オリックス・バファローズが大阪近鉄バファローズ、オリックス・ブルーウェーブの復刻ユニフォームを着用。Legend Of Bs2013~Miracle!夢が叶ったあの時~ 04年 72勝 64敗 2分 2 … オリックスバファローズの前身である阪急ブレーブスを創設したのは実業家・小林一三です。この名前、どこかでお聞き覚えがありませんか?そうです。宝塚歌劇団の創設者として知られる人物です。つまり、オリックスの根は宝塚歌劇団と同じ、ということになりますね。阪急からオリックスへの譲渡劇から見ていきます。, オリックスバファローズは2015年7月13日に、阪神タイガースに続き史上2球団目の通算10,000試合を記録しました。それほど歴史と伝統を持つ球団ですが、順風満帆だった訳ではありません。球団と関西地区に合わせて3回の激震が襲いました。その初めは1988年10月の阪急からオリックス(当時はオリエント・リース)への突然の球団売却でした。監督の上田利治をはじめ、コーチ・選手が知ったのが当日というのですから、いかに突然の球団売却だったかがわかります。当時は、先にご紹介した西武ライオンズ(現埼玉西武)の黄金時代の真っただ中とはいえ、阪急は84年に西武の3連覇を阻止してリーグ優勝を飾りました。88年の成績は4位ながら、75年からの14年間で4連覇を含むリーグ優勝5回、日本シリーズ優勝3回、2位4回、3位1回と安定した成績を残しています。売却の理由は長年続く球団の赤字でした。売却先がオリックスになったのは、当時、球団の親会社である阪急電鉄とオリックスは三和グループ(旧三和銀行を中心とした企業グループ。UFJグループを経て、現在は三菱UFJファイナンシャル・グループ)の一員であり、記者会見に臨んだ三和銀行頭取の渡辺滉は、グループ内での組織変更と説明しましたが、阪急球団社長の土田善久は無念の涙を流しました。その涙の背景には、「私が死んでも宝塚とブレーブスは売るな」と言い遺した創業者・小林一三の言葉がありました。阪急からオリックスに出された条件は、上田の監督留任、西宮球場の使用継続とブレーブスの名を残すことという3つでした。, 2年後の1990年、2年連続の2位で優勝を逃した上田が辞任を表明します。後任には読売ジャイアンツのV9戦士の一人、土井正三が就任。これを機に本拠地を神戸グリーンスタジアム(以下同じ。正式名称は神戸総合運動公園野球場、現ほっともっとフィールド神戸)に移転、チーム名もブルーウェーブに変更されました。球団移譲時に阪急が出した条件は、わずか2年ですべて消滅しました。土井は3年連続の3位で監督を退きます。92年からオリックスには特徴ある打撃フォームの若い選手が在籍していました。土井は素質を評価しつつもフォーム変更を指示しますが、固辞したため、その選手は冷遇されます。この選手こそ、イチロー(当時の登録名は鈴木一朗)でした。結局、土井監督時代におけるイチローの2年間の成績は83試合出場、36安打に止まります。94年からオリックスを率いたのが仰木彬でした。仰木は近鉄監督時代に選手として見ていた新井宏昌を打撃コーチとして招聘します。仰木・新井に見出されたイチローは、その才能を遺憾なく発揮して前人未到のシーズン200本安打を達成するのです。この記録は130試合制ではいまだにイチロー唯一人が有する記録です。また、イチローの前に130試合制の最多安打記録を持っていたのは新井でした。, 近鉄監督時代に野茂英雄、オリックス監督時代にイチローを見出した仰木彬。選手時代は西鉄ライオンズの正二塁手として、日本シリーズ3連覇など黄金時代を支えた。, 1994年、前人未到のシーズ200本安打を達成し、ファンの声援に応えるイチロー。左はブルーウェーブのマスコット・キャラクター、ネッピー。, 関西地方が激震に襲われたのは1995年1月17日の朝。阪神淡路大震災ですオリックスの本拠地・神戸グリーンスタジアムも被災しましたが、選手たちは被災地・神戸のシンボル的な存在として、ユニフォームの袖に「がんばろうKOBE」の文字を刻み、リーグ優勝を果たします。さらに翌96年もリーグ制覇し、日本シリーズでは巨人を破り、神戸に日本一のチャンピオン・フラッグをもたらしました。, オリックスブルーウェーブのユニフォーム。袖には「がんばろうKOBE」の文字が刻まれている。, 2004年に起きたオリックスと近鉄バファローズの吸収合併は、球界に大きな波紋を拡げました。5球団ではリーグ戦開催が困難として、さらに1球団を合併させて1リーグ10球団構想がオーナー会議で取り沙汰される一方で、労組・日本プロ野球選手会は会長・古田敦也を中心に2リーグ12球団維持を訴えます。日本プロ野球史上初となる選手会のストライキも実行されましたが、世論の大半は選手会側を支持しました。その後の紆余曲折を経て、オリックスと近鉄は合併して翌年からオリックスバファローズとなり、東北楽天ゴールデンイーグルスが新規参入しました。, 近鉄バファローズ監督時代の仰木彬。運命のいたずらか、仰木は近鉄バファローズ、オリックスブルーウェーブ、オリックスバファローズの監督を歴任した。, 近鉄と合併した翌2005年から3年間の特例措置として、ダブルフランチャイズ制が採用されました。これは合併前のオリックスの神戸グリーンスタジアムと近鉄の大阪ドーム(以下同じ。現京セラドーム大阪)の2球場を本拠地とし、期限後は大阪ドームを本拠地とするものです。しかし、大阪ドームの運営会社・大阪ドームシティは08年10月に会社更生法を申請し、事実上倒産します。オリックスは円滑な試合運営を実現するため、暫定的に本拠地を神戸グリーンスタジアムとする一方で、子会社のオリックス不動産に大阪ドームの経営を買い取らせました。現在では本拠地を大阪ドームとし、球団との一体経営を実現しました。夏の高校野球期間中には大阪ドームで阪神戦も開催されています。かつての阪神にとって、この間は「死のロード」と呼ばれましたが、涼しいドーム球場ならばむしろ大歓迎でしょう。オリックスの14年の観客動員数は前年比18.4%増の約170万人で球団新記録となりました。この数字を支えたのが、「オリ姫」と呼ばれる若い女性層でした。「カープ女子」ブームに沸く広島東洋カープと同様に、若い女性をターゲットにした企画を次々に打ち出しています。, 神戸総合運動公園ウェブサイト -KOBE SPORTS PARK- web site, フリーライター。歴史・文学からビジネス、スポーツ等、幅広い分野において執筆を行う。, フリーライター。 歴史・文学からビジネス、スポーツ等、幅広い分野において執筆を行う。. 星野リゾートの公式アカウントです。星野リゾートでは、自然や文化、食など、その地域の魅力に触れる様々な体験をご用意しております。すべてのお客様に「ここに来てよかった」と感じていただきたいという気持... TATRAS&STRADA ESTはビジネスもホリデーも同じく楽しむ大人にファッションを通じて新しい喜びを発見して頂ける様に目指しているセレクトショップです。“Hi Quality”“S... 広告代理店勤務。基本的に好奇心旺盛。筋トレや美容、ヘアスタイルなどメンズビューティーに凝っています。, 旅行と食べること、ファッションが好き。インドア派でアウトドア派のフリーライターです。生まれは四国、大学で東京へ行き就職で大阪へ。転々とする放浪癖を生かして様々な地域の記事を書いています。, 都内在住。コーヒーとサンドイッチが大好きで1日1カフェ生活を送っている。夏の定番はレモネード、冬の定番はホットチョコレート。オシャレやヘルシーという言葉に敏感なミーハー系女子。, 信州で車とバイクと旅を愛する道楽者。曲者が集まるCLUB Autistaに所属し、ひと時を執筆に捧げる。, 都内在住の大学生です。ファッションが好きです。特にデニムが好きなので、毎日履いて洗濯してを繰り返し、自分だけの一本を制作中・・・. ヤクルトスワローズ歴代ユニフォーム ヤクルトアトムズユニフォーム 1969 アトムズ 株式の一部を ... (大阪近鉄バファローズ) 02年 74勝 62敗 4分 2位 . 03年 71勝 66敗 3分 3位 . Copyright © JUKKI Co., Ltd. All rights reserved. 2004年の球界再編問題のきっかけとなり、オリックスに吸収合併された大阪近鉄バファローズ。1958年から続く12球団の中で、唯一日本シリーズ優勝がないまま、歴史の幕を下ろしました。史上唯一の100敗を記録する一方で、幾多の球史に残る名シーンを生んだ球団でもあります。(本文中、敬称は略しました) 2004年の球界再編問題のきっかけとなり、オリックスに吸収合併された大阪近鉄バファローズ。1958年から続く12球団の中で、唯一日本シリーズ優勝がないまま、歴史の幕を下ろしました。史上唯一の100敗を記録する一方で、幾多の球史に残る名シーンを生んだ球団でもあります。 コシノヒロコさんがプロデュースしたユニフォームです。 ホーム用とビジター用2種類でしたが、2000年にビジター用が紺だけになりました。 また、1999年に大阪近鉄バファローズとチーム名が変更になり、ビジター用のロゴがOsakaになりました。 大阪近鉄バファローズ Osaka Kintetsu Buffaloes: 昭和24(1949)年、正式名称、近鉄野球株式会社、球団名、近鉄パールスとして設立。 昭和34(1959)年、球団名を近鉄バファローと改名。 昭和37(1962)年、球団名を近鉄バファローズと改名。 今は無き球団の近鉄バッファローズ大阪の藤井寺市を拠点にしていた球団です。関西といえばやはり阪神タイガースがメジャーですし、パシフィックリーグで優勝経験も少ない球団だったので人気もそんなにありませんでした。そんなチームの野球ユニフォームを手がけてくれたのが芸術は爆発だの一言でも有名で大阪万博の太陽の塔のモチーフを作成され 大阪近鉄: 大阪近鉄バファローズ: 1949/11/26加盟 1950-1958・近鉄パールズ 1959-1961・近鉄バファロー 1962-1998・近鉄バファローズ 1999-2004・大阪近鉄バファローズ 2004/09/08・オリックスブルーウェーブと合併。 オリックスバファローズの前身である阪急ブレーブスを創設したのは実業家・小林一三です。この名前、どこかでお聞き覚えがありませんか?そうです。宝塚歌劇団の創設者として知られる人物です。つまり、オリックスの根は宝塚歌劇団と同じ、ということになりますね。阪急からオリックスへの譲渡劇から見ていきます。 オリックス・バファローズの公式オンラインショップ。選手グッズ、応援グッズ、オーセンティックユニフォームや限定商品などのアイテムを販売しております。 近鉄パールス(1949年 - 1958年) 近鉄バファロー(1959年 - 1961年) 近鉄バファローズ(1962年 - 1998年) 大阪近鉄バファローズ(1999年 - 2004年) 70年代の近鉄バファローズユニフォームの変遷です。 岩本義行監督就任2年目の昭和41 (1966)年、近鉄バファローズのユニフォームのモデルチェンジが行なわれた。