ようやくお伝えすることができるようになりました。この度新しい形で将棋を広げて行くために... 2017年6月、藤井聡太さんはデビューから負けなしの状態で、7日の上州YAMADAチャレンジ杯に臨みました。 思い入れがある対戦相手との対局に向けた心境を書き始めると、筆が止まらず時間がかかってしまい、事前研究や体調管理に支障をきたす. 3.サイトに協力、寄稿していただける方 !function(d,s,id){var js,fjs=d.getElementsByTagName(s)[0],p=/^http:/.test(d.location)? BANG Showbiz Japanese 藤井猛九段「こっちは優秀かどうかで戦法を選んでない。指してて楽しいかどうかなんだから」 将棋世界2004年5月号、山岸浩史さんの「盤上のトリビア 第2回 居飛車党と四間飛車党は別の人種である」より。 藤井システム・ゴキゲン中飛車の登場(1990年代~2010年代前半) 居飛車穴熊・左美濃の対策として注目を集めたのが、藤井猛が考案し、1998年に竜王位を奪取する原動力となった四間飛車の藤井システムである。 藤井九段も最初に覚えたのは中飛車だったそうです。 戦法がいくつか書かれた本を読んで、その中から選んだとのこと。四間飛車はさばきが必要になり、その感覚は初心者には難しい。したがってまずは中飛車がいいそうです。 Follow @shogi1com 記事の追記や更新の通知はツイッターで行います。フォローをよろしくお願いします! 藤井 猛(ふじい たけし、1970年9月29日 - )は、将棋棋士。西村一義九段門下。棋士番号は198。群馬県沼田市出身。日本将棋連盟非常勤理事を務めた[1]。, 将棋のルールを覚えたのが小学校4年の頃、将棋の面白さがわかったのが小6 - 中1の頃(本人談[2])という遅さ。奨励会試験で一度落ちたが、研修会から編入し、1986年に奨励会に入会した。入会後5年をかけ1991年に四段に昇段(プロ入り)。いわゆる「羽生世代」の一人であるが、羽生善治、佐藤康光、森内俊之、郷田真隆、村山聖といった早熟の棋士達(「チャイルドブランド」と呼ばれた)とは異なり、丸山忠久と共にやや遅れて台頭してきたグループに属する[3]。, 1995年12月22日、第54期B級2組順位戦の対井上慶太戦で、対居飛車穴熊の「藤井システム」を初披露し、僅か47手で井上を投了に追い込んだ。, 1996年度の第27回新人王戦で優勝。同棋戦では、翌1997年度(第28回)、および、竜王在位時の1999年度(第30回)でも優勝。さらには、1997年に第16回早指し新鋭戦で優勝し、若手棋士参加棋戦で4度の優勝を果たす。1996年は、全棋士参加の大型棋戦である第14回全日本プロトーナメントでも決勝五番勝負に進出したが、屋敷伸之に0-3のストレートで敗れ、優勝はならなかった。, 1998年度、第11期竜王戦で4組優勝(決勝の相手は深浦康市)。本戦(決勝トーナメント)では、鈴木大介(3組2位)、南芳一(1組優勝)、屋敷伸之(1組3位)に勝ち、さらに、挑戦者決定三番勝負で羽生善治(1組2位)を相手に1敗の後に2連勝し[4]、タイトル初挑戦。谷川浩司竜王との七番勝負で藤井システムを用い、4-0のストレートで破りタイトル初獲得(1998年11月18日)。「将棋世界」誌の表紙には「藤井システム、将棋界を席捲」の文字が印字された。また、この年度は、全棋士中1位の43勝を挙げた。, 初の防衛戦となる第12期(1999年度)竜王戦では、同じ振り飛車党である鈴木大介を挑戦者に迎えた。鈴木は挑戦権獲得時のインタビューで、全局を振り飛車で戦うとの「全・振り飛車宣言」をしていた。七番勝負で藤井は振り飛車を封印し、全局通して居飛車で戦い、4-1で防衛に成功した[5]。なお、同1999年度は早指し将棋選手権戦で、タイトル戦以外の全棋士参加棋戦での初優勝も果たす(決勝の相手は谷川)。, 2000年度、第48期王座戦で羽生に挑戦(竜王戦以外では初めてのタイトル挑戦)。その五番勝負と日程がオーバーラップして、第13期竜王戦七番勝負では羽生の挑戦を受け、「十二番勝負」となった。王座戦は2-3で敗れたものの、「勝っても負けてもフルセットにします」と宣言したとおりの展開となった。竜王戦で羽生をフルセットの末4-3で下し、竜王戦史上初の3連覇を達成(後に渡辺明によって更新される)。お互い自分が保持するタイトルをフルセットで防衛した[4]。羽生の挑戦を退けてタイトルを防衛したのは谷川に続き2人目である。, 第59期(2000年度)B級1組順位戦の最後の2局で、藤井と昇級を争っていた郷田真隆が2連敗したのに対し藤井は2連勝し、逆転でA級初昇級[6]。前年のB級1組昇級に続く2連続昇級であり、弟弟子の三浦弘行とコンビでの昇級であった[6]。, 一方で、2001年の第14期竜王戦では再び挑戦者となった羽生に1-4で敗れ竜王位を失冠した[4]。, 2002年(第23回)と2005年(第26回)のJT将棋日本シリーズで優勝。2005年の優勝後のインタビュー(囲碁・将棋ジャーナル)で、「このようなインタビューを受けるのは久しぶり。これからもっと、このようなインタビューを受けられるような活躍をしたい」という旨を語った。, 2006年、第24回朝日オープン将棋選手権で羽生に挑戦し、1-3で敗れる[7][8]。, この間、第52期(2002年度)・第56期(2006年度)・第57期(2007年度)の王将戦でリーグ入り。, 2010年度、第58期王座戦挑戦者決定戦で深浦康市を下し、羽生王座に挑戦するがストレート負けを喫し、羽生が持つ同一タイトル連覇記録と同一タイトル連続無敗防衛記録の更新を許す。同年度、第23期竜王戦で2組優勝し、1組へ復帰。一方、2011年3月2日、第69期(2010年度)A級順位戦最終戦で高橋道雄に敗れて3勝6敗となり、10年守ったA級の座から陥落。その7回戦、森内俊之と戦った一局で、敗局ではあるが第38回将棋大賞の「名局賞特別賞」を受賞した。, 2011年度、第52期王位戦でリーグ入り。4勝1敗で紅組リーグ優勝をしたものの、挑戦者決定戦(2011年6月13日)で白組リーグ優勝の羽生に敗れる。この対局の9日前(6月4日)に放送の「囲碁・将棋フォーカス」で解説役としてゲスト出演していたが、「嫌な相手(羽生)が出てきました」と苦笑しながら語り、司会と聞き手を笑わせていた。第70期順位戦B級1組で3勝9敗となり、B級2組への降級が決まり、二期連続の降級となった[9]。, 2012年度、第53期王位戦リーグで白組優勝(4-1)し、挑戦者決定戦(2012年5月30日)で紅組リーグ優勝の渡辺明を166手の熱戦の末下し、羽生王位に挑戦するが1-4で敗れた。しかし、その後も第71期順位戦で若手の豊島将之を破る(豊島も9勝1敗で昇級しているが、その豊島に土を付けた唯一の相手)など好調を維持し、最終戦を待たずして、わずか1期でB級1組返り咲きの昇級を決めた(結果、9勝1敗でトップ通過。第72期順位戦ではB級1組12番手となった)。, 2016年度、第24期銀河戦に予選より出場。決勝で「藤井システム」を用いて広瀬章人に勝利。決勝トーナメントでは先後問わずすべての対局で藤井システムを採用。自身11年ぶりとなる一般棋戦優勝を果たす。また、同時に銀河戦最年長優勝者となった。インタビューにて「視聴者のために藤井システムを選んだ」と語った。, 藤井の代名詞というべき戦法で、四間飛車で天守閣美濃・穴熊という居飛車側の持久戦策を牽制する戦法。1996年度升田幸三賞受賞[18]。特に居玉のまま襲いかかる対穴熊の藤井システムは将棋界の振り飛車戦法に革命をもたらすのみならず、将棋の序盤戦略そのものに大きな影響を与えた。, さらに、矢倉を採用していた時期にあたる将棋世界2009年9月号の中で「僕はもう(藤井システムからは)引退しました」と藤井システムを断念したとも取れる発言をしている。ただ同時に「先手藤井システムは立派に生き残っています」と、藤井システムそのものは終わっていないという見解を示している。, 一方で、先述の通り2016年度の銀河戦で連採し優勝しているように、近年では復活傾向にある。, 2019年9月3日、叡王戦九段予選2回戦にて羽生善治九段と7年ぶりの対戦で先手で居飛車穴熊の羽生に対し後手番藤井システムを採用、実に19年ぶりに後手番藤井システムで羽生に勝利を収めた。, 昇段規定は、将棋の段級 を参照。ただし、七段 - 九段の昇段日は、竜王戦の昇段の旧規定による[30]。, もっとも、藤井はプロになりたての頃に少し矢倉を指してはいたが、「居飛車より振り飛車のほうが面白い。矢倉を指せと言われていたら、将棋をやめていたかもしれない。, 「ここで△6二飛がいい手なんです。お昼にかっぱ寿司で食べていて気がつきました。かっぱの一手ですね」「指しましたか。優秀な検討陣ですね。渡辺さんも、お昼はかっぱ寿司だったのかな?」(, 仮に2006年以降の新しい規定が適用されていたならば、七段昇段は1998年9月14日(挑戦権獲得)、八段昇段は1998年11月19日(竜王1期獲得)、九段昇段は1999年11月26日(竜王2期獲得)である。, http://www.asahi.com/shougi/open24/final_c.html, https://shogipenclublog.com/blog/2017/01/16/b1/, http://www.asahi.com/shougi/open24/060629.html, “第24回朝日オープン将棋選手権五番勝負第3局 ▲羽生善治選手権者対後手△藤井猛 九段 第3譜 激辛三兄弟”, http://www.asahi.com/shougi/open24/5ban03/03.html, 「これからもポケカを趣味に楽しみたい」藤井猛九段たちが出場したポケモンカード企業対抗戦の様子を山口女流二段がご紹介!|将棋コラム|日本将棋連盟, 優勝はプロ棋士の藤井 猛選手。ウメハラ選手や岡本信彦さんなど,各界の有名人が集まった「ポケモンカード ミュウツーHR争奪戦」の模様をお届け, この項目では、将棋棋士について説明しています。本名が「藤井猛(ポール・タケシ・フジイ)」であるボクサーについては「, B級2組 - C級2組の*は降級点の数(B級2組・C級1組は2点、C級2組は3点で降級), 羽生世代の中でも丸山忠久同様遅れて奨励会に入会したため、何とか同世代に追いつこうと振り飛車特に, ただし、奨励会時代は中飛車を中心に指しており、四間飛車の定跡を本格的に研究しはじめたのは、四段昇段後である。, 居飛車も全く勉強していないわけではなく、四段プロ入りが決まった三段時に棋書を買いあさり短期間ではあるが勉強している、このとき学んだ知識、感覚が革新的な四間飛車である「, 振り飛車、特に四間飛車の使い手である自らを鰻屋に喩えて「最近は居飛車党でも四間飛車を指す人がふえましたが、戦法の好き嫌いがないっていうのが、また僕には不思議です。しかも、にわか四間飛車党が結構いい味出すんですよ(笑)。でも、こっちは鰻しか出さない鰻屋だからね。ファミレスの鰻に負けるわけにはいかない。, 後述の矢倉を採用し始めた時期には「私は鰻屋なので、居飛車屋の超高級五つ星レストランが建ち並ぶ, 展開によっては、矢倉に組まず、左美濃に囲い、居角のまま戦うこともあった。のちに流行した「対矢倉左美濃急戦」を先取りしていたと自ら語っている。, 藤井が結果を残すにつれて、羽生をはじめとした他の棋士も角交換四間飛車を採用することが多くなった。戦法を開発したのは藤井ではなかったが、プロ棋界での先駆者として定跡を整備した功績が評価され、2012年度将棋大賞にて升田幸三賞を受賞した(16年ぶり2度目), 絵が苦手で、中学生時代の美術の授業で隣席のクラスメートを描く課題に、モデル役の女子学生が泣いてしまった。, 段位は九段であるが、七段のときに竜王位獲得に伴い八段に昇段、翌期の竜王防衛に伴い九段に昇段したため、肩書として「八段」を名乗ったことがない。, ネット中継でのニックネームは、ウィットにとんだ解説から名付けられた「藤井てんてー」(「てんてー」は「先生」に由来する), 第38回(2010年度) 名局賞特別賞(第69期A級順位戦7回戦)…対局相手の森内俊之とともに受賞, 最強藤井システム(1999年7月、日本将棋連盟、ISBN 4-8197-0208-4), 藤井システム(MYCOM将棋文庫)(2002年11月、毎日コミュニケーションズ、ISBN 4-8399-0881-8), 相振り飛車を指しこなす本(全4巻、2007-2008年、浅川書房、ISBN 978-4-86137-017-5 ほか), 藤井猛の攻めの基本戦略(NHK将棋シリーズ)(2014年1月、NHK出版、ISBN 978-4-1401-6220-0), 角交換四間飛車を指しこなす本(2014年7月、浅川書房、ISBN 978-4-8613-7042-7), 四間飛車上達法(2017年12月、浅川書房、ISBN 978-4-8613-7048-9), 小倉久史・杉本昌隆・藤井猛『振り飛車党宣言〈3〉新感覚の居飛穴対策』(MYCOM将棋文庫) (2003年9月、毎日コミュニケーションズ、ISBN 978-4-8399-1237-6), 小倉久史・杉本昌隆・藤井猛『振り飛車党宣言〈4〉四間飛車対左美濃』(MYCOM将棋文庫) (2004年12月、毎日コミュニケーションズ、ISBN 978-4-8956-3623-0).