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mdina ditch by viewingmalta.com
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名称 古都イムディーナ (Silent City Mdina)
説明 ヴァレッタが築かれる前のマルタの首都
貴族はじめ多くの人々がこの町に住んでいた。その後、首都の移動に伴い人が少なくなったこの町は‘静寂の町’と呼ばれるようになった。中世の趣を色濃く残す古都イムディーナは、一歩路地には入ればひっそり静まりかえり、その名の通り、‘静寂’が広がっている。カフェ、教会、貴族の館、眺望が楽しめる広場などを散策しながら中世の雰囲気に是非とも浸ってほしい。町の外はラバトと呼ばれるエリアであり、活気あふれる庶民的な生活がうかがえる町である。路地に軒を連ねるレストランやカフェは地元マルタ人の一押しする隠れた名店もある。町の地下には巨大な地下墳墓(カタコンベ)が広がっていて、聖パウロのカタコンベと聖アガタのカタコンベは見学が可能。また聖パウロがローマに向かう際に船が難破し、マルタに漂着した際に避難、布教に使われたと言われている聖パウロの洞窟は聖パウロの教会の礼拝堂から地下に降りていたった先にある。
地図

メインゲート(Main Gate)

Mdina Gate by viewingmalta.com
Mdina by Clive Vella
Mdina Gate by Rene Rossignaud
名称 メインゲート(Main Gate)
説明 イムディーナに通じるゲートは3つあり、その中でもひときわ目立つ門がメインゲートである。メインゲートは1724年、当時の騎士団長マノエル・ド・ヴィレーナによって建設されたものである。それ以前はイムディーナに入るには跳ね橋が利用されていたが、現在ではその跳ね橋は門の右側の壁に埋め込まれている。門にはヴェレーナ家の紋章であるライオン(戦いの戦利品を運ぶ様子)の像が施されている。ゲートの内側にはマルタの守護聖人、聖パウロ、聖パプリウスそして聖アガタが彫られている。

聖パウロの大聖堂(The Cathedral)

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Image by Hiroto Toyama
Image by Hiroto Toyama
Mdina by Clive Vella
St Pauls Cathedral by Mario Galea
St Pauls Cathedral by Mario Galea
名称 聖パウロ大聖堂(The Cathedral)
説明 イムディーナの町でひときわ目立つ大聖堂は、町の中心的建造物である。伝説によると、4世紀に聖パウロの祈りにより、病の床に伏した父を救われたことからキリスト教に改宗し、マルタ最初の司祭となった聖パブリウスの家の跡地に聖母にささげるため建築されたマルタで最初の聖堂である。 その後、聖堂は9世紀イスラム教支配下の時代に破壊されたが、13世紀ノルマン人支配下の時代に聖パウロに捧げる大聖堂として再建された。その後何度も修復、拡張が繰り返されてきたものの1693年にマルタを襲った大地震で聖具室と内陣席を除きほぼ全壊。現在の大聖堂は1702年にマルタの建築家ロレンツォ・ガファによって再建されたものである。教会内部はヴァレッタの聖ヨハネ大聖堂に比べると規模も小さく華やかな装飾が施されているわけではないが、荘厳な気持ちになる空間が広がっている。マルタ騎士団の一員であり、聖ヨハネ大聖堂の天井画の作者でもあったカラヴァッジォ派の画家、マティア・プレッティの作品が贅沢にも5点展示されている。幸運にも大地震で損害を受けなかったそれら作品の中でも、特に「聖パウロの難破」のフレスコ画は一見の価値あり。

パラッツォ・ファルゾーン (Palazzo Falzon) - ノルマンハウス

Palazzo_Falson by Mario Galea
名称 パラッツォ・ファルゾーン (Palazzo Falzon) - ノルマンハウス
説明 ノルマンハウスとして知られているこの屋敷は、イムディーナ最古の建造物の1つである。15世紀後半に建築されたこの建物は、マルタに最初にやってきた聖ヨハネ騎士団団長が一時滞在していた。現在はこの中世後期の貴族の屋敷に16-18世紀の家具、銀細工、絵画、本や武器などを展示し、一般公開している。屋上のカフェからはイムディーナの町を見渡すことが出来、観光の休憩場所としても利用できる。
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バスティオン広場(Bastion Square)

名称 バスティオン広場(Bastion Square)
説明 山のないマルタでは貴重な小高い場所から眼下の眺めを楽しめるポイントである。広場は眺望を楽しむ観光客でいつも賑わっている。晴れている時は遠くに地中海とヴァレッタが、雨季には一面に広がる緑が、そしてフェスタの時期には各市町村であがる花火を楽しむことができる。近くにはケーキが美味しいと評判のカフェもあり、歩き疲れた時に足を休めるのにおすすめのポイントである。

聖アガタのカタコンベ(St Agatha's Catacombs)

St Agathas Catacombs by Mario Galea
St Agathas Catacombs by Mario Galea
St Agathas Catacombs by Mario Galea
St Agathas Catacombs by Mario Galea
St Agathas Catacombs by Mario Galea
名称 聖アガタのカタコンベ(St Agatha's Catacombs)
説明 伝説によると、4大殉教聖女の一人である聖アガタが迫害を逃れ、逃亡してきた際に身を隠していた洞窟といわれている。聖アガタはシチリアの裕福な貴族の家出身で、当時迫害されていたキリスト教徒の信者であった。美しく貴族出身の彼女に、シチリアに赴任していたシチリア総督クインティリアヌスが妾になるよう要求したが、信仰のためにその要求を拒んだことと異教徒であることから捕えられ、乳房を切り落とすといったあまりにも残酷で、聞くに堪えない拷問を受け、改宗を迫られた。聖アガタは迫害の最中一度マルタへ逃亡し、連れ戻されるまでの2-3年をこの洞窟で過ごしたと言われている。カタコンベでは聖アガタの生涯を描いたフレスコ画を、隣接している博物館では出土品や古美術品を見学することが出来る。

聖パウロのカタコンベ(St Paul's Catacombs)

名称 聖パウロのカタコンベ(St Paul's Catacombs)
説明 古代ローマ時代、町の中に使者を埋葬することが禁じられたため、イムディーナの町の外、ラバトに使者が埋葬されていた。そのためラバトの地下には巨大なカタコンベ(地下墳墓)が広がっており、その一部が一般公開されている。カタコンベへ足を踏み入れると、そこはまるで巨大な地下迷路のようである。使者と一緒に埋葬された貴重品や装飾品は過去に荒らされ、残念ながら残っているものはない。中央にはアガペテーブルと呼ばれる岩を削って作られたテーブルがある。このテーブルは使者を埋葬した後、使者と遺族が最後に一緒に食事をとるために使われたといわれる。広く迷路のように入り組んでいるため、できれば誰かと一緒に訪れたい場所だ。

聖パウロ教会と洞窟(St Paul's Church and Grotto)

名称 聖パウロ教会と洞窟(St Paul's Church and Grotto)
説明 教会の地下には聖パウロが布教活動を行ったと言われている洞窟がある。伝説によると、エルサレムで捕らえられた聖パウロがローマに送られる途中、船が難破し、辿りついたマルタで3か月の間、この洞窟に身を隠しながら布教活動を行ったとされている。現在も深くマルタに根付くカトリック信仰のはじまった場所と言っても過言でない。洞窟を降りると、騎士団長であったピントから寄贈された聖パウロの大理石の像がたたずんでいる。この像には1990年にマルタを訪れた前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世と2010年5月に訪れたローマ法王ベネディクト16世が祈りを捧げている。洞窟の上に建てられた教会には、マティア・プレッティ他多くの芸術家の作品が飾られている。
-私のおすすめする街 古都イムディーナ- マルタ公認ガイド: 友子 カッサール
イムディーナはマルタの古都で、中世の雰囲気があるとても魅力的でおしゃれな街です。今現在も100世帯ほどあり、一つの街になっています。この街からはフェニキア時代(B.C.7000年)の出土品が発掘されていて、このフェニキア時代頃から、1568年聖ヨハネ騎士団がヴァレッタの街建設のころまで長年マルタの中心地として栄えてきた街です。高台になっていて見晴らしが良く、敵からの防御には適した地でした。そこを城砦で防御し、安全な街として固めています。中世のころにはマルタの貴族の人々、また上位の聖職者達が住む気品ある街として栄えていきます。その人々の住んだ格式ある館が未だに残っていて、人々を中世の時代と導くような街です。
ローマの時代は今現在の3倍ほどの大きな街でしたが、9,10世紀のアラブ時代に守備しやすいように今現在の街のサイズとして固めています。またこのころに戦略的に建設された先の見えない路地が代表的で、現在は住む人も少なく、それがゆえにサイレントシティー(沈黙の街)と呼ばれています。アラブ時代の後は1090年からシチリアからのノルマン人の統治下に入ります。彼らのもたらすシクロノルマンと呼ばれるシチリア風ノルマン建築様式が紹介され、未だにいくつか窓はその貴重な姿を残しています。
その後、1693年に地震がありイムディーナの街は南3分の1ほど破壊されます。地震後街の再建の際、重要な建物は堂々としたバロック様式に再建されていきます。昔からの雰囲気を保つように厳しく建築規定がなされています。是非この魅力的な街お訪ね下さい。