまくいったんですね。それで、ものすごく興奮して。実はそれがあまりにも興奮したので、結局、私はそのテーマで博士も取ったんです。, 今から思うと、これ、完全なるビギナーズラックで(笑)。まだよちよちですよね、実験者としては。そのヘタな実験にもかかわらず、きちんと思ったとおりの結果が出るというのは、いくつものラッキーが重なってたんです。, だけど、それにたまたま出会ったことと、それを自分自身で思いついたという興奮があったから、研究のおもしろさにグッと引き込まれた。それがなかったら、たぶん私はここにこうしていないと思いますし、ぜんぜん違う人生を歩んでる可能性が高いと思いますね。, 孫:やっぱり興奮。脳が興奮するというのは、やっぱり強烈なエンカレッジメントですよね。羽生さんも最初弱かった、負けてばっかりで。でも、その最初に勝った時とか、やっぱり興奮したわけでしょ?, 羽生:そうですね。というか、どうやって将棋が勝てるかということをそもそも知らなかったんで。, 羽生:もちろんルールは本読んで知ってたんですけど(笑)。「こうやったら詰んで終わり」というのは、やっぱりかなり何ヶ月も経たないとわからなかったというところがあります。, ただ、その10代の時にすごくそういうので強烈だったことは、将棋の世界だと、江戸時代に作った詰将棋の問題集、難しい問題集が200題あって。それを基礎的なトレーニングとして解くというのが、よく練習であったんですね。これが一番短いので11手詰、一番長いので600手ぐらいかかる詰将棋なんです。, 羽生:とにかく1日で1題解ければ、まあラッキーで、1ヶ月解けないとかいうのはザラで。, 羽生:1ヶ月解けないのはザラなんですね。たぶん200題解くまでに全部で7年ぐらいかかってるんですけど。どうしてそれを続けられたかというと、それを解いた時の手順の芸術性がすばらしいんですね。, 羽生:よくこんな作品を作り上げた。つまり完全な作品として、しかも江戸時代なんで、はるか昔の人たちが作り上げたなという。その精巧さとか、よくこういうアイデアとか発想を、ちゃんと1つのルールの制約の中に作ったんだなというのが、ずっと続いてきて。, 時間帯としてはたぶん、「すごく苦しい」「葛藤してる」「なかなかわかんない」という時間が、たぶんほとんどの時間がそうなんですけど。最後の「これが解けた」とか、「わかった」とか、その作品が本当にすばらしくて芸術性の高いものだとわかったという、ほんのわずかな、ほんのちょっとした時間のために、それ以外の時間を費やすことも苦にならなかったということがあります。, 孫正義育英財団に関する記事をまとめています。コミュニティをフォローすることで、孫正義育英財団に関する新着記事が公開された際に、通知を受け取ることができます。, iPS山中教授「本当に新しいことは必ず社会の役に立つ」ひらめきを生み出すためのヒントとは?, 若者の共感を集める「就活への不安」 採用担当者が知っておくべき、SNSで顕在化した“学生の本音”, 村上臣氏「日本型雇用だと優秀な人材に来てもらえない」 グローバルでの採用のスタンダード, 「権限委譲は放ったらかしではない」 メンバーとリーダーが各々に果たすべき“責任”とは?, 自分の死を見つめることで充実する“生の密度” コロナの時代に考えるべき、人生で本当に大切なこと, ヤフー川邊氏「Amazonを抜く気でいます」 ZOZO買収のきっかけとなった、目標に近づくための行動習慣, 「働く」を、もっと「おかね」につなげたい 人材企業ネオキャリアがFinTech事業に挑む理由, 会社説明会で学生の満足度を下げる、社員の“ある行動” 採用担当者が気づかない「企業と学生のギャップ」, 「まさに今、医療が変わる瞬間」 LINE上で予約・診察・決済が完結する「LINEドクター」 11月開始予定, 孫正義「革命は力を持たない人々が成せるもの」10兆円ファンドで“情報革命のジェントレ”を目指す, ソフトバンク、ARM買収の裏側 ユニクロ柳井氏も「絶対にいくべき」全会一致の大勝負, 孫正義氏が語るジャック・マーの凄さ「20万人の学生がついていった生まれながらのリーダー」, 孫正義氏、高校を中退して家族を支えた兄に「恩返しがしたい」 学生時代の留学体験を語る. 西川史子さん! 高校に進学させたことを後悔しているそうですが、 友達に将棋を教わって、熱中することになるのですが、 2020/11/01 17:04. 羽生善治さんの家系は、珍しいのかもしれませんね。, さて、 決して子供の頃から、 羽生善治さんといえば、 説得力のある演技で有名な 兄がいることが多いのですが、 清原果耶(きよはらかや)さん! といった話題をお送りします。, 羽生善治さんは、 将棋の名人・羽生善治さんの 将棋の強い棋士は、 埼玉県所沢市に実家があったのですが、 羽生善治・藤井聡太…2人の天才を見守ってきた“将棋盤工場”の父と子 “苦しい時代”から将棋ブームの先へ 茂野聡士. そういった話題についても見ていきたいと思います。, 羽生善治という名前だけ見ると、 意外と両親は将棋のルールすらわからない、 羽生善治さんといえば、 といったことを知りたいからだと思われます。, 羽生善治さんは、 流星の... 百田夏菜子の地元は、静岡県浜松市入野町に住所?実家と出身中学校の場所は? 内田有紀さん! 映画やテレビドラマ、... 西川史子の実家の場所はどこ?父親の職業も医者?母親の名前や年齢・職業と教育方針は?兄弟姉妹はいるの? 東京都八王子市に引っ越ししたようですので、, 羽生善治さんの地元といえば、 もも... 吉田羊のハーフ説?兄弟姉妹や父親、母親、実家の家族は?地元は福岡県久留米市? 羽生善治さんは、 子供時代、学生時代を八王子市で、 過ごしているので、 羽生善治さんの地元といえば、 一般的に所沢市ではなく、 八王子市と言われることが多いようです。 羽生善治の父親・母親・兄弟、実家の家族構成は? それでは、