ヴァレッタ
(Valletta)
マルタ共和国の首都で町全体が世界遺産。この町が建設されるのは1565年のオスマントルコ軍との戦いグレートシージ(大包囲戦)の経験から、難攻不落の都市となるよう設計され建設された。完成は1571年。ヴァレッタは当時のマルタ騎士団長であり、町の完成につくしたジャン・パリゾ・ド・ラ・ヴァレットからきている。大包囲戦以前から存在した聖エルモ砦を加え、街全体が要塞となっている。マルタ共和国の政治機能が集まっているが、洒落たカフェやレストランもあり歩いているだけでも楽しい。
聖ヨハネ大聖堂
(St John's Co-Cathedral)
1577年、騎士団がその名前を冠したキリストの洗礼者聖ヨハネを称えるために建てた大聖堂。会堂の床は騎士たちの墓所となっている。畳一畳よりやや小さめの大理石の板が敷かれており(その数約400)、そこにラテン語で墓碑銘や絵が描かれている。会堂の側面は騎士団を構成する八つのグループのそれぞれの礼拝堂があり、正面には主祭壇がある。主聖堂に付属する美術館では、ローマで活躍した画家カラヴァッジォが残した作品数点をご覧いただけます。カラヴァッジォは生来の乱暴な気質で殺人を犯し、追放を逃れてマルタ騎士団を頼り来島した。「聖ヨハネの斬首」はその中でも特に有名であり、唯一カラヴァッジォが流した血湖でサインを作品の右下に残している。この絵を仕上げたことで彼は騎士団の身分になるが、彼の出目をいやしむ同僚騎士と争い、ついに地下牢に幽閉されてしまう。後に脱出しローマを目指すが旅の途中で病死する。彼の画法の特徴である光と影のコントラストは近代絵画技法の発祥ともいえるもので、イタリアがユーロ通貨を採用するまで、彼の自画像が10万リラ紙幣となっていたことでもその画業は偉大であった。ヒールのある靴や肌を露出した服装での入場は拒まれますのでご注意ください。
兵器庫
(The Palace Armoury)
騎士たちが実際に使った甲冑、剣、大砲、馬車などの各種の武具が展示されている。聖ヨハネ騎士団の武具以外にもオスマントルコ軍の貴重な武具の数々も展示されており、見ごたえがある。
2002年頃まで日本の鎧(写真右端)も展示されていたが、その後倉庫に移され劣化が進んでしまったため、現在修復中。近々、再展示を予定している。
国立戦争博物館
(The National War Museum)
地中海の十字路という絶好の地に位置するマルタは、他国からの侵略、攻撃を受け続けてきたという悲しい歴史がある。こちらでは、第2次世界大戦時代のイタリア、ドイツからの封鎖と空爆が繰り返されていたマルタ攻防の記録写真、戦闘機、ルーズベルト大統領が訪問した際に使用されたジープなどが展示されている。中でも第2次世界大戦中、物資の封鎖と相次ぐ空爆という過酷な状況の中でも戦い抜いたマルタ島民に、当時の英国国王であったジョージ6世から贈られた言葉「勇敢なマルタ島民を最大限に称え、私はこのジョージクロス勲章を捧げます。マルタ島民の勇気と忠誠心は永遠に語り継がれるでしょう」と共に贈られた勲章は今でもマルタ国民の誇りとして大事にされており、現在のマルタ国旗としても使われている。
アッパーバラッカガーデン
(Upper Barrakka Gardens)
地中海随一といわれる良港グランドハーバーを見下す展望デッキがある公園。展望台からは、対岸のスリーシティーズを一望できる。毎日正午と16時に時報として大砲が放たれる瞬間は迫力満点。
時間があれば内側の壁にある英国統治時代の記念碑を見るのも楽しい。英国海軍などの兵士や将校の思い出を記したものが多いが、例外としてアインシュタインを称える碑もあるので探してみよう。
ローワーバラッカガーデン
(Lower Barrakka Gardens)
グランドハーバーに面したカスティーリャ城壁上のローワーバラッカガーデンに、ギリシャ神殿のようなモニュメントが立つ。ナポレオン軍の駐留に反旗をひるがえしたマルタ国民が、英国とともに追い出したその戦勝記念碑。1798年にマルタ騎士団をマルタから追い出して占領したナポレオン軍の横暴は、たちまちマルタの人々の反感を買い、ネルソン提督率いる英国がフランス追い出しを手助けする。2年後、フランスに代わって英国の統治下になり、初代の総督に就いたのがアレクサンダー・ボール卿で、このメモリアルは彼の功績に捧げられている。